第37話
お城で演奏会
リハーサルもあって、忙しくしていると、莉里は距離を取ろうとする。だから俺はスタッフに莉里を姉だと紹介して、自分の母親が子どもの頃に亡くなったから、頼りにしてると言った。半分嘘だけど、半分本当だった。そしたらスタッフは同情してくれて、お城の広間に用意された観客席に案内してくれる。
「莉里、そこで聞いてて」
やっぱり石造りで、天井が高いので音が響く。固い音も強すぎさえなければ丸く広がった。早々に自分の曲を弾くのを止めて、莉里のために悲愴第二楽章を弾いた。
スタッフは驚いたけれど、止めにはこなかった。次の人が来るのが遅れると連絡があって、俺はそれを聞いていたからだ。
弾き終わると、両足をきちっと揃えた莉里が一人で拍手をしてくれた。
「一生、聴いていたい」
「うん。そうして」
日本語の分からないスタッフは何を会話しているのか分からないようだったが、なぜか感動してくれた。
お城とは言え、装飾品もなくただ天井の高いがらんとした場所に椅子が並べられている。コンサートが行われる夜になると少し怖い雰囲気がしそうだった。
日が暮れるまで少しあたりを散策したけれど、森以外ほんとうに何もなかった。
「莉里…」
「ここにピアノがあったら、森のコンサートができるね」と笑ったから「同じこと言おうとしてた」と言った。
幸せそうな笑顔が浮かぶ莉里を見て、ピアノを弾く真似をしてみた。風が木々を揺らして音を鳴らす。鳥のさえずりが聞こえて、ゆっくりと夕日が空を赤くしていった。
「風が冷たいし、戻ろうか」
「うん」
莉里の手を取って、お城まで戻る。
何だかふとヘンゼルとグレーテルの話を思い出した。森の中を姉弟で彷徨う話だった。魔女のお菓子の家じゃなくて、俺たちはかつて栄華を謳ったお城に行く。
「律頑張ってね」
「うん。街に帰ったら遅い晩御飯食べよう。何がいい?」
「何があるかなぁ」
「なんかあるでしょ? ヤギのチーズが名産らしいけど」
「あれ…少し苦手。匂いが」
「そっか」
そんな話をしていると、森を抜け、お城が見えた。夜だからライトアップされているし、お客さんがぞろぞろと歩いてくる。ドレスアップしている人もいれば、わりとカジュアルな服装の人もいた。
「綺麗…」と莉里はライトアップされたお城を見ている。
「うん。…いつかオケとコンチェルトしたいな」と俺が言うと、莉里は首を傾げた。
「コンチェルト?」
「オケと一緒に演奏する曲…」
「それがいいの?」
「良いって言うか、やっぱりオケと一緒に演奏したいよ。そんな機会がなかなかないけどね」
「大丈夫。きっと律はすごく有名になるから」
「そうかな。あ、日本でレコーディングもしてきたんだ」
「え? すごい」
「売れないけどね」
「まぁ…クラシックはなかなか…難しいよね」と莉里は困ったような顔をする。
「心配しないで。いつか莉里を養えるから」
「えー? 私も頑張る」
そんな風に話しながらお城についた。お城は広いからあまり外に出るもんじゃないな、と思った。移動するだけで疲れる。楽屋にしている部屋の前で莉里とバナナを食べる。
「頑張るからね。客席じゃなくて、舞台袖くる?」
「え? いいの?」
「いいよ。莉里はいい子だから静かにしてられるでしょ?」とからかったのに、素直に頷いた。
本番に出る前に莉里の頬に頬を寄せた。別にしなくてもいいけど、ちょっとお守り替わりにしただけだった。
人が入っている分、空っぽの時と音が違って響く。それでもできるだけの響きを掴んで演奏した。演奏が無事に終わって、拍手をもらう。お辞儀を綺麗にして、舞台に戻らずにピアノの前に座った。
ざわめく会場を他所に俺は勝手にアンコールを弾く。莉里のために悲愴の二楽章を演奏する。知らない森の奥のお城で、莉里のためだけに演奏した。後で怒られるだろうな、と思いながら、それでも莉里のために何かしてあげたかった。
