第45話

水みたい

 明け方目が覚めて、体のだるさを実感する。水を飲もうかと思って起き上がると、律に腕を回された。


「お水…飲もうと思ったの」


「取りに行くよ」と律が言ってくれる。


「いいよ。それぐらい、律もいる?」


「うん。でも大丈夫?」


「え? 何が? そこまで行くだけ」と振り返って律をみると、にやっと笑っていた。


「昨日、ちょっと激しくしちゃってごめん」


 恥ずかしくなって、律の腕を振りほどいて、ベッドから抜け出た。確かに足がふらつく。律が起き上がって、さっとベッドから降りた。


「お水取ってくるから待ってて」


「うん」


 大人しく待つことにした。確かに昨日はいつもより激しかったし…と思うと顔が熱くなる。でもそれは私が何も考えずに済むようにしてくれたんだと思った。


「おやすみ」と眠りに落ちる前に聞こえた声が優しかったから。


 私がベッドに腰かけて待っていると、律が水をコップに入れて持ってきてくれた。


「ありがとう」


「…莉里ってさ」


「ん?」と水を飲みながら聞き返す。


「優しいんだけど…」と律も水を飲んだ。


 気が利かないこととか、文句を言われるのだろうか、と身構えた。


「受け入れすぎだよ」


「え? 受け入れ?」


「何しても許してくれるから、なんか、いろいろしてしまった」


 昨日の夜のことの話だった、と思うと思わず安堵のため息が出た。


「あー、なんだ。私の性格で文句を言われるのかと思った」と言うと、律がコップを取り上げて、キッチンに戻る。


 綺麗な背中を見て、本当に大きくなったな、と思った。そして体をもう一度ベッドの中に入れると、もうすぐ朝が来るんだな、とぼんやり思った。律が戻ってきたら、私にのしかかってくる。


「莉里」


「何? する?」と私は手を伸ばした。


「そういうところ。何でも受け入れて…なんか嫉妬する」


「え? どういうこと?」


「他の人でもそうなんだろうなとか思ったら」


「律? 私、律しか…」と言うとキスで塞がれた。


 よく分からない律の嫉妬でまたキスも激しくなる。


「水みたいだ」


「水?」


「掬っても、指の間から零れて、いつの間にかなくなる」


「律…。そんなことないのに」と言って、どうしたらいいのか分からない。


 必死に考えていると、律はキスを止めて、じっと私を見た。


「本当?」


「もしかしたら…律は経験豊富だけど、私は…貧相だから物足りない…とか?」と言うと、脱力した律は私に覆いかぶさって笑い出した。


「仕方ないじゃない。だって」と言うと「いいよ。もう。経験豊富な莉里なんて嫌だ」と笑いながらまた言う。


「でも何も知らないし…あのいろいろ…」


「いや、もう大丈夫。別にスキルの問題じゃない」


「じゃあ…体? 胸がもっと大きい方がいいとか?」


「ううん。もうそうじゃなくて」と笑い続ける律を私は慌てて抱きしめた。


「すごく好きなのに? あっさりしてた?」


「もう本当に大丈夫。ごめん。変なこと言って」


 自分からキスをする。本当に大好きだって気持ちを込めて。



「…好きって伝わった? 零れてない?」


「うん。伝わってる」と言って、私の頭を胸に抱き寄せてくれる。


 でも律が思ってることがさっぱり分からない。私が水? っていうことが。


「後悔してないかなって思って」


「後悔…してない。…律、GSAって言葉知ってる?」と私はここで律に初めて聞いてみた。


 知らないという律に説明してみる。


「へぇ…」と特に気にしている様子が見えない。


「だから…律が私を好きなのって、そういうのが関係してるんじゃないかなって」


 律が私をじっと見る。


「じゃあ、俺はラッキーだと思うけど」


「え? ラッキー?」


 抱き寄せられて、頭から声がした。


「だって、莉里に好きになってもらう特別な努力しなくてもいいってことだから」


「え?」


「何もしなくても好きになってもらえるなんて…ラッキー以外何でもない」


 律があんまりにも楽しそうに言うから、そんなに考えることじゃないのかとすら思う。


「きっかけなんてどうでもいい。俺が莉里のことが好きで、莉里が俺のことが好きだったら」


「うん」と言いながら、何だか不思議だった。


 この気持ちはどこから来るんだろう。


「それより俺は…莉里が罪悪感で付き合ってくれてるのかと思った」


「罪悪感?」


「俺のこと心配してくれてるのも分かってるし…、優しくしてくれるのも…莉里の性格上、普通のことだと思ってたし。だから強引に迫ればそのまま受け入れてくれるのも…分かってた」


「律!」と思わず私は律を睨んでしまう。


「でもそうじゃないかって不安がいつもあって」


「私だって、嫌な人は嫌って言ってるから。それぐらいはできる」


 律がいつも謝るのはそういう不安があったのかもしれない、と私は思って、律の頬を撫でる。でも私が頼りないせいで、不安を作っているのだとしたら、私ははっきり覚悟を決めて、両親に話をしなければいけないし、帰国することになっても律のことは守ろうと思った。

 律のピアノがずっと弾けるように、それだけは何とかしてあげたいと思った。


「莉里…。二人でジプシーになる?」


「ジプシー?」


「広場で音楽して、お金もらう」


「えー? 私、何の楽器するの?」


「歌うか…踊るか」


 そんなことどっちもできない。それでもなんとなく、良く分からない民族衣装を着て、踊って暮らすのも悪くないと思った。


「俺はアコーディオンを弾くからさ」


「あー。じゃあダンスでも習ってればよかった」


 くだらない話をしていると電話が鳴った。こんな早朝にかけてくるのはきっと日本からしかない。私は律を見て、そして携帯に手を伸ばした。


「莉里、来月、そっちにお母さんと一緒に行くから」と電話はお父さんからだった。

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