太陽を見つけた明けの明星は――ミカエル

 兄さんとは気付いた時からいつも一緒にいたから、そんな当たり前がずっとずっと、いつまでも続くのだろうと思っていた。

 僕は兄さんがいれば他は何もいらなかったし、それはきっと兄さんも同じだった。……はずなのに。

 太陽を見つけた兄さんは変わってしまった。

 今まで以上に強く明るく輝く兄さんには、もう僕は必要ないのだと。そんな気がした。


 これは兄さんが太陽を見つけたのだと、僕が気付く少し前の話。

 今思えば、この日の兄さんがいつもと違ったのは、太陽を既に見つけていたからなのかもしれない。



 シルフ王国の王都、ウェントゥスの街外れにある古びた図書塔。やや色味に欠けるものの、白を基調とした落ち着いた雰囲気の建物だ。中は迷路の如く階段が連なり、目的の本を探すのも一苦労だ。

 その為か訪れる人は皆無に近く、司書すらもいない。

 そんな図書塔へ入る人影が、ひとつ。きらめく銀の髪を右側で複雑な結び方にした、作り物の様に綺麗な顔立ちの男だ。

 男は中に入ると、おもむろに“翼を広げて”飛び立った。羽ばたくたびに白銀の羽根がはらりと舞う。

 ――男は天使だった。名をミカエルという。

 彼は迷うことなく最上部まで飛び、数十冊の本を抱えると、訪れる人が少ないにも関わらず埃ひとつない木の長椅子に腰をおろした。

 椅子に埃がかかっていないのは、誰かが頻繁に通っている証拠だ。

 何冊かの本を同時進行で読み進めるミカエルは本の内容を記憶しつつ、ブツブツと文句を漏らした。

「もう、ホント最悪。あのオカマ、なんで僕にばっかりめんどくさい仕事押し付けるワケ? 人間界の書物の確認とかわざわざ僕がやる必要ないでしょ、イミわかんない」

 読み終わった本をバンッと乱暴に閉じると次の本を開き、再び読み始める。

 ただでさえボロボロな書物を遠慮なく叩きつける所為で、さらに本がボロボロになっていったのは言うまでもない。

 しかしそれくらい彼はイラついていた。

 大好きな兄のルシフェルと一緒にいられないことが相当なストレスらしく、無自覚ながら作業効率も低下して、それが彼の苛立ちをさらに加速させていた。


 そんな調子でしばらく作業を続けていたミカエルだったが、不意にハッとして顔を上げると、物凄いスピードで図書塔の入口へと向かった。

 もしその場に誰かいたのなら、瞬間移動でもしたのではないかと感じさせるほどの早さだった。

 勢いよく扉を開けると、遠くの空に鳥のように飛ぶ何かを見つけて、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 此方に飛んできたのは、鳥などではなく、ミカエルとよく似た顔の天使だった。彼と違う点を挙げるならば、銀の髪を肩の上で切り揃えているところと、感情を感じさせない表情くらいだろう。

「相変わらず、俺の気配に敏感だな。お前は」

「もっちろん! ルシフェル兄さんがどこにいるか分からない僕じゃないよ。……それよりどうしたの? も、もしかして僕に会いに来てくれたとか?」

(まあ、兄さんに限ってそんな事はないだろうけどね)

 心の中ではそう分かっていても、今日は人間界にくる予定のなかった兄が訪ねてきたのだ。期待してしまっても仕方がないだろう。そんなミカエルに、ルシフェルは白銀の翼を仕舞いながら薄紫色の瞳を向ける。

 ミカエルは嬉しそうにその瞳を見つめ返した。先程までイライラしていたとは思えない変わりようだ。

「ああ。用事が早く終わったからな」

「だよね、兄さんが僕に会いに人間界までくるなん……えっ? ぼ、僕に会いに来てくれたの!?」

「だから、そうだと言ってるだろ。迷惑だったか?」

「迷惑!? そんなわけないでしょ! すっごく嬉しい! ただちょっとびっくりしただけ」

 兄の予想外の台詞に驚きを隠せないミカエルはあわあわと返答した。

 本来真面目なルシフェルは、仕事の邪魔になるような事はしない。だから今のように、ミカエルが仕事で人間界にいると分かっていて訪ねてくるのはとても珍しい事だった。

 長年一緒にいるミカエルですら初めての事だったのだろう、大好きな兄がわざわざ自分に会いに下りてきてくれたと知って彼の口角は緩みきってしまっている。

 ルシフェルは、ふ、と軽く微笑み、慈愛のこもった眼差しでミカエルを