第4話

 とりあえず場所を移そうかと言われ、大人しく着いていく。

 得体の知れない人物なのはその通りなのだが、曲がりなりにも助けてくれた。

 彼女なりの思惑があるにせよ、今は従っておく方が良いだろう。


「好きな所に座ってくれ」


 広場の中央に位置する大樹、その根本付近に引かれたシートに腰を下ろす。


「飲むかい? 喉が渇いているだろう」

「あ、はい……ありがとうございます」


 お茶を注ぎ込んだ紙コップを受け取り、口に付ける。

 緊張と消耗で失われた水分が満たされていく。


「ふふっ、もう一杯いるかな」

「お願いします……!」


 口元を拭いながら紙コップを返す。

 そして、再び並々注がれたお茶を飲み干す。

 冷えたお茶は体だけでなく、思考も冷静にさせてくれる。

 今更ながら、何だこの状況はと疑問を持つ。

 つい先程命の危機にあったはず。それなのに、今はのんびりとお茶を飲んでいるのだ。

 向かいには不思議な魅力を漂わせる女性が薄い笑みを浮かべている。

 夢ではないかと頬をつねる。


「……痛い」


 どうやら、嬉しくも悲しくもこれは現実らしい。


「どうやら、落ち着いたようだね」


 俺のリアクションから冷静になった事を察し、女性は表情を真剣な物へと変える。


「まずは自己紹介でもしておこうか。私は久家桜花(くげおうか)だ。君は?」


 女性の名前は久家桜花というらしい。

 彼女の美しさ、所作の綺麗さ、そして漂う古風な雰囲気にピッタリの名前だ。


「吉井秀人(よしいひでと)っていいます」

「秀人か。良い名前だ」


 家族以外、しかもこんな綺麗な子に名前を呼ばれ、不覚にもドキッとしてしまう。

 いかんいかんと気を引き締める。

 久家もどこまで信用していいかわからないし、そもそも俺は剛を探しにきたのだ。

 気を緩めている暇はない。


「では秀人……君は何のためにここに来た?」


 いきなり確信をつく質問をしてくる。

 当然の疑問なのだから予想はついていた。


「その前に、呑気に情報交換している暇なんてあるのか? 見通しが良いから接近には気づけるだろうけど、あいつは足がとんでもなく速い上に携帯を辿って……」


 言ってて気づく。

 慌ててポケットから携帯を取り出し、電源を切る。

 果たして効果があるかわからないが、何もしないよりはマシだろう。


「どうした、そんなに慌てて」

「久家……さんも携帯の電源を切った方が良い。あいつは携帯を通じてワープしてくるんだ」

「……それは、聞き覚えのない話だな」


 久家の言い回しは奇妙な物だったが、今はそんな事を気にしている暇はない。

 頼むから携帯の電源を切ってくれと懇願すると、久家はニヤリと笑い。


「大丈夫だ。私は携帯を持っていない。正確には自宅で待機してもらっている」

「それは……携帯の意味がないような」


 携帯してもらえない携帯とは、今頃自室で泣いているだろう。


「その方が都合が良い事も多くてね。……それより、詳しく聞かせてくれないか」

「俺も詳しくはわからないけど、状況からしてそうとしか考えられないんだ」


 電話を取った途端、目の前に現れた事を告げる。

 話している間、久家は顎に手を当て、興味深そうに繰り返し頷いていた。


「そもそも……いや今は目的より彼女か。君は彼女が何者なのか知っているかい?」

「何者も何も……幽霊、ですよね?」


 そうとしか言えなかった。

