第34話

事件


 フォルダを開けると、二人が赤ちゃんを抱いて幸せそうな顔で写真に納まっている。レースで作られたドレスを着せられた俺が二人の間に納まっていた。それからいろんな写真がいつも二人で俺を可愛がっているものばかりだった。


「え?」


 偽装された写真のように、全く記憶にない。


「それで…あなたが二歳頃…あちらのお嬢さんが…」


(莉里が?)


「事件に巻き込まれたのよ」


 聞いたことなかった。


 あまりにもこちらの家で過ごすことが多いということで、莉里の四歳の誕生日にあの人が遊園地に連れて行ったらしい。


 その時、莉里が誘拐されたというのだ。犯人は若い男で、ずっと狙っていたようだった。メリーゴーランドに乗せて、あの人は外で莉里に手を振っていた。くるくる回るたびに、手を振っていたが、もうそろそろ終わりと言う時にふと魔が差したのか、携帯を見た。メリーゴーランドが止まっても莉里は降りてこなかった。


 しばらく探したけれど、姿が見えず、焦って走りまわったと言う。園の従業員にも声をかけて探してもらったところ、見えにくい植え込みのところで男といるのを発見された。


 その男は堂々として、まるで園で働いているように莉里を誘導していたらしい。


 そのことを誰にも言えずに、それからあの人は莉里の誕生日は必ず一緒に過ごすようにしていた、と言った。


「…それで」


 莉里の記憶にあるのか分からないけれど、男性と上手く付き合えない原因なのかもしれない。


「そう。それで…こっちにくる頻度が少なくなったのよ。それを知ったのも、あの子が事故で亡くなってから…」


「で、お母さんは…執着していった?」


「…そうね。突然、来ない日が多くなって、訳も教えてもらえないし…。情緒不安になったのね。それでピアノも弾かなくなったし」


 俺は何より小さな莉里がそんな被害にあっていたことに衝撃を受けた。大学の先輩と付き合っても触られるだけで気持ち悪いと言っていたのも、その事件が原因かもしれない。本人は覚えていないのかもしれないけれど、トラウマとして潜んでいた。

 胸が痛くなる。


「…あの人のこと、恨んでる?」と聞いてみると、祖母は首を横に振った。


「亡くなってしまって、どうすることもできない。だけど、こういうのを見てると、幸せだったんだ、と思って。それに判断を間違えたのもあの子だから」


 でも俺はやはり結婚をしていたのに、声をかけたあの人を許せなかった。莉里を危険な目に合わせたあの人を―。

 それは生まれてきた自分にも、似た感情を持った。



 だからパイプカットの手術をするのには抵抗がなかったし、むしろもう、この連鎖を止めたかった。俺が生きていていいのか分からないけれど、もうこれ以上は必要ないと思った。


 莉里にビデオ通話した時に行ったら、驚かれたし、心配された。莉里に事件のことは言えなかったけれど、それについて何もできない自分が歯がゆい。


「莉里…愛してる」


「私も」


 同じように繰り返す。言葉なんて、砂糖みたいに、その時甘いだけで、何も残らない。


 画面越しの莉里が柔らかく笑った。


「あのね」


「ん?」


「律が愛してるって言うの…好き。何だか…」


 言葉を待った。


「それ以上の言葉を探しているのが分かるから」


 言うたびに嘘をついている気がしてた。


 愛してると言うたびにゴミ箱のカードの言葉が浮かびあがる。


「だから…私も…愛してる」


 莉里が言う言葉はいつも優しくて、安心する。


「莉里…ありがとう。それと…ごめん」


 俺が生まれてきて…。

 莉里が事件に合った原因に俺も含まれている。


「え? 何が?」


「弟じゃなかったら…よかったなって」


 複雑そうな顔を一瞬見せてから笑った。


「そしたら、会う事なかったし…。いいよ」


 いつも優しくて、胸が苦しくなる。

 それなのに早く会いたい。

 

 通話を切って、目を閉じた。生まれた瞬間から間違えるなんてことがあったのかな。俺は神様がうっかり間違えて生まれさせたのかもしれない。

 

 日本の九月はまだまだ暑くて、目を閉じながら早く戻りたいと思った。

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