【Farfalla nera(ファルファッラ・ネッラ)】(黒蝶)は、カクテルバー。

【coda di gatto】とはまた別に、俺が手掛けている 飲食店の一つだ。

深水というのは、店を任せているマネージャー兼、腕の良いバーテンダーの名で、フルネームは深水誓ふかみせい、歳は四十一。

その年には絶対見えない、つやめいた色男だ。


「ちょっとメールして貰えませんか?」


信号待ちの時に、黒橋のスーツの内ポケットにあるスマホを目線で示される。


「ほい。なんて打つの?」

「『二名。今から行きます。着くのは三十分後位です』で良いです」

「…簡単過ぎねえか?ほぼ業務連絡だろ」

「良いんです、通じますから」

「はーい。えーと、送信終了」


メールを打ち終わり、スマホを黒橋のポケットに返す。


「…深水さんに会うのも久しぶりだな」

「赤坂の方には足が向くのに円山町にゃ来やしない、とか言いますね、あの人ならば」

「毒舌だからな、綺麗な顔に似ず」

「そんな怖い事言えません、俺には」


円山町といえば、昔は芸者の置き屋などのあった色町、今は言わずと知れたラブホテル街。

だが、その路地の隙間を縫うようにバーやレストランも数多い。


「自分から円山町に出したいって言ったんだぜ?」


他にも候補地はあったけれど。

わざわざ小路の奥への出店を希望したのは深水だ。


『小蝿のようにうるさい客は嫌いでね』


赤坂がどうの、と言うのは彼の常套句。

本当にライバル視などしてはいない。なぜなら、

“バーテンダーの腕も一流だけれど毒舌を言わせたら右に出る者はいない、ひねくれた変わり者”だと深水を紹介してくれたのは早奈英さんだからだ。

俺からすればどっこいどっこいだと言ったら多分二人共に叱られるだろうが。



で、店についてから小一時間程経って。

VIP用の個室に通されチビチビ飲んでいた俺達の所にようやくやって来たと思ったら。


「しかし、まあ、『Voleur de Fluer(花盗人)』くらい言えないもんかね、風情のない。Voleurで“泥棒”じゃあ、まんま直訳だろ」


頼みもしない追加のつまみを個室用のカウンターキッチンで手品のような素早さで作りながら、深水が毒づく。


「フランス語辞典買ったのかねぇ?わざわざ(笑)」


なんか、それと似たこと、雅義も言ってたな。


せいさん、キツイって(笑)。花盗人なんてお洒落な言葉、知るわけないじゃん?今時の若造が」

「若造なの?」

「これを送って来たのは確か二十六歳」

「おや?そういう坊んも二十代じゃなかったっけ?」

「ピッチピチの二十四よん♪」


カラカラとグラスの中で氷を遊ばせながら言うと。


「お止めなさい、行儀の悪い」


ピシリと横から手の甲を叩かれる。


「うちの躾が疑われます」


痛いよ、黒橋。


「…と、オカンが怒ってる(泣)」

「誰が貴方の母ですか。明日美姐さんなら、振りかぶって後頭部掌底打ちですよ」

「やめて!アレ、痛いのよ、地味に。掌でパッカーンとはたくかとみせかけて手首との境の掌底の骨当ててくるからね、恐るべし」

「明日美さん、そんな怖い風に見えないのに」


俺は深水さんに向かって首を横に振る。


「見せないんだよ、いい男にゃ。悔しかったら私が恥じらうようないい男になんな、ってのがうちの奴等への姐御の口癖だけど、息子に限ってはそれも無し」

「それでいうと、恥じらって貰う程度には俺はいい男だって事だな」

「…誓さんのそういう余分な謙遜しないところ、好きよ♪俺」

「有難う、でも程々にしといてね、俺、まだ生きていたいから」


深水は俺と文親との事を知っている。

店には何度か連れて来たこともあるから。


「…………。話を戻しますが」

「はいはい」

「別に、貴方が常磐の坊んに何を頼んだかなんて、それは良いんです。龍哉さんが動くなら私も動く。それだけですから」


つい何時間か前に誰かから聞いた、似たような台詞。

でもそれが黒橋の口から出るのならまた違う重みを持つ。


「でも、」


不意に黒橋の細いが長くしっかりとした指先が俺の手首を捉える。逃げられない強さで。


「淳騎」

「きちんと動かして貰えなければ、『駒』は動けないんだ。…常磐に行くなら行くでいい。一本連絡を入れなさい。事後承諾は本当に、…迷惑だ」


真っ直ぐ前を見つめたまま、俺を見ずに奴は言葉を継ぐ。そして。そんな黒橋を見て。


「神龍の坊んは色男だねぇ。清瀧、常磐、黒橋くん。皆からモテモテだ。しかしまあ、黒橋くんがこんな風に態度に出すほど怒るとはねぇ。坊ん、ブランデーはここに置いとくから、ちょっと補佐殿と話しな?俺はフロアを見てくるわ、何かあったらベルでね」

「…ああ。有難う、誓さん」


深水は俺と黒橋を残して、カウンター横の専用出口をくぐって消えていく。


「ごめん」

「段々腹が立って来たんですよ」


いつもより低い声。もう甘さの欠片もない。


「私を理性で動かしておいて、本能とやらで『友情ごっこ』ですか?帰って俺と相談して、それから常磐の坊んに頼んでも遅くなかったでしょうに」

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