二人になってからの黒橋の第一声はいつになく硬く冷たく発せられた。


「私が今日別々に動いていた理由を勿論貴方は承知していますよね。貴方が命じた事なんですから」


「ああ」

「言って下さい。私が動いていた理由を」

「淳騎」

「理由を」

「…健人の事も含めて諸々の諜報の手配、爺ちゃん周辺への根回し、だよ」

「分かっているのに、入った情報の報告も、連絡もしなかった。その結果、常磐でのあの騒ぎ。貴方はお利口だけれど、時々、…それが過ぎるんです」


ぐい、とブランデーをあおって。トン、と置くグラスの底がカウンターにあたる硬い音がいやに耳に響き、俺に流してくる視線のあまりの昏さに久しぶりに背筋が冷える。


「雅義にも関係がある事だろ」

「俺には関係がないとでも?」

「淳騎ッ」

「私は、悔しいんですよっ…!」


握られた黒橋の拳がカウンターをドン!と叩く。


いつもは自分を『私』と呼ぶ黒橋の自称に『俺』が混じる。それが彼の常ならぬ激情を顕しているようで。


「私のいない所で、貴方が常磐の三下ごときに侮辱されるなんて、許せる…筈がないっ!」

「……山科さんも、おしゃべりだなぁ、そんな事まで言わなくていいのに」

「…若っ」


隠せる筈がないから、正直に黒橋に教えたのだろう男の顔を思い浮かべる。隠す見栄より、恥を晒して義理を通すほうを選ぶ──。

山科さんはそういう男だ。

哀しいかな、今の極道の世界では逆の考え方のほうが増えている。晒す恥より、隠して張る見栄──。


だが、例えそうであっても。

赦せないものは赦さない。

黒橋淳騎とはそういう男だ。


「本当に…やめてください。自分がなじられるなら幾らでも耐えます。でも、貴方の事は…駄目だ。聞いた後に本家に向かう車の中でもずっとはらわたが煮えていた」


蒼いほのおが燃えるような静かな怒りをたたえた瞳。確かにその“眼”で本家に行けば、親父は宮瀬と新庄を黙って貸しただろう。


「マサの事もそうです」

「…ああ」

「あの子が可哀想です。貴方はいいですよ、『同級生』の家なのだから。でも、あの子にとっては信義を通じているとはいえ、他の組の見知らない人間の中に放って置かれた上に端下に絡まれて。よくやりましたよ」

「……」

「後で褒めてやりましょう。望みもしないのに勝手に品評会めいた場に出された哀れなヒヨコをね」

「…うるせぇよ」

「耳が痛いんですか?それとも胸が?」


きつい口調だった。

いつもと違う遠慮会釈の無い叱咤の声。

思わず俺は横に座る黒橋に向き直る。


「淳…っ!」


俺から目を反らさない黒橋から、俺も目が離せない。


「半分くらいは分かっていたんでしょう、この結果は?行くと決めた時には多分、予想がついていた」

「…そうだよ」


黒橋の抜き身の刃のような視線の中で俺の表情かおからも笑顔の仮面は外れている。


「貴方の酔狂のお相手はあの子じゃ若すぎますよ、龍哉さん?」


それに一歩も退く事なく、返す黒橋。


いてんのか?毛も生えてないヒヨコに?」

「若い芽を摘まれちゃ、先々やりにくいんですよ。思惑あって動くなら、下を使って方々をあおるのは止めろって言ってるんだ。…かないとでも思ってるなら頭が相当お花畑ですよ、『若頭』」


唇には凍るような冷笑が浮かんでいる。


「……本当に怒ってんだな」

「…ええ。リードを三十センチ以内に引きずり寄せて、頭を抑えつけてやりたいぐらいにはね。正座で済むと思っていたなら認識を改めさせてあげましょうか?」

「怖ぇよ」

「怖く言ってるんです、怖がって貰わなくては意味がないでしょう」


いつの間にか、隣に座り直して、氷を足したグラスにお互いにブランデーを満たして。

殆どに近いそれを喉に放り込むように飲みくだす。


「…悪かった」

「本当に悪かったと思ってますか?」

「…だって怖ぇえんだもん」


言うと、黒橋はちらり、と俺を見やる。

瞳の中が少し凪いで来ているのが分かる。けれど。


「駄目。今日は許してあげません。深水さんをもう少ししたら呼び戻しますから、そこから三人で【朝までコース】。それに耐久出来たら、考えてあげましょう」

「!」

「子供みたいな若い子を恐ろしい目にあわせたんですから、貴方にも思い知ってもらいましょう?大人を怒らせたら恐いっていうのはきっちり覚えてもらいますよ、龍哉さん」


そして。黒橋の顔に浮かぶ満面の笑み。


黒橋にだけは、ちゃちな頭脳ゲームなど歯が立たない。




──報・連・相。

俺はそれからの朝までの数時間で、その大事さを改めて思い知る事になる。

翌日。俺が黒橋に付き添われ、改めてマサに謝ったのは、言うまでも、ない。

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