全く。

うちの側近様と来たら、元々スパルタだったのに、例の雅義ん家での一件以来、容赦というものがまあ、すっぱりと消えた事。


「それだけではない貴方を知っているからいいんですよ」


意味深な笑みが、怖い怖い。


「怖ぇよ」

「…私は、貴方の今の表情かおのほうが怖いです。いつもの胡散臭うさんくさい笑顔が消えてるの、自覚していないでしょう?」

「胡散臭いって…」


言い過ぎじゃね?

俺は自分の頬を撫でる。


「そう?」

「ええ。ワルい顔してますよ。私は仮面マスクをとった貴方のほうが好みですからね?自分の仕える主としては」

「………」

「この表情は例え清瀧の若でも見れないでしょうから」


思ったよりも根が深い一連の騒ぎ。

そろそろ俺の堪忍袋が焼ききれかけている事など黒橋は承知なのだ。


「……遥香の店だしを遅らせろ。一週間程度でいい」

「承知しました」


低い声で命じて黒橋が下がった後で自室の鏡を俺は覗き込む。


「ゲッ…」


そこに映っていたのは笑顔の欠片すらない自分の顔。

桐生の血筋である眉と強い眼光。

無表情になると途端に牙をく獣の一面。


「…確かにこれは見せらんないわな」


呟きが唇から零れ落ちる。

文親に見せる《獣》とは質の違うそれは、禍々しさが大分勝っている。


モグラ叩きをしようにも表立っては動いては来ない敵。

けれど後だしで浮かび上がってくる事実とやら。

地味に苛立つ。


「うぜぇんだよ…羽虫ども」


握った拳の中で掌に爪が食い込む。


「まともに殴りあう気概も度胸も無いくせに半端な事をしやがって…っ」


開いた掌に残る爪の痕(あと)のひりつく痛みが俺から剥ぎ取る、もの。


「ひっさびさに“起こし”やがって。せっかく【眠らせてた】のによ。…淳騎は喜ぶだろうが文親さんには怒られんだろうな、あーあー、面倒臭い」


まあ、でも潮時だ。

これ以上ぬるい対応してりゃ内外に舐められ、組の士気にも関わるだろう。

それを狙うもの等、周囲にわんさかいるのだ。

黒橋から少しずつ情報が上がってきている。


それに。


“何をしているんだ、若頭は”

“命(たま)狙われてグズグズと”

“狙った組の特定はとっくに済んでるよな?でも【本家】から出た命令は『動くな』だとよ”

“常磐の人間にも何を言われてるか”

“向こうが及び腰なら叩き潰せば良いものを。鬼頭はともかく、もう一つは新興勢力だろうがよ”

“これだからカタギ育ちは。直系だろうが所詮は根性が抜けてんだろうよ”


ブンブン、ブンブン。

羽虫は敵だけじゃない。

普段は巣穴に引っ込んでるくせにつつく材料を見つけりゃ出て来て騒ぐ雀蜂みたいな連中。

組長や会長の威勢に膝を折って俺に頭を下げた振りをしている下衆野郎ども。


俺は振り向いてベッドに近づき、放りだしていたスマホを手に取る。

そして少し躊躇って、ある番号をタップする。

短い発信音の後。


「……はい」


耳に響く、静かな声。

変わらない、数年ぶりのテノール。


「もしもし」

「…龍哉?懐かしいな、…どうした?」

「お久しぶりです。お元気そうで。相変わらず綺麗な声ですね」


すると。

スマホの向こうからクスクスと笑う気配。


「おや?一丁前に社交辞令が出来る歳になったねぇ、龍哉?面映おもはゆくって背中がゾクゾクするよ」

「相変わらず皮肉屋ですね?こっちも背中がゾクゾクします」


そう言って俺も笑う。


「実は頼み事があるんですが、“先輩”」

「…へぇ?聞きたいね」


俺はベッドに腰掛けてじっくり話せる体勢を取る。

少し緊張してしまうのは仕方ない。

スマホの向こうで艶然と笑っているだろう男は高校時代の俺の二学年上の先輩。


文親さんが副生徒会長だった時の生徒会長。

そして、あの文親さんでさえ、基本的には逆らえない、ただひとりの男。


西荻にしおぎおう

俺にとってもかなり雲の上の人だけど。

今回ばかりは仕方ない。

後で文親と黒橋には速攻で報告する事を胸に決めて口を開く。


「…あのですね………」


木花咲耶このはなさくや──。

高校時代、こう西荻先輩は呼ばれていた。

桜の化身とも言われるこの女神の名で彼が呼ばれたわけはその名前と美貌から、そしてもう一つの理由は…。

彼が姿を現せば判る、ことだ。






「……龍哉さん?」

「……あ?…ごめん、早奈英さん」


いつの間にか、記憶に沈んでいたらしい。

俺は現在いまに意識を戻す。


「遥香がご挨拶を、と」

「いいよ、入ってもらって」

「どうぞ、お入りなさい」


数瞬して、遥香が入り口に現れ、入ってくる。


首元から肩、両袖にレースをあしらった濃紺の膝丈ワンピース。髪はきっちりとセットアップされている。

化粧もキャバクラにいた時とは違う、ナチュラルだが口紅をきちんと濃い目に引き、印象的にみせるクラブホステス仕様に変わっている。


「本日は有難うございます。頑張りますのでよろしくお願い致します」


堅苦しく挨拶をしてくる遥香を手振りで促し、ソファーに座らせる。


「こちらの都合で延期させて悪かった」

「…いえ」

「まあ、その分、勉強時間は延びたが、それは後々の得になる」

「はい」

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