笑顔のまま、ゆっくりと、恫喝する。

ひっ!という店長の小さな悲鳴は店内の喧騒にまぎれ、同じ席の女達にすら届かなかっただろう。

飛び上がるように立ち上がると店長は店奥に消えてゆく。

早速俺の隣に戻ろうとする麻乃を俺は微笑んで止める。


「今、お酒くるから、少し連れの側に居てやって。…職場が男ばっかりなんでたまには綺麗なお姉ちゃん達を堪能させてやりたくて」

「まあ、優しい。お連れ様、お幸せですね」

「ええ、幸せですよ。とても…」


雪妃の言葉に薄く黒橋が笑みを浮かべる。

俺と黒橋の視線が一瞬、だが、確かに絡む。

が。その時。


「……お待たせしました。ドン・ペリニヨン・プラチナとヘネシー・リシャールでございます。麻乃さん、ドリンクセットです」


若い男の声。

微かに響きに覚えはあっても、俺の知らない、声変わりした青年の、声。


「ありがとう、ケンちゃん。それでは、お客様、お飲み物ありがとうございます」


仕切ろうとする麻乃を黒橋に任せて。

俺は顔を男に向ける。

フロア通路に立ち、見下ろす弟と、席に座り、見上げる兄。…思えばあの日から、俺達は随分遠くまで来てしまった。


「『君と』ここで、会うとは思わなかったよ」


敢えて、“お前”と言わず『君』と。


「あら、ケンちゃん、お知り合い?」

「…前に一度、会ったことが有るくらいの知り合いだよ」


健人が答える前に俺がこたえる。


「…お久しぶりです」


一瞬、鼻白んだ後の健人の声は硬かった。


「…ありがとう。もう、いいよ」


俺の声も、冷たくなる。


「君、もう、下がれば?…麻乃ちゃん、雪妃ちゃん、舞花ちゃん、乾杯しようか?あ、麻乃ちゃん、席、戻って?…リシャールはロックで、グラスに氷三つ。指二本(の高さの量)でね。二人とも、それでいい」


会話を続かせず、さりげなく健人から麻乃に視線を移して指示する。血も涙もない仕打ちだと思う。

わざわざ呼んで、言葉を封じて、相手にもしないなど。

健人は瞬間、唇を噛んだが、そのまま一礼して下がって行った。それしか仕方がなかったろう。

それがバックヤードなのか他の場所かは別にして。


「はい、分かりました、お待ち下さい」


麻乃は俺と健人のやり取りなどなかったようににっこりと笑って、俺の横に戻るとグラスに氷を落とし、ボトルを流れるような仕草で手に取ると、指二本分を注ぎ入れる。

そしてゆっくりと反時計回りにブランデーと氷とをステア(混ぜ合わせる事)する。


「どうぞ」

「…なるほど。一流だね、麻乃ちゃん」


ブランデーや、ウイスキーのロック等、テーブルでキャバ嬢の手により手が加えられるものの場合、反時計回りにステア、は不文律ルールだ。

時計回りに混ぜ合わせる事は“時間を早く経過させる=客を早く帰す”という意味合いに繋がる為、反時計回り、というわけだ。

それをわざとらしくなく、流れるようにやってのけ、ブランデーを水っぽくなく作る為にゆっくりと、手元を注視することなく客から眼を離さずに作る。


恐らくは、麻乃はこの店のナンバーワン、看板だろう。雪妃はその次くらい。


「ありがとうございます」


そして、俺と黒橋の前にブランデーが、三人共にシャンパンが行き渡った段階で、乾杯する。

現れる、三人三様の反応。


「美味しー」

と、舞花。


「凄い…ごちそう様です」

と、雪妃。


「…勉強になりました。美味しい…」

と、麻乃。


「そりゃ、良かった」

「…オーナー、リシャールの方も丁度いいですよ。麻乃さん、お上手だ」

「…本当だな」

「お恥ずかしいですわ?お酒の上等さに大分助けられてます。…でも、そうおっしゃって頂けると、嬉しい。美味しいお酒頂いた後ですから、おかわり作らせて頂くのも頑張りますね」


笑顔千両、を絵にかいたような見事な接客。

元は小野原の管轄だった店。

麻乃のような女と舞花のような女が混在する。

それが奴の爪の甘さだったのかもしれない。


と。

そこに。

先ほど舞花からタカちゃんと呼ばれていたボーイが現れ、


「舞花さん、六番テーブルにお願いします」


告げると。

舞花はびっくりしたような顔をした後、俺を媚びるように見てから、ボーイにイヤイヤをするような仕草を見せる。

客の元から離れたくない、とキャバ嬢の殆どが身につける媚態。しかし、下品な者がやると、興醒めにしかならない。

舞花は暫くキョロキョロしたが、誰も自分を見ず、引き止めない状況に焦れたように立ち上がり、靴音も荒々しく消えていく。


「悪いこと、しちゃったかな?」


俺は麻乃に笑いかける。


「いいえ、あの子が失礼なだけです。こちらこそ、すみません」

「…いーや、そうじゃなくて」


そっと顔を寄せて、囁く。


「わかってるでしょ?俺のやったもうひとつの、『悪い事』?…雪妃ちゃんはまだみたいだけど?」

「……。自己責任ですもの、お客様に非はありませんわ。プラチナ一杯飲めただけで幸せだと思って貰わないと」

「辛辣だね。でも辛辣な女は嫌いじゃない(笑)」

「光栄ですわ(笑)」


なに食わぬ顔をして笑いあう。

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