第30話 ひとりでいることの自由と不自由

僕は団体行動がとても苦手だ。大勢で何かをするというのは、どうしても自分には合わない。何かを一緒にやるとき、どうしても他の人のペースや意見に合わせなければならず、自分自身の考えや感覚が押し潰されてしまうような気がする。だから、ひとりで行動することの方が圧倒的に楽で、好きだ。


ひとりでいる時の自由は、とても心地良い。誰にも気を使わず、自分の好きなように過ごすことができる。何をするか、どこに行くか、その選択肢が全て自分に委ねられているという感覚が、僕にとっては何よりの安らぎだ。例えば、休日に本を読んだり、カフェでゆっくりと時間を過ごしたり、ひとりで映画を観に行ったり。そういったひとりの時間が、僕の心を落ち着かせてくれる。


でも、社会はそう簡単にひとりでいることを許してくれない。学校や職場、家族の中では、何かと団体行動を求められる。集団の中で一緒に行動し、協力することが当たり前だとされている。だから、ひとりでいたいと願うことが、わがままであるかのように見られてしまうことも多い。


団体行動が求められる場面で、僕はとても居心地の悪さを感じる。周りの人たちに合わせて何かをするということが、どうしても自分にはしっくりこない。誰かが決めたルールやペースに自分を合わせることが、まるで自分の存在がそこに馴染んでいないかのように感じられる。


一度、職場の研修旅行でのことだった。みんなでバスに乗り、決められたスケジュールに沿って観光地を巡る。食事の時間や見学の時間、トイレ休憩までが全て決められている。その中で、僕は自分のペースを失い、まるで誰かに操られているかのような気分になった。好きな時に好きなことができない不自由さが、体全体に重くのしかかる。


「ひとりになりたい」と思っても、それを口にすることはできなかった。皆で一緒に行動するのが当然だという空気の中で、ひとりになりたいという願いを表明することは、まるで集団の輪を乱す行為であるかのように感じられたからだ。その結果、僕はずっと心の中で息苦しさを感じながら、ひたすらその旅行が終わるのを待っていた。


家族や友人との関係でも、ひとりの時間を大切にしたいという気持ちが理解されにくいことがある。例えば、友人から「みんなで食事に行こう」と誘われても、どうしても気が進まない時がある。そんな時、「ひとりでいたい」と言うと、「どうして?」と聞かれたり、「たまには付き合いなよ」と言われたりすることがある。その度に、自分の気持ちをどう説明すればいいのか困ってしまう。


ひとりでいることが悪いことではないと、自分ではわかっている。けれど、社会の中で「ひとりでいること」自体が、どこか「変わったこと」として捉えられることが多い。ひとりでいることを好むことが、まるで「協調性がない」とか、「友達がいない」といったレッテルを貼られる原因になってしまうことがあるのだ。


それでも、僕はひとりでいることの自由を手放したくはない。ひとりでいる時間こそが、自分自身を取り戻すための大切な時間だからだ。団体行動が苦手なのは、決して「他人が嫌い」というわけではなく、自分のペースや感覚を大切にしたいからなのだ。


もちろん、全ての団体行動を拒否して生きていくことは難しい。社会の中で生きていく以上、誰かと協力し、他者と関わり合っていかなければならない場面は避けられない。だけど、その中でも自分の心を守り、ひとりでいる時間を大切にし続けたいと思う。


これからも、ひとりの時間と集団の時間、そのバランスを自分なりに見つけていきたい。自分の感覚を大切にしながら、無理せずに他者と関わり、自分らしく生きていけるように。そうすることで、心の中のバランスを保ち、自分自身を見失わずにいられるのだと思う。


ひとりでいることが好きだからこそ、その時間を大切にしながら、少しずつ自分らしい生き方を模索していきたい。団体行動が苦手な自分を責めるのではなく、受け入れながら、自分らしいペースで歩んでいこうと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る