第36話

目に見えない愛を


 今日はボジョレーヌーボーのように新酒がでるからパーティをしようと律の音楽の友人たちでパーティをするという。私も一緒に行こうと律に誘われた。緑ちゃんも則子さんもいると言う。レストランでのパーティなので、私は美味しいものが食べれると思うと楽しみだった。


 私も薬を飲んで少し良くなった気がするので午前中は学校に行くことに決めた。


「莉里、迎えに行こうか」


「大丈夫。もう随分良くなったし…」と私は言いながら、学校の準備をした。


「何かあったら連絡して」


「はい、はい」と言うと、律が頬にキスをする。


 私が驚いて律を見ると「じゃあ、行ってらっしゃい」と何事もなかったように微笑んだ。


「行ってきます」と私は動揺して慌てて玄関に向かった。

 

 授業の聞き取りは大変だったけれど、耳が聞こえない分、文脈で何をいれるか考えることになって、それはそれで勉強になった。いい点数は取れなかったけれど、先生にも「よく頑張っています」と言ってもらえたので、良かった。


 休憩中に私に「園田さんって…あのピアニストの園田律さんと親戚?」と話しかけてきた女の子がいた。


「え? あ、律は弟なの」


「あ、そうなんですね。私、彼のことが好きで」


 一瞬、固まりそうになるのを何とか笑顔でごまかした。


「…ファンレター渡してもらえませんか?」


「え? あ、はい」と私は承諾した。


「ありがとうございます」と嬉しそうに私に頭を下げて、そして走って去って行った。


 律のファンと言った女の子は同じクラスではないのに、よく私のことを知っているなと不思議に思う。そして私は姉を演じなければいけない。


 ――いつまで?


 きっと永遠に。


 結婚できる国がある。違法で罰せられる国もある。


 私たちはそんなに悪いことをしているのだろうか。


 子どもを産まなければいいの? それでもだめなの?


 ただ愛してる、それだけ。


 でも愛って目に見えないから、それを他人にきっと分かってもらえない。


「好き?」って聞いたら


「好き」って答えが返ってくる。


「どれくらい?」って聞いたら、


「死ぬほど愛してる」って言われても、本当に死んじゃったら困る。


 いつか、律を好きじゃなくなる日が来るのだろうか。結婚した人は相手の愚痴を言う。夫婦関係に飽きて、不倫をする人がいる。そんな日が私にも来るのだろうか。


 あるいは律が私を忘れてしまう日が来るかもしれない。


 そんな先のことを考えてため息が出た。


 授業が終わって、私はしばらく歩いて帰った。あまり早く帰ると律のピアノの練習の邪魔になるから。ちょっと歩いて、スーパーに寄って、何だかフルーツが食べたくて売り場を覗く。日本より小さなリンゴが山積みになっている。リンゴがたくさん取れる季節だからタルトタタンもおいしい季節だ。迷いつつリンゴを三つほど買った。



 家に戻ると律は真剣に練習していたのに手を止める。


「おかえり」


「ただいま…」


 練習を中断させてしまって申し訳なく思う。


「何買ってきたの?」


「リンゴ…タルトタタン作ろうかなって思って」


「えー。美味しそう」と律は腰を上げて、私の方に歩いてきた。


 そしてさっきも言ったのに「おかえり」と言いながら抱きしめてくれる。律の匂いに包まれると何も怖いものがない気がする。


「律…。今日、律のファンに会った」


「ファン?」


「お手紙書くから渡して欲しいって」


「えー? アイドルじゃないのに」


「うん。でもなんとなく断れなくて」


「莉里は優しいから」と言って、頭を撫でてくれる。


「ごめんね。なんか上手く断れなくて」


「仕方ないよ」


「律…。ピアノ弾いて。私も宿題片付けるから」


「分かった。でもちょっとコーヒー飲みたいから作るね。莉里は?」


 私は頷くと、律が体を離してくれた。私はとりあえずリンゴを台所に置いた。そしてチョコレートがまだ残っていたかな、と缶を開けるとまだ四粒残っていた。


「律、一緒に食べよう」とそのチョコレートの缶をテーブルの上に置く。


「いいね」と律が笑う。


 いつかお互いに嫌いになる日が来るのだろうか、と不思議な気持ちになる。毎日を繰り返していたら、嫌になる日が来るのだろうか、と。


「どうかした?」


「私の嫌なところある?」


「え? なに突然」


「…あったら教えて欲しいから」


「別にないけど…。うーん。また思いついたら言う。俺は?」


「律も…特にないけど」


「どうかした?」


「ううん。何でもない」


「あ、考えすぎるところ。莉里は一人で抱え込むところがよろしくないです」と律が大仰に言う。


「はい、そうです」と私も大げさに答えた。


 私たちはきっと大丈夫だ、と律を見て微笑む。こうしてお互いの気持ちを言い合える人は律以外に他にいないから。

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