第2話

「キャウ、キャウ!」

 待って、待って、なんでイケメンに首根っこを掴まれているの?

 せめて優しく抱っこでしょう?

 ネコじゃないんだから!


「キャウキャウうるさいな」

 ルークは犬を顔の高さまで持ち上げると、犬と視線を合わせた。

 

「キャウ」

 イケメンの顔が近い!

 ジタバタと短い足を動かす結実。


「お犬様になんてことを!」

 幼馴染のチャーリーが顔面蒼白で注意すると、ルークはようやく普通の抱っこに変えた。


「小さいな」

 あれ? この人、犬を抱っこするのに慣れている?

 腕の中にすっぽりはまってしまった結実は意外に居心地が良いことに驚いた。


「お犬様をおもてなししなくては」

「お犬様、命を救っていただきありがとうございます」

 なんだかよくわからないけれど、歓迎されているんだよね?


 イケメンの整った顔が近い。

 黒髪、緑眼でモデルのような顔立ちだ。

 

 さっきこの人と肩を組んでいた人は眼鏡のイケメン。

 茶髪、茶眼の優等生タイプ。


 みんな同じ服を着ているから仲間なんだよね?

 アニメや漫画の騎士っぽい服だけれど。

 

 イケメンが歩くと、心地よいリズムで揺れる身体。

 どうしよう。なんだか眠たくなってきた。

 温かくていい匂いがする腕の中で頭から背中にかけて優しく撫でられている結実をだんだん睡魔が襲う。

 

 眠っている場合じゃないけれど、もう限界……。

 結実はあっという間に眠りに落ちた。


    ◇


 お風呂に入れられて毛はふかふか。

 豪華な食事でおなかいっぱい。

 かわいい、かわいいと褒め称えてくれるメイド服のお姉さんたち。


 これはものすごく歓迎されている?


「ルーク様、お犬様のお支度整いました」

「あぁ」

 あ、さっきのイケメンだ。

 ルークって言うんだ。

 裸にガウンはセクシーすぎるけどね。

 

 ひょいっと抱っこされ、隣の部屋へ。

 ふかふかのベッドに乗せられた結実は心臓が飛び出るほど驚いた。


「キャン!」

 まさか一緒に寝るつもり?


「キャウキャウ!」

 嘘でしょ、イケメンと?


「キャウキャウうるさいから、おまえの名前はキャルだな」

 寝転びながらキャルの頭を優しく撫でると、ルークは枕とクッションを整え、キャルが眠りやすい高さに変える。


「……今日はキャルのおかげで助かった。ありがとう」

 ベッドの横の小さな明かりが消され、部屋が暗くなる。


「明日、俺と瘴気の森に行ってくれるか?」

「キャウ?」

 瘴気の森?


「あの森の瘴気に長い間包まれると病に侵されて死ぬ。だが犬と一緒なら大丈夫なんだ。お前は女神が俺たちに遣わした女神の化身だろう?」

「キャウ?」

 全然意味が分からないけれど、どういうこと?

 女神って私を犬にしたあの人?

 瘴気って?

 病気で死ぬなんてイヤだけれど?

 

 聞きたいことはたくさんあるのにイケメンはもう寝ている。

 名前はキャルなの?

 私は結実だけれど?

 なんで犬になっちゃったのかな……。


 その日、結実は夢を見た。

 ポメラニアンの姿の自分が金髪の美少女に変わる夢。

 柔らかそうな髪はポメラニアンの毛のように細く、クリッとした大きな目をした絵本に出てくるお姫様のような女の子だ。

 ポメラニアンのお腹の白い部分のようなふわふわのワンピースに白い靴。

 犬じゃなくてこんな美少女だったらよかったのになと思いながら、結実は夢の中で目を閉じた。


 

 深夜0時。

 人の気配を感じたルークは目を覚ました。

 ここは辺境伯邸の自分の寝室。

 この部屋に侵入できる者などいるはずがないのに。

 

 目を開けるとベッドの上には白い服を着た金髪の女性。

 月明かりに照らされた髪はまるでポメラニアンのキャルのような色。

 少し丸まった姿で寝ているところも犬のようだ。

 天から光と共に降りてきた女性と同じ金髪に白い服。


「……キャル?」

 まさかと思いながらもルークは金髪の女性に釘付けだった。

 

 満月が雲に隠れ、部屋が急に暗くなる。

 

「……うそだろ」

 金髪の女性は一瞬でポメラニアンの姿に。


「本当に、女神の化身……?」

 再び満月が雲から顔を出し窓から月明かりが差し込むと、ポメラニアンは金髪の女性の姿に変わった――。

 

 

 翌朝、目を覚ましたキャルは目の前の寝不足なイケメンに戸惑った。

 目の下のクマは何?

