第20話 記念日のデート

 窓外に蒼白い月が浮かんでいた。

 誰もが寝静まった頃、人気のない廊下を一人の足音が支配する。少し慌てているらしく、音の間隔かんかくがにわかに縮んでいた。

 窓から差し込む月光がその頬を照らし、足音がふと止んだ。

「次に彼女を狙えるのは?」

 低い声が辺りに響き、暗い大きな翼が視界の半分を埋める。

「……五日後の平日。記念日のために、街へ」

 翼はふっと微笑むと、一枚の金貨を投げた。無機質な音がうるさく響き渡り、かまうことなく翼は夜の闇へと羽ばたいて行く。

 窓外に消えた姿をじっとにらんでいた。やがて床に落ちた金貨を拾い、冷たい瞳でそれをながめる。

 再び走り始めた足音が廊下を行くと、夜はまた静寂に包まれていった。


   *  *  *


 愛するギュスター様へ


 あなたは気づいていますか? もうすぐで、わたしたちが交際を始めて三年が経ちます。

 でも、今のわたしたちにそれを祝うだけの余裕はないですよね。分かっています。

 だけどわたしは、何かしたいなと思っています。それにその日はちょうど、あなたが護衛につく日なので。

 最近わたしは、シルフさんと話が合うことに気がつきました。読書が趣味という共通点に加え、ミシュガーナのこともあって、わたしは意外と彼が嫌いではないと思えるようになりました。

 あ、誤解しないでくださいね。元々、嫌っていたわけではないんです。ただ最初の出会いが最悪だったから、いまだにそのことを思い出すと嫌になるというだけです。

 今では仕方のないことだったと理解していますが、シルフさんは第二印象が気難しい人だったので、こうして仲良くなれたのはうれしいです。

 もしかして、嫉妬しちゃいましたか?

 大丈夫、心配しないでください。わたしにはあなたしか見えていません。いつでもあなたが一番だし、あなたのおかげでわたしは今も頑張ってやれています。二人きりになれないのは残念だけど、仕方ありませんよね。

 それでは一日でも早く、平和になることを祈って。


                        イザヴェル城のユーティアより


   *  *  *


「シルフ、ユーティアと初めて会った時、お前、彼女に何をした?」

 手紙から顔を上げたギュスターは、向かいの席でレポートを見ていたシルフへ問う。

「ああ、スカートをめくったな。先にあざを確認させてもらっただけだ」

 と、シルフは彼を見た。

「……いきなり、か?」

「そうだな……。あの時は焦っていたから、いきなりだった」

 と、シルフはレポートを整えて引き出しへしまう。

 ギュスターはため息をつくと言った。

「失礼な奴だな。他人の恋人なんだから、少しは考えてから行動しろよ」

 ユーティアからの手紙を封筒へ戻し、一番下の棚へ丁寧にしまいこむ。

「そう言われても過ぎたことなんだから仕方ないだろ。それにあの時は、急な予言で慌てていたんだ」

「……だがシルフ、あまり彼女と仲良くなるなよ」

 青い球状の魔宝石を手にしながら、シルフはギュスターを一瞥する。

「嫉妬か?」

 ギュスターは無言でにらむばかりだ。シルフは半ば呆れた口調で返した。

「心配するな、俺にそんな気はまったくない」

 妙な空気が狭い室内を満たしていた。


 白地に鮮やかな花柄のドレスだった。横髪をうしろでまとめた薄い黄色のリボンが、頭から少しはみ出ている。

「今日は気持ちよく晴れたのと、ユーティアが一番お洒落な格好をしたいって言うから、こんな衣装になりました。どうです、紳士の方々?」

 スカートの裾には細かくレースがあしらわれ、満面の笑みを浮かべたユーティアはいつにもましてまぶしかった。

「ワンピースじゃないんだな、動きにくくないか?」

 と、ギュスターはたずねた。

「ううん、大丈夫。今日は街に出るんだから、うんとお洒落したかったの」

 ユーティアはそう答え、シルフが口を開く。

「いいんじゃないか? よく似合ってるよ」

 にっこり笑ったユーティアは少し照れながら返した。

「えへへ、ありがとうございます」

 そして鏡に映った自分の姿を確認する。

 この生活が始まってから幾度もドキドキさせられてきたギュスターだが、今日ほどうれしそうな笑顔を見るのは久しぶりだった。

「靴もこの日のために注文した物なので、慣れないと歩きにくいかもしれません。そういう時は、ちゃんと気を遣ってあげてくださいね」

 と、メイリアスはギュスターへ注意をした。

「あ、ああ、そうだな」

 ずっとにこにこしている彼女が可愛くて、二人きりであればすぐにでも抱きしめてやりたいと思うギュスターだが、そうは行かないのが現実だ。

「ユーティアも気をつけてね。全部特別注文なんだから、汚しちゃ駄目よ」

「うん、気をつけまーす」

 と、ユーティアはまた笑った。


 恋人になって三年が経つ記念日だった。

「今日は髪、結んできたのね。素敵だわ」

 唐突にユーティアがそう言ってギュスターの腕をとる。

「ん、まあな……」

 照れているのかそっぽを向いて返した彼に、ユーティアは言った。

「いつもよりもすっきりして見えるわ。ただ、前髪がまだ邪魔っぽいけど」

「ああ、時間がなかったんだ。髪を切るとなると、人を呼ばないといけないからな」

 普段は毛先が肩についてぼさぼさの髪が、今日は茶色のリボンで一つに結わえられている。

「それなら仕方ないわね。でもこれからは、毎日結ったらいいと思うわ」

 シルフは前を行く二人から視線を外した。他人のデートに付き合わされることになるなんて、まったく運が悪かった。

「そうか?」

 ギュスターが遠慮がちに聞き返すと、ユーティアは微笑んだ。

「うん。だってギュスターが髪結んでるなんて、新鮮で素敵だもの」

「……分かった、そうしよう」

 そしてギュスターはうれしそうに口元をゆるませた。

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