第2話

 ギリギリ終電に間に合ったため、十五分足らずで目的地に着いた。

 ……帰りの事は今は考えない。

 バーベキュー広場は当然ながら人っ子一人いない。

 周囲を見渡してみるも特段変わった物は……。


「電話ボックス?」


 奥の方にぼんやりと光る電話ボックスを見つける。

 電話ボックスなどテレビやゲームでしか見た事がないので、本当にそれかはわからない。


「携帯は繋がるのに」


 緊急時の連絡手段と考えればおかしな事はないのかもしれない。

 しかし、今置かれている状況のせいで、どうにも不気味に映ってしまう。

 心臓がうるさく鳴っている。


「既読は……ついてないよな」


 チャット画面を確認するも、相変わらず音信不通のままだ。

 このまま、闇雲に周囲を探す前に、“あれ”を確認しておくべきではないだろうか。

 根拠とまでは呼べないが、ある程度可能性を感じていた。

 噂の女子生徒が近年の人でないのだとしたら、電話ボックスを通じてアクションを仕掛けてくるかもしれないからだ。


「よ、よし……!」


 深呼吸を数度行い、気合を入れて電話ボックスへと近づく。

 近づいてわかったのは、電話ボックスが光源ではなく、斜め後ろにあった街灯が照らしているだけだという事。

 ぼんやりとしていたのは、これが原因だ。少しだけ安心する。


「押せば良いんだよな」


 誰に聞くでもなく、扉を押す。くもなく開いた。

 中に入る。想像よりも圧迫感があった。

 扉を片手で押さえつつ、受話器を手に取り、耳に当てる。

 スピーカーからは何も聞こえてこない。


「も、もしもし」


 こちらから問いかけてみる。


 ………………

 …………

 ……


 しばらく待ってみるも虫の鳴く声のみが響いていた。

 違ったかと受話器を戻し、ため息を吐き、電話ボックスを出る。


「お金を入れないとダメだよ」

「うわっ!?」


 斜め後ろから声をかけられ、悲鳴を上げてしまう。

 慌てて、距離を取り、振り返るとそこには……。


(黒髪ロングの女子高生……!?)


 すんでの所で声に出すのを堪える。

 何にせよ、口にするのは得策ではないだろう。


「申し訳ない。驚かせるつもりはなかったんだ」

「あ、ああ」


 女性は、情けない姿を笑うでもなく、逆に謝罪してきた。

 どうにも、件の幽霊とは思えなかった。

 幾許かの安堵感は精神にゆとりをもたらしてくれる。

 やっとこさ、目の前の女性の姿をはっきりと確認出来た。


 長く綺麗な黒髪は、街灯に照らされ、淡く、神秘的な光を灯している。

 大きな目はまるで猫を想起させ、整った造形や白い肌は精巧な日本人形のようだった。

 拓也の言っていた人はこの人だと直感的に理解する。

 それ程までに綺麗な女性だった。時間や場所を考慮しなければだが。

 あまりに不釣り合い……いや、ある意味ではとてもマッチしている。

 幽霊ではないだろうが、かといって安心できるものではなかった。


「声をかけるつもりはなかったのだが、電話ボックスの使い方を知らないようだったから遂」


 そう言って電話ボックスを指差す。

 確かに、俺の行動は第三者からすれば奇異に映っただろう。

 彼女の解釈も最もだ。


「いや、これは……」


 咄嗟に訂正しようとするが、考え直し、あはははと乾いた笑みを浮かべる。


「そ、そうですか。お金を入れたら良かったんですね」


 それは盲点だったと後頭部をかく。

 抜けた人だと思ってくれただろうか。それとも、とんでもない馬鹿と思われただろうか。

 どちらにせよ、目をつけられなかったらそれで良い。


「……大丈夫かい?」


 俺の胸程度の高さ(150cmぐらいだろうか)しかないにも関わらず、彼女のこの威圧感はなんなのだろうか。

 まるで、積み重ねてきた年輪が違うかのような違和感。

 大きな茶色の瞳には全てを見透かされる……そんな錯覚を起こしてしまう。


「…………大丈夫です」

「そうか。なら、良かった」


 頼む。笑みを引き攣らないでくれ。

 無理やり持ち上げられた口角は、元に戻せと暴れている。

 早く会話を終わらせ、ここから離れなければ。


「じゃあ、失礼します……」

「待て」


 頭を下げ、踵を返すもそうは問屋が許さない。

 女性のシンプルな物言いに自然と足が止まる。

 バレないように呼吸を整え、改めて笑みを作り、振り返る。


「な、何ですか?」

「どうして、ここに?」

「……ちょっと、野暮用がありまして」

「こんな時間にか? 明日ではダメなのか?」


 全て貴方にも言える台詞では……とは言えない。

 墓穴を掘る事になる。


「き、緊急の用件で……あ、明日だと間に合わないかもしれないので」


 辿々しく言い訳を並べ立てる。

 けれど、女性は全く納得がいかないご様子。

 目を細め、思案するように口元に手を当てる。


「肝試し、ではなさそうだな。腰が引けている」


 それは言わないでください。

 どうにも、思考する時、考えが口につく人のようだ。

 指摘するのもあれなので黙って見守る。


「なら、用件とは? 恐る恐る電話ボックスに入る様子、知らなかったのではなく、あえてお金を入れなかったのか? そんな噂ではなかったが……いや、伝聞とはいくらでも齟齬が出るもの」


