どこか安心したように父が笑い。電話が切れる。
父はやはり心のどこかで気にしているのだろう。祖父龍三郎の跡目を継ぎ、神龍の組長となった時に俺を養子にした事を。もう九年もたつのに。
しかもそれは祖父のたっての願い。
基本、若頭は血縁でなければという決まりはない。能力次第では舎弟の中から選ばれる場合も多々ある。
だが祖父は自分の元から離れていった娘の息子である俺を『ゆくゆくは若頭に』と強く推し、俺の意志を聞くようにと、伯父夫婦に命じた。勿論、俺の意志が最優先。少しでも嫌がるならば無理強いはするなと。
正直、十四年堅気の一般家庭で暮らしてきた甥が極道である自分との養子縁組を受けてくれるなど到底無理な話だと思っていたらしい。
だが予想に反して俺は『見学をさせて下さい』と朝やって来て、夕方には承諾の返事を即答した。
その迷いのなさに“何か”を感じても、伯父夫婦(今は養父母)がそれを俺に聞く事はなかったけれど。
云わぬが、華。
そう思って九年、自分なりに
元々自分で切った糸だ。もう一度切り捨てる事にいささかの
俺は組のやり合いでの搦め手をあまり好まない。だから極力使わない。
けれど使いたがる奴はいる。
利用する側とされる側。パワーバランスが明解でも共通の《目的》の為に手を取り合うなら同罪だ。どちらが善でどちらが悪か。問題にもならない。
こそこそと動き回られるのは苛々する。
阪口組にも、…健人にも。
「おい」
俺は部屋の外に向かって声を掛ける。
「…黒橋を呼べ」
「はいっ」
扉の向こうからすぐに答えが返り、遠ざかる足音。
そしてすぐに近づいてくる密やかで確かな、足音。
「若?」
気遣わし気な低い囁き。
「…飲みに行こう」
「若」
「久々に、二人で。護衛はお前だけでいい。 付き合え、…
「……はい、龍哉さん」
淳騎、というのは黒橋の下の名だ。
フルネームで名を知るのは幹部以上、下の名前で彼を呼べるとなると更に人数が減る。
俺が知る限りは俺と爺ちゃんと組長と姐さん、あと数名ほどか。
数時間後。
俺と黒橋は馴染みの小料理屋の二階の個室で杯を重ねていた。
「…龍哉さん、
「解ってる。食いながら飲んでるから平気。悪酔いしない」
「飲んでる奴は例外なくそれを言いますがね、あくまでもそれは“普通に”飲んでる場合です。冷酒徳利を何本並べる気ですか?幾らザルでも飲み過ぎですよ」
静かに指摘してくる黒橋。でも俺は構わずに杯を手にする。
「顔色も変えずに俺についてきてるお前には言われたくないぞ、淳騎」
「…俺がつぶれたら誰が貴方を連れて帰るんですか」
柳眉をひそめて。黒橋は溜め息をつく。二人で、とは言ったが運転手としてマサがついてきて、控室で待機しているから心配はないのだが。
「いーから、飲め」
勝手に黒橋の杯に酒を足す。
「龍哉さん…」
「いーから」
「…頂きます」
強く引かない俺に、とうとう諦めたのか。黒橋はもう一度卓に置いた自分の杯を手にする。
「何か、つまみを足しますか?」
「…いい」
「…そうですか」
男二人で暫く言葉もなく酒を
「龍哉さん」
その沈黙を破ったのは黒橋から。
「お決めになった事ならついていきますから、ご存分に」
「……。お前も大概俺に甘いな、淳騎。まだ何も言ってないぜ?」
「私を
黒橋が浮かべて見せる人の悪い、笑み。
「ひでぇ。その分“黒橋”の時に口うるさいわけか?」
「誰かさんが普段からきちんとして頂ければ、黒橋の時も静かでいられるんですがね」
「げっ、薮ヘビ」
思わず苦笑が洩れる。
これから俺がしようとしている事、想い。
全て解っている、目の前の男。
文親とは違う意味で、…手離せない。
「健人の事だが、…気が変わった。調査はやめだ。まどろっこしい。明日には動く。お前も来い」
「はっ」
黒橋は力強く頷いて俺を見る。俺もまた意志を瞳に込めて黒橋を見返す。
主従の意志の疎通はそれで充分だった。
翌日の夕刻。
キャバクラ“blue fairy”の前に俺と黒橋は立っていた。
俺の今日の服装は、黒のデニムに濃い蒼のシャツ、グレイのジャケットという比較的ラフなもので、黒橋も普段のイタリアンスーツではなく、濃紺のスラックスと同色のジャケット、黒いシャツに小さなセカンドバッグという、見た目には普通な格好。
少なくとも入り口で【その筋の方お断り】と止められるような姿ではない。
暴対法施行以降、一般人の通報は脅威に変わった。
わざわざ下卑た格好をして他の店を荒らすのは下の下のチンピラのやり方だ。変な言い方だが、組がきちんとしていればそれはやらせない。使用者責任、とやらで幹部や組長にまで塁が及ぶのを防ぐ為だ。
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