 え? まさか、私の寝相、そんなに悪かった?


「……キャル、おまえ犬は仮の姿なのか?」

「キャウキャウキャウ!」

 そうそうそう!

 そうなの、人なの!

 尻尾がパタパタと揺れ、小さな耳もピクピク揺れる。


「本当に、女神の化身だったんだな」

 ルークはキャルの頭をグリグリ撫でながら切なそうに笑う。

 キャルは小さな顔をキュッと横に傾けた。


「ルーク様! ルーク様!」

「どうした?」

「森を! 森を見てください!」

 扉が開くのが先か、話しかけるのが先かと言うほど慌てた家令の指示に従い、ルークはベッドから起き上がると窓へ。


「……霧が、晴れている?」

「こんなに晴れたのは5年ぶりです」

 まだブルーノ様が生きておられた日以来ではないでしょうか? と大興奮の家令は、ベッドの上の小さなキャルを見ながら涙を浮かべた。


「あぁ、お犬様、ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 キャルはルークにベッドから抱きかかえられ、窓から外の景色を見せられた。

 部屋の窓から見えるのは森と街。

 森の手前の方は普通の森で、奥の方は霧がかかったようにモヤモヤしている。


 ……なにかおかしいの?


「キャルのおかげだ」

 抱きかかえられたまま頭をグリグリ撫でられるけれど、どうして私のおかげ?

 

 よくわからないけれど、ルークが嬉しそうだからまぁいいか。

 キャルはまん丸の目をルークに向けながらペロッと舌を出した。

 

 

 豪華な朝食のあとは抱っこされてお散歩だった。


「キャウ?」

 散歩だよね?

 自分で歩いた方がよくない?


 ルークは黄色の紐が付けられた木の横を歩いていく。

 目印なのかな?

 この森って迷子になるの?


「……すごいな、瘴気の霧が晴れている」

 全然苦しくないとルークは驚きながら進んでいく。

 黄色の紐はいつの間にか赤い紐に。


「瘴気濃度が基準値以下か……」

 ルークは瘴気測定器を見ながら信じられないと呟いた。


 ここは瘴気濃度が危険なことを示す赤い紐の地域。

 5分も耐えられないはずなのに全く苦しくない。

 先代の犬、ドーベルマンのブルーノは半径3メートルだけ瘴気を避けることができた。


 だがキャルは違う。

 瘴気を避けるのではなく、まるで消し去っているかのようだ。

 その証拠に振り返れば、歩いてきた道の部分だけ瘴気がない。

 やはりキャルは女神の化身なのかもしれない。


 今まで行ったことがないほど奥へ進んだルークは、森の中に沼があることを初めて知った。


「キャルはすごいな」

「キャウ?」

 ルークはキャルを大切に抱えながら、森を自由に歩き、辺境伯邸へ戻る。

 

「……会いたくない奴がいるな」

 屋敷の前で吠える犬の姿に、ルークは眉間にシワを寄せた。

 

 この森の向こうは隣国レイド国。

 この国から犬を奪った奴らだ。

 その国の紋章がついた派手な馬車に乗って、わざわざこの国にやってくるのは、厄介なあの女だけ。


「ルーク!」

 犬10頭に守られた馬車から降りてきた王女クリスティーナの登場にルークは苦笑した。

 真っ赤なドレスに眩しいほど派手な装飾品、ストレートの黒髪は腰まで長く、性格はキツくてワガママな幼馴染。


「何しに来た」

 ルークがジロッとクリスティーナを睨むと、抱きつこうと近づいたクリスティーナの足がピタリと止まった。

 

「まさか……犬?」

「あぁ。女神の化身が現れた」

「そんなの一匹でなんとかなるわけないでしょう?」

 クリスティーナは扇子を広げながらルークを嘲笑った。


「早く私と結婚しましょう? そうすれば欲しいだけ犬をあげるわ」

「断る」

 さっさと帰れとルークは屋敷に向かって歩く。


「王女に対してなんと無礼な!」

「たかが辺境伯のくせに王女を無碍に扱うなんて」

「勝手に押しかけたのはそちらだろう」

 ふざけるなとルークは護衛を睨みつけた。


「後悔するわよ、ルーク」

 クリスティーナはギリッと奥歯を鳴らしながら扇子をグッと握りしめる。

 ルークは振り返ることなく、屋敷の中に。


「……あの犬、始末しなさい」

「で、ですが、お犬様を大切にしないと天罰が、」

「騎士のくせに天罰を信じているの?」

 みっともないとクリスティーナは騎士に扇子を投げつけた。

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