 ブツブツと考えを漏らしている姿を見て、もしかしたら警戒しなくても良いのだろうかとの考えが浮かぶ。

 だからといって事態は好転しないが、心理的負担が減るのはありがたい。


「君は、噂を知っていて来たのかい?」

「…………」


 さて、どうしたものか。

 彼女は、警戒すべき人物ではないかもしれない。

 かといって無条件で信頼すべき人では間違いなくない。

 そもそも、俺の懸念そのものがあまりにも現実離れしている。

 “念の為”、最大限に警戒しているが、心の底から幽霊を信じているわけではない。

 証拠に広場は平和そのもの。電話ボックスもおかしな事は起きず、心霊現象など起きる様子すらない。


「噂、ですか?」


 故に、すっとぼける事にした。

 素直に答える義理もない。


「ふむ。自然体だ。嘘だとすれば相当な嘘つきだな」


 酷い言い草だ。

 だが、その様が似合っているため嫌悪感はない。


「わかった。変な事を聞いてすまなかったな」

「いえ、それは別に……。あの、噂っていうのは」


 聞き返さない方が嘘くさいので、おずおずと尋ねる。


「いや、気にしないでくれ。よくある噂さ」

「そうですか……」


 よくあるのは確かに。

 イジメを苦に自殺した霊の話など、定番といえば定番だ。

 ……当人の気持ちを考えると、あっさり流すのは気が引けるが。


「時に、ホラーは好きかな?」

「え? ホラーですか? ……ええっと、あまり得意ではないですね。見るのもやるのもちょっと」


 タイミング、方向性をズラしてきた。

 が、気を抜いてはいなかったので上手く対応する。


「むう」


 不満気に口を結ぶ姿に笑いが漏れてしまう。

 拗ねた様は外見相応の可愛らしいものだったためだ。

 幸い、彼女は気づいた様子を見せず、またもブツブツと呟く。

 先ほどよりも小さく、今回は聞き取る事が出来なかった。


「引き留めてしまって悪かった」

「気にしないでください。では」


 頭を下げ、今度こそ広場の奥へと歩き出す。

 時間が経ったので改めてチャットを確認するが、当然ながら変化はない。

 ため息を吐き、歩むスピードを上げる。

 そんな俺の背を彼女はジッと見つめていた。


「…………」


 振り返ると目が合う。

 彼女は、バッと勢いよく視線を逸らす。

 再び歩き出し、またも振り返る。

 やはり、目が合い、素知らぬ顔で視線を逸らす。

 やり取りは角を曲がり、視線が遮られるまでの間、何度も行われた。


 ……まあ、俺が振り返らなければ良いだけなのだが。

 あの様を見ると安心できたので何度もやってしまった。

 不思議な人だったが、害をもたらす存在ではないだろう。

 最終的な結論を下し、改めて気を引き締める。

 幽霊などいるわけがない。

 けれど、俺の想像を超える事柄などいくらでもあるだろう。


「っ!」


 広場の中ほどに到達した所で携帯が震えた。着信だ。

 慌てて電話に出る。


「剛か!?」


 やはり、剛からの返事はない。

 電話はすぐに切れてしまった。


「……流石にイタズラではすまないぞ」


 これで確信できた。

 幽霊かはともかくとして、非常事態の可能性は高い。

 携帯を落とし、拾った人がイタズラのつもりでからかっている……のが一番平和なパターンだろうか。

 可能性は低いと言わざるを得ない。


「もしもし?」


 三度目のコール。


『…………』


 スピーカー越しに何者かの気配を感じる。


「目的は何だ。剛はどうした」


 短く、けれど力を込めて問う。


『……イ』

「聞こえない。もっと大きな声で言ってくれ」


 呼吸が浅くなり、背筋に嫌な汗が流れる。

 大丈夫。電話の相手は剛に恨みがある(と仮定する)女性だ。

 何故、俺に電話してくるかはわからないが、きっと助けを求めるチャットを送ったからだろう。

 だから、強気の姿勢を崩すな。心で負けるな。


『ニ……イ』

「に? い? 何が言いたい」

『ニ ク イ』


 無機質なノイズ音が流れる。切られたようだ。

 膝に手を当て、息を整える。

 思った以上に精神力を削られたようだ。


 怖すぎるだろ! 勘弁してくれよ!


 泣き言を心の中で叫ぶ。

 幽霊なんているはずかない。だとしたら、電話の相手は生身でこれ程の恐怖を撒き散らしている事になる。


 それはそれで怖いだろうが!


 もう一度、叫び、顔を上げる。


「ニ ク イ」

「っ!?」


 目の前、伸ばせば触れられる距離にそれはいた。

 いつの間に、何だこいつ、逃げないと……突然の事態に脳が混乱し、体は地面に縛りつけられたように動かない。

 緩慢な動きのまま、伸ばされた手が俺の顔へと向かってくる。

 そこで思考が統一された。


 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!


 指先が触れるか触れないかのところで足が離れる。

 脇を抜け、一目散に駆け出す。後ろを見る暇も勇気もなかった。

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