その『知らせ』を聞いたのは突然だった。



聞いた時に俺の心に浮かんだのは、驚きでも、怒りでもなかった。

ただ、“今なのか?” という疑念だけ。

シンプルなクエスチョンだけが全てだった。



「…これを見て下さい」


文親さんとのようやくの逢瀬から更に半月後。

懸念していた阪口やら鬼頭やらの接触も今だなく。

事態は表面上は凪いだかのように見えていた。


俺の自室に入ってきた黒橋の声と表情が常より硬いのに気づいて、差し出した手のひらに乗せられたのは。

阪口組の経営しているキャバクラ。その入り口、裏口周りを写した数枚の写真。名前から雅義が例の裏切り者を置いてきた店だとすぐにわかった。

別にどうという事のない調査写真。

でも数枚の中の最後の一枚で俺の手は止まった。

ベッドに座ったままで黒橋を見上げ、一つ息を吐く。


「…間違いないか」

「残念ですが、御本人のようです」

「…そうか」


写っていたのはゴミ袋を抱えて、店専用の集積場へと向かう一人の青年。

望遠カメラでの夕刻の撮影。うつむきがちの顔はそう鮮明に写っているわけではなかった。

けれど。

一目で俺にはわかった。

そこに写っていたのは俺の…弟。正確には昔、弟だった男。


石田健人。今年十九になる。


「現時点での詳しい報告を聞かれますか?」


黒橋の声に。

俺は躊躇ためらうことなく答える。


「聞こう。…話せ」

「承知しました」





…覚えているのは、泣き腫らした瞼。

責めるような少年の声。

肩を落とした父に背を向けて部屋を出ていく俺に、


「二度と戻って来るなっ、俺達を捨てたお前なんか兄さんじゃないっ!」


それだけ聞けばキツい言葉は。

本当は俺を怒らせて、リアクションが欲しいのだと、分かっていた。でも、俺はそう言われても。

振り返る事もなく、言葉を返す事もなく。部屋を出た。分かりあえることのなかった、弟。

けして心底憎んではいなかった自分の家族。

そこに生まれて育って一応はいつくしんで貰えた血の繋がりのある親と弟妹。


俺はそこからなんの未練もなく離れた。

形だけの未練すらも残してやらずに。

今ならば分かる。自分の気持ちのひとかけらくらい説明してやれば、幼い弟には親切だったのかもしれないと。

でも俺は。そうしなかった。

母が俺に何も言わなかったのと、同じように。


…それを悔やんではいないけれど。



「…入店時期は三週間程前。ボーイとして勤務されているようです」

「それで?」

「この時期での、この入店。“自然な成り行き”では有り得ませんね」

「そうだな…」


大体健人は今大学二年。実家の経済も苦しくなく、普通に学生生活を過ごしている筈の弟のバイト先がキャバクラ、しかも中条英五が経営している店など、自然な成り行きで有る筈もない。


「気分が悪い」

「ええ、全く」


吐き捨てるような口調になってしまうのは。

神龍組の若頭としての自分と、籍を抜いても切れない事実上の“兄”としての自分。

双方に爪を立てられているような気がするからか。

当人ではなく身内を搦め手で利用する手口等ありふれたものだ。

だが。弟は俺の一件で極端にヤクザ嫌いの筈だ。恐らく何らかの働きかけがあり、それに弟が自分から“乗った”から中条の店で働いているのだろう。


予想はつくが。


…きっと、俺は冷たいのだろう。

写真を見た時に浮かんできたのは驚きでもなく怒りでもなく、“何故、今?”というシンプルなクエスチョン。


弟が関わろうが関わらなかろうが、俺の行く道も取るべき行動も変わらない。けして。


「もう少し詳しく調べさせろ。向こうには悟られないように。…大丈夫だ。黒橋、心配するな」

「…若頭」


敢えて俺を若頭と呼ぶ黒橋に俺は苦い笑みを返す。


「俺は…変わらないよ」



久しぶりに伯父でもあり『父』でもある桐生隆正から電話があったのは数時間後。


「大丈夫か?」

「久しぶり。…父さん」


敢えて組長と呼ばず、父さんと口にしたのは、彼の口調から身内としての情が少なからず、にじんでいたからだ。


「…黒橋から聞いたか」

「ええ」

「健人は十九か。…早いものだな」


俺が桐生になって、九年。

今はもう自分が昔、“石田龍哉”だった事など忘れていたのに。


「大丈夫ですよ。父さん。こうした事は何度も頭でシミュレーションしてきましたからね。…実際、起きてみると…ぶっちゃけて、困ってはいますが」

「龍哉」

「ねぇ、父さん。…俺は“おかしい”んですかね」

「……」

「多分芯から『極道』なんですよね、俺は。例え籍が抜けてもアイツは弟なのに」


血を分けた、おとうとの……はずなのに。


この数時間、俺の頭に巡っていたのは、このタイミングでもし組内部へ発覚した時の影響、支配力、士気の低下への心配だった。

妙に冴えた心のどこにも兄としての情愛が見つけられなくて。自分の想いの冷たさに、いっそ笑えてきた。


「でも俺は自分の選んだ道は変えません。…極道上等」


今、鏡を見たら。雅義お気に入りの、傲岸不遜で凶悪な表情とやらが浮かんでいるのだろうか。


「…俺はいい“息子”を持ったよ。因業いんごうな《血》だがな」

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