第29話

────壱成さんは、黙って私の話を聞いていた。時々恐ろしいほどの怖い顔を見せたりしたけど、私に触れる手は優しかった。



「…図書館の医学書で調べました。子供に薬物等を飲ませたり、子供に実際の身体不調や症状を作り出して、病気の症状として訴えることを、〝代理ミュンヒハウゼン症候群〟というらしく」


「……」


「父怖さに、その病気を作り出してしまったようで」


「……」


「この痣は、多分、高血圧の薬なんです。血がサラサラになる薬で……、血が止まらなくなったり、貧血だったり、──内出血ができやすくなったり」


「……分かった」


「壱成さんと電話しているのに気づかれてしまい…。今回は少し量が多いようです」


「分かった」


「お父さん、凄いんですよ」


「……」


「私に会っている男の人が居るって分かった途端、壱成さんのことを調べて……、壱成さんの……、壱成さんがどういう人か調べて私に見せるんです」


「……」


「毎晩……、それが嫌で、家に帰りたくないんです……」


「……」


「壱成さん、の、個人情報を、お父さんは知ってます」


「……」


「そんな複雑な環境でも、嫌いにならないでいてくれるんですか?」



私の説明が下手だったかもしれない。

上手く、言えなかったかもしれない。

それでも壱成さんに、私の家の家庭環境が複雑で、どうしようも無いことは伝えられたはず。


壱成さんの服を掴む、

その手は震えていた。

もう体は温かくなっているのに。



「嫌わない、嫌うことは絶対ない」



はっきりとした口調の壱成さんが、また、抱き寄せる。



「……私だけだったら、いいんです……、でも壱成さんを巻き込むのは、我慢できなくて……。壱成さんと会えないってお兄ちゃんに伝言をしたのは、それで……」


「うん」


「ごめんなさい、嘘をついてごめんなさい……」


「泣かなくていい、あんたは何も悪くない」


「で、でも、」


「個人情報ぐらい、どうって事ない」


「もう、壱成さんが、小学生の頃はどんな性格だったか、お父さん調べあげているんですよ……?」


「別に調べていい」



調べて……?



「調べられても、自分のしてきたことに後悔はない」



してきたことには……。



「調べられても、何の問題もない」



問題は……。



「薬は、いつ飲んだ?」



薬を……。



「朝……」


「うん」


「壱成さん、」


「ん?」


「本当に、嫌になっていませんか?」


「なってない」


「……どうして」


「さっきも言ったけど、俺はあんたが好きなんだ」



さっきも?

壱成さんか、お兄ちゃんのどちらか好きか、分からない台詞を思い出す。



「あんたが望むなら」



私が望むなら……。

言うのをやめた壱成さんは、「俺だって嘘をついてた」と、少し腕の力を緩め、私の顔の方を見た。



「……うそ……?」


「友達なりたいからじゃなくて、好きだったから親しくなりたかった」


「………」


「話してくれてありがとう」



まるで噛み締めるように呟き、また、壱成さんは私を抱きしめてきた。今度は両手で、力強く。

壱成さんが持ってた冊子は下に落ちていて、壱成さんの優しさにまた涙が込み上げるのが分かった。

壱成さんは、いつから私の事を好きだったのだろうか。



「あんたが望むなら、何でもしてやる。なんでも」


「っ……」


「あんたが望むなら」



望む。

望むことなら。

私の望むことなら……。


私が望むこと、そんなの……。



お父さんからの暴力をやめてほしい……。


お母さんからの薬の混入をやめてほしい……。



「……私が、父と母から背けば、──兄…、の、せいにされてしまうんです。父と母は壱成さんを悪者にするんです…」


「うん」


「それでも、わたしは、」


「うん」


「……それでも……わたしは、」



両手を、壱成さんの背中に回した。壱成さんの背中は、私よりも遥かに広い。



「壱成さんの、そばに……いていいのでしょうか?」


「そばにいてほしい」


「……好きになっても、いいんですか?」



また、壱成さんの腕が強くなった。



「望んでも……?」


「何でもする」



優しい壱成さんは、私の為なら何でもしてくれるらしい。



「……朝までこうしていてください、それだけで十分です……」

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