 他に候補を挙げるとすれば妖怪とかであろうか。妖怪にしては今風すぎるが。


「夕暮れ広場の幽霊」

「え?」


 夕暮れ広場とはここの名称だ。

 あまりに捻りのない名前を重々しく言ってきたせいで、すっとんきょうな声を出してしまう。


「巷で広まっている都市伝説さ。元々、ここには多種多様な幽霊が出るとされていた。……が、ここ数ヶ月、特定の幽霊が出るとの噂が広まった」


 拓也に聞いた話だった。

 都市伝説だったのかと思うと同時に、だからどうしたとの感想を抱く。

 そこら辺の細かいジャンル分けに意味はない。


「いや、違いはある」


 表情から内心を読み取ったのか、久家は否定する。


「一つ、都市伝説の方が伝播性が高い。多かれ少なかれ肉付けがされているからだ」

「まあ、それは……」


 起きた事象に対し、人々が後付けを行なっていくものだとの認識がある。

 ならば、必然的に人に伝える、伝えて面白い形へと昇華されていくだろう。


「二つ、対処方法が存在する。……必ずしもあるわけではないがね」


 頷く。

 話が作られていく最中、必然的に対処法が模索される事になる。

 対処不可能なケースも魅力的ではあるが、あくまでごく稀にあるからであり、だからこそ多くの伝説には窮地を脱出する手立てが存在する。


「三つ、事実である必要がない」

「……噂な時点で真実味だけがあれば良いのでは」

「ふふっ、言い方が悪かったね。都市伝説と化した時点で元となる事件の存在は問われない……そういう話だ」

「うーん」


 頭を捻る。

 わかるような、わからないような……。言葉遊びでしかない気がする。


「納得できないなら構わない。人それぞれ考え方があるものだ」

「そう、ですね」


 久家の雰囲気のせいだろうか。この世の理かのように聞こえたのだ。

 受け入れる本能と抗う理性の争いが葛藤を生んでいた。

 だが、彼女の言う通り考え方の違いでしかない。

 気を取り直して話を件の幽霊へと戻す。


「とにかく、あの幽霊相手だと距離は意味ない。安全圏があるかわからないけど……」

「落ち着きなさい。彼女も直ぐにはやって来ないはすだ」

「そういえば、幽霊に何かぶつけてましたよね? 光っていましたけど、あれは何なんですか?」


 すっかり忘れていた。

 彼女は何かしらで幽霊を一時撃退したのだ。

 手段次第では対応が随分楽になる。


「光っていた? 君には光って見えたのか?」

「は、はい……」


 あれ、光っていなかったっけ?

 光源のような何かが頭上を通過していった気がしたのだが。

 不安げに返すと、久家は突然笑い出した。

 いきなりの事に目を白黒させる。

 終始落ち着いていた女性がいきなり大口を開けて笑い出したのだ。驚きもする。


「す、すまない……。まさか、光って見える人がいるとは……」


 目尻の涙を人差し指で拭いながら、逆の手の平をこちらへと向けて広げる。

 中には馴染みのない袋に入った飴があった。


「これは?」

「これはべっこう飴だよ」

「べっこう飴って、口裂け女で聞くあれですか?」


 久家は肯定するように首を縦に振る。


「初めて見た。それで、べっこう飴がどうしたんですか」

「これだよ」

「へ?」

「投げたのはこれだよ」

「……ワンモアプリーズ」

「べっこう飴に光を見出すとはやるな、秀人」

「………………」


 穴があったら入りたい……。

 顔が真っ赤になっているのがわかる。

 そりゃ、爆笑するだろうよ! 俺だってする!


「ふ、ふふっ、気にする事はない。ほら、街灯の光に照らされると、確かに光り輝いて見えるよ」

「追い討ちはやめてください……!」

「ちなみに、直ぐにはやって来ないというのは」

「飴を舐め終わるまで時間がかかるからですね! わかりますよ!」


 存外、庶民的な人だった。

 からかってくる様は外見相応の愛らしさがある。

 くそ、ツラの良い奴はずるいよな。イジってくるのも魅力の一つになるのだから。


「……あれ、べっこう飴? あの幽霊はべっこう飴が好きなんですか?」

「そうだ。夕暮れ広場の幽霊は口裂け女の亜種だからな」

「口裂け女の……」


 久家は語る。

 自分の容姿に自信のない女子高生がプチ整形を受けた際、誤って目の付近に大きな傷を負ってしまった。

 元々、鋭い目つきがコンプレックスだったのに、傷のせいで余計に怖がられるようになってしまい、終いには口裂け女の親戚だと揶揄され、人前に出られなくなってしまう。

 けれど、ある日を境に彼女は夜な夜な外に出歩く事になる。

 そう、きっと私の目を受け入れてくれる人がいるはずだと。

 傷跡が分からないようにサングラスをかけ、男性へと声をかける。“私、綺麗?”と。

 誘いに乗ってきた男は彼女を褒めるだろう。すると彼女はサングラスを外し、これでもかと問う。

 その目つきは、荒んだ心により、この世の物とは思えない程、鋭いものになっているという。


「私が聞いた話は以上だ。携帯を通じて男を探し出すとは知らなかったがね」


 まあ、後付けされたのだろうと久家は言う。


「都市伝説にも種類がある。夕暮れ広場の幽霊の様に亜種であれば対処法も自然と似通っている」

「まるで、専門家みたいですね」

「まるでも何も……専門家ではないか」


 私の得意分野はむしろとブツブツと呟く。

 口数の多い人だ。


「………………」

「腑に落ちないようだね」

「いや……」


 反射的に否定しようとするが言葉は続かない。

 彼女の言う通りだったからだ。


「都市伝説というものは曖昧だ。後付け一つで根底から覆る可能性を秘めている。だから、気になる点があるなら言って欲しい。……ああ、それとも都市伝説が実在する事を受け入れられないのかな」

「……いえ、都市伝説かどうかはわからないですけど、あんな者を見た以上、否定する気は起きません。少なくとも俺の知らない世界はある」

「では、君の胸につかえる違和感の正体は」


 朧げな記憶を頼りに必死に姿形を思い出す。

 ……やはり、


「裂けていなかった……」


 偶像は線を結び輪郭をはっきりとさせていく。


「目なんて裂けていなかった。サングラスもしていなかったし、もちろん綺麗かどうかなんて聞かれなかった……!」

「……それは」


 久家の目つきが鋭くなる。


「目なんてなかった。あるのは空洞……奥には闇があって……輪郭は鋭いどころか丸かったぐらいだ」

「…………本当か?」

「本当だ! それに彼女が口にしたのは三つだけだった。見つけた、憎い、死ね」

「話が、随分と違うではないか……」

「だろ!? だから、俺てっきり噂通りイジメを苦に自殺した生徒の霊だとばかり……」


 あれ、そういえばこの噂の出どころは誰だったっけ?

 拓也に聞いたのは覚えているけど、噂になっているって話だったか、そう思うって話だったか、記憶が定かでない。


「ま……か………も…………える…………」

「久家さん?」


 動揺を隠せない震え声に視線を久家へと向ける。

 彼女は、目を見開き、けれども口角を上げ、唇をワナワナと震わせていた。


「ど、どうかしたんですか!?」


 異変が起こったのかと慌てて肩を掴み、声をかける。

 久家はハッと我に返り、胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。


「すまない……。想定外の事態に恥ずかしながらフリーズしてしまったよ」


 そんな様子には見えなかったが……。

 本人がそう言うのだから納得するしかないのだが。


「それよりも、君の聞いた話を詳しく教えてくれないか」

「えっ、詳しくも何もこれぐらいしか知らないんだけど」

「そうか……。ちなみに誰に聞いた?」

「友達、です。そいつが誰から聞いたかはちょっと……」


 妙に緊張し、滑らかに話せなかった。

 先程の久家の様子が脳裏にこびり付いているからだろうか。


「……実は私も似た話を知ってはいる」

「そうなんですか!?」

「ああ」


 久家が言うには、都市伝説について調べている際、自殺した生徒の霊の話もあったという。

 けれど、目裂け女の話の方が圧倒的に多かったため、こっちに違いないだろうと決めつけていたらしい。


「……の割には驚いていたような」

「フリーズしたのは別の要因だからだ。詳しくは聞かないでくれ。話したくない事もある。自らの恥部を晒す様な場合は特に、な」


 久家のような綺麗な女性から恥部との言葉が流れるとどうにも気恥ずかしくなる。

 納得はいかなかったが、かといって追求するだけの度胸はなかった。


「ふっ、秀人は紳士だね」

「からかわないでください……」


 内心を見抜かれ、がっくしと肩を落とす。

 俺は深夜に何をやっているのだか。


「……剛!」

「どうした、いきなり」

「俺の友達なんですけど、そもそも剛が助けてってメッセージを送ってきたから俺はここに来たんですよ!」


 幽霊が実在する以上、早く見つけなければ剛の身が危ない。

 慌てる俺とは違い、久家は何か考え込んでいる。


「剛とは身長180cm後半はあるであろう髪をド派手な金髪に染めている大男の事か?」


 あと、見た目の割に情けない声をあげると情報を追加する。


「つ、剛だ! 間違いなく剛だ! 剛以外にいるか、そんな特徴!」

「探せばいる程度のパーソナリティだが……そうか、彼が剛か。なら、大丈夫だ」


 彼は既に安全な場所にいるはずだと久家は得意げに胸を張るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただのウワサバナシ @kabakaba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