最後の一音を鳴らして、手をそっと上にあげると、恐ろしいほどの静寂が起こり、その後、ゆっくりとなぜか遠慮がちに拍手が起こる。そして立ち上がって、お辞儀をした時にはさっき演奏した時よりも大きな拍手だった。
(最初の曲、結構、難しい曲だったから、練習頑張ったのに…)と思いつつ、舞台袖に戻った。
怒られるかと思いきやスタッフに「よかったよ」と言われた。
その後、オケの準備が始まるから休憩になった。
「莉里、客席に戻る?」
「…律は?」
「帰ってもいいって。もちろん聞いて帰ってもいいけど。帰ろっか。疲れちゃった」
「うん。じゃあ、帰ろう」
タクシーを呼んでもらうことにした。森の奥なので、ちょっと待ち時間があるだろう、と言われる。素早く着替えて、出ようとすると、休憩中のお客さんに声を掛けられる。
「良かったよ。特にあのアンコール」
「すごく感動した」
「胸が温かくなった」
いろいろ言ってくれるけれど、すごくよかったと言ってくれた。それを聞いて、莉里も
「うん。本当によかった」と言ってくれる。
それが何より嬉しかった。
お客さんに挨拶をしつつ、帰ろうと、長い廊下を歩くと今は人が俺たちだけだった。もちろん灯りはついているけれど、なんとなく不気味だった。
「律…」と言って、莉里から手を繋いでくる。
「大丈夫だよ」
そう言った声が響いて気持ち悪い。足音も響く。無言で歩くのも何だかなぁ、と思いながら、何かしゃべろうと思ったけれど、そういう時に何も思いつかない。外は真っ暗だ。
長い廊下が終わって次の部屋に移る。
「律…。今」
「ない、ない。何もないよ」
なんとなく目が慣れてないだけ、と言い訳をしようとした。次の部屋はなぜか間接照明で薄暗い。一瞬、黒い何かを見たような気がした。
「やっぱりオケ聞いて、たくさんの人に紛れて帰ればよかった」と莉里が言う。
「大丈夫だから」と本当は怖くて仕方がない俺は莉里の手をぎゅっと握りしめる。
約五百年前ほどのお城だから…そりゃ、古いから…と頭の中でぐだぐだ考えていると、莉里が横でくすっと笑った。
「え? 何?」と聞くと「律は…ホラー苦手だったね」と言う。
一緒に映画を見る時に絶対、ホラーは辞めて、と莉里に言っていたことを思い出したようだった。
「大丈夫。走って出よう」と莉里に言われてしまった。
そして駆けだすから、足音がものすごく響く。まるで後ろから誰かに追いかけられている気分になる。足音、二人分じゃない気がする。
遠い。出口まで遠すぎる。もうお城での演奏会は断固、断ろう。昼間なら受けるかもしれない。でも夜のお城は絶対にこれが最後にしよう、と思いながら走る。
塾帰りの莉里と一緒に走ったことが懐かしく思い出された。
その温かい思い出のおかげで、少し余裕が出て来た時、ぎぃぃぃと後ろで何かがきしむ音がする。さすがに莉里も足を止めた。
「莉里、行こう。もうほら、幽霊かもしれないけど、行こう」
「うん。律、大丈夫?」
「大丈夫。大丈夫。もう二度と、お城では演奏しないから」
早口で言って、また駆けだした。
出口が見えて、タクシーが近づいてきた時は本当に救いのヒーローが来た気がした。タクシーに乗り込むと二人とも、長い息を吐いた。
「何かあったの?」と運転手に聞かれる。
「…王様に会った」と言って、目を閉じた。
王様だとしたら、変な歓迎を受けてしまったようだ。しばらく黙っていたら、莉里が隣でくすくすと笑い出す。ちょっと情けなかったかな、と思って横を向くと
「怖かったねぇ」と優しく言ってくれた。
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