第40話
GSA ジェネティック セクシャル アトラクション
ロンドンへは律が先に向かった。私はしばらくフランスにいて、コンサートの前日にロンドンに向かうことにする。ドアを開けるとスーツケースを持ったアルビンと鉢合った。
「もっと早くスウェーデンに帰るつもりだったんだけど…」とちょっと苦笑いをしていた。
「マシューは?」
「ガールフレンドが預かってくれてる」と言う。
「あ…そうなんですね」
「カフェで働いてる子なんだけど」
二人でエレベーターまで歩く。
「アルビンから声かけたんですか?」
「うん。何回か通って、電話番号渡した」
「すごい」とアルビンの行動に私は拍手をした。
「リリィはどこ行くの?」
「律がロンドンでコンサートするから…」と答えると「いいね」と言ってくれた。
「いつか二人でスウェーデンに来なよ。素敵なクリスマスだから」とエレベーターに乗り込む。
「冬って、ずっと夜なんですか?」
「そうだよ。お昼の数時間は明るいけどね。ぜひ来てほしい」
「…真っ暗が想像できなくて」
「そう? 綺麗だよ。庭にろうそく飾ったりしてね。今度、写真見せてあげるよ」
私は夜が長い一日を想像できない。でもアルビンはそれが当たり前のように暮らしていたのだろう。
エレベーターが着くと、アルビンは空港に向かうためにオペラ座までタクシーで向かうと言って、手を振った。私はユーロスターに乗るために北駅に向かう。
国際列車なので、出国手続きが必要になるので早めに向かった。パリとロンドンは思っているより近くて二時間半くらいで到着する。しかもロンドンの街中に着くので、アクセスも便利だった。
律が私の着替えも持って行ってくれていたので、私は軽装でロンドンに来れた。
ロンドンだから当たり前ながら英語表記ばかりだ。聞こえる言葉も英語で、何だか新鮮な気分になった。
イギリスと言えばシャーロックホームズ、ハリーポッター世界的大ヒット小説の生まれた場所だ。私は小さい頃から本を読むのが好きだった。本を読んでいれば注意されることもなかったし、それに自分とはかけ離れた場所に行けるからだ。
「莉里はいつも本を読んで偉いわねぇ」と褒められるのも嬉しいけれど、何より、見たくないものを見なくて済むからだった。
両親の冷たい関係、母親と二人きりの夕食。いつしか一人きりの夕食になった。自分が悲しいのか、淋しいのか、辛いのかも分からない。でも本は全く違う世界を見せてくれる覗き窓のようだった。特に私はシャーロックホームズが好きだった。今いる場所とは時代も違うし、起きる出来事も全然違っていた。だからこそ、没頭できた。
せっかく来たのでシャーロックホームズ博物館に向かうことにした。幸いに近くにあるらしく、地下鉄に乗って向かった。
律にもシャーロックホームズの本を貸したけれど、読んだのだろうか。もっと小さい頃に家に来てくれたら、私は読み聞かせとかできたかもしれない。そうだったら…お互い好きになることもなかったかもしれない。
そう思って、私はまだ律との関係をどこか悪いような気がしていることに気づく。
幼少期を一緒にすごしてないからそう言う事があるとアルビンに言われてから、私はネットで調べた。
心理学用語でGSA(ジェネティック セクシャル アトラクション)と言って、幼少期に会わずにいた親族同士が再会時に性的な魅力を感じるという現象がある。
――そうだとしたら?
私も律も遺伝子による恋をするプログラミングが作動しているだけなのだろうか。
気持ちは一体、どこから来てどこに存在するのだろう。この想いも遺伝子がそうさせているのだろうか。
私はシャーロックホームズ博物館を楽しんで、近くのカフェでスコーンを頼んだ。もちろんイギリスなので紅茶にする。たっぷりクロテッドクリームに木苺のジャムが添えられている。それをゆっくりと塗りながら、ぼんやりと考えた。
遺伝子のなせる生理的現象だったら、この気持ちは偽物なんだろうか。
そう頭に理解させてみたら、気持ちが変わるだろうか、と私はスコーンを口に入れた。スマホにメッセージが入る。
「莉里、着いたかな? 晩御飯、一緒に食べよう。おいしいインドカレーはどう?」
律は知っているのだろうか。
GSAという言葉を。
「うん。スコーン食べてるところ。食べたら、ホテルで待ってるね」と送った。
「おいしい?」
なかなか終わらないメッセージに思わず笑みが零れた。
「おいしいよ。また一緒に食べようね」
「じゃあ、明日、コンサート終わったら」
「うん」
「頑張ろうっと」
「頑張ってね」
「またね」
「うん。待ってるね」
何気ない会話一つ一つが愛しく思うこの想いも全てGSAなのだろうか。複雑な気持ちで私はスコーンと紅茶を口にする。
愛って、何だろう。
ホテルに戻って、律が泊っている部屋番号を言って鍵を受け取る。私たちは苗字が同じだから夫婦だと律が言ってたようだった。
「お部屋に旦那様からのプレゼントがありますので」と言われた。
「え? あ…」と私は顔が赤くなる。
部屋に入ると、テーブルの上に花束と小さなクッキーの箱が置かれている。
「莉里へ。久しぶり。クッキー食べて待ってて」とメッセージが書かれてあった。
花束を花瓶に差したくて、フロントに電話して持ってきてもらった。ごく普通のホテルの部屋が少し明るく見える。
私は窓から通りを見渡した。暗くなりかけた街はクリスマスの飾りで溢れている。それを見ていると、慌てて、下に降りて私も律へ何かプレゼントをしようと言う気持ちになった。さっき入ったばかりのホテルを出て表に出る。
クリスマスの飾りに彩られたウィンドウを眺めていると、大分歩いていた。空は暗くなっていて、街の灯りが奇跡のように美しい。私は一軒の紳士服屋に入る。スーツやハット、ステッキが置いてある。まるでホームズが使っていたようなステッキだ。律にステッキをプレゼントするのはさすがに違う気がして、私はマフラーを店員さんに見せてもらった。サファイアブルーのカシミアのマフラーが律に似合いそうだったので、それをプレゼントにすると店員さんに伝える。ちょっと値が張ったけど、お父さんのカードで支払った。
そう言う事を考えると、私はこの先やっていけるのだろうか、と不安になる。お父さんは律と一緒に暮らすことを反対するだろうし、経済的援助を打ち切るかもしれない。そんなことを考えていると、電話が鳴った。
「莉里? どこ? なんでいないの?」
律からだった。どこっていわれても、適当に歩いていたから、住所も分からない。店員さんにこのお店のアドレスを聞くと、ショップカードを渡してくれた。私は律にこのお店の住所を伝えた。
「すぐ行くから」と電話が切れる。
律の息遣いが耳に残った。
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