4

 

昏く輝く夜──。



暫く後。

初めて麻乃改め、“遥香”の披露目を行うその日。


【coda di gatto】の店の入り口を埋め尽くしたのは

花、花、花──。


「胡蝶蘭の鉢だけでエントランスが埋まりそう。艶やかだし華やかだわ」


純白の胡蝶蘭だけで十鉢以上はある。

普通、胡蝶蘭は三本立ち、五本立ちというように鉢の中の茎に対して何輪が咲いているか。花の大きさ、数の多さ、見事さで評価される花だが。


「ねえ、龍哉さん、【あれ】幾らしたの?」


開店前から個室を貸し切りにして寛ぎモードだった俺に、にっこり笑って尋ねてきた早奈英ママは目が笑ってなかった。


「あれってなあに?」

「純白の胡蝶蘭二十本立ち、二百三十輪。おんなじ二十本立ちの純白の赤リップ。私、この世界決して短くはないけど、あんな物、店だしでは初めて見たわ」


ちなみに赤リップっていうのは中心の花弁が紅くなっているもの。クリーム色の花弁のものとは分けられてそういう呼ばれかたもするらしい。


「花の値段と女性の年齢を聞くのは野暮よん♪」

「…龍哉さん」

「はいはい。まあ、二鉢で四十、くらいかな」

「……。全部で幾らするのやら」


早奈英さんはやれやれといった風に首を横に振る。


「本数の少ない鉢から並べてエントランスからフロアまで飾らせてもらったわ」


見事過ぎて引くくらいよ、と肩を竦めて笑む。


「花を出すとは聞いたけど、ここまでとは、ねぇ」

「ハッタリ、ハッタリ。最初にカマさなきゃ、何事も。

遥香、どうだった?」

「最初の一鉢二鉢が店に運ばれてきた時は平静を装ってたけど。最後の【あれ】が運び入れられた時は、放心状態で店のソファーにヘタり込んでたわよ」

「あらら」

「うちの古株の娘達が“大丈夫、大丈夫”って肩抱いて宥めてた」

瑞恵みずえちゃんと凪沙なぎさちゃん辺り?」

「…ご名答」

「ふんふん♪」

「…全く。優しいんだか、非情なんだか分からない人ね」


白く長い指に俺の贈った指輪を光らせながら、早奈英ママは続ける。


「手に入れた綺麗なお人形を見せつけたいのは世の常だろう?オプションに凝るのは性分でね。…人の歯噛みは蜜の味…ってやつさ(笑)」

「まあ…怖い」


いつになく意地が悪い台詞を舌に乗せたのには理由がある。


結局。遥香の店だしは予定の日から一週間ほど延期になった。どうとでもスケジュールの擦り合わせ、変更は効いたものの、その間、黒橋の機嫌は地を這うように低いまま。

原因はあの翌日、うちにかかってきた、山科さんからの一本の電話。


「大変遺憾では在りますが」


声は苦さと憤りを理性で抑え込んだ、渋いものだった。


「篁が“軽く”締め上げた所、やはりこちらにもおりました」


篁の“軽く”ねぇ。

高校時代、雅義にちょっかいかけた連中、『軽く』全員病院送りにしてたんだよな。あいつ。

前にも言ったが、篁は一度動けば、その痩身長駆を生かして、一人で重戦車並のパワーは優に出す。

しかもあいつ、あの時メチャクチャ切れてたよな。殺しはしない、山科が一緒だからと雅義は言っていたけど。


「…で?」

「まあ、こちらの場合は常磐本家に泥を被せた訳ですから」


静かな口調が逆に怒りの深さを感じさせる。


「その責任は本人達にきっちりととらせました」

「おー、怖」


スマホを持ち直して俺はわざとおどけた声を出す。


「うちのヒヨコにおふざけした子達は?」

「あれは篁の教育的指導で入院中です」

「やっぱりな」

「事がうちの若絡みでは止めようにも…」

「まあ、死んでないならいいんじゃね?」


幹部は“消えてる”わけだしなあ。


「思ったよりも厄介だな」

「ええ」

「…知らねえ間に、寝てる子供を思いっきりたたき起こしちまったかな?」

「………」

「言っとくが鬼頭の馬鹿の事じゃねえよ?…山科さん」

「……」


答えは返らない。


「起きたなら、寝かす手間より転ばす算段のほうが早いか、全く面倒臭ぇ」

「龍哉さん?」

「むかっ腹立ってきたな、予想してたとはいえ」

「…予想してたんですね、やっぱり」

「まぁね。突っつき回したのは悪かったよ」

「恐ろしい方ですよ、貴方は。敵には絶対に回したくはありません」

「褒め言葉にとっとくよ」


そしてそれから暫く話をしてから電話を切って。

すぐに黒橋を呼んだ。


「どうでした?」

「ビンゴ」

「…それで?」

「幹部は始末。マサに手出した奴は半死半生で入院中。手出したっていうか、返り討ちにあった上にメンツ潰されて篁に仕置きとか、俺だったら退院前日に七十メートルくらい穴掘ってモグラみたいに隠れるね」

「…貴方は分かりやすく人前で相手を吊し上げるなんて真似、この間のような【非常事態】以外にしないくせに」


ゆっくりと微笑んで。黒橋は言う。

弟が絡んだ氷見との一件を指しているのだ。


「陰険でひねくれてて策士で悪かったな」

「言ってませんよ?」


いーや、眼で言った。と軽く睨んでやると。


「否定はしませんが?…貴方の事だから、まだ何か考えていそうだ…とか。思っていても言いません」

「……」


言ってんじゃねえか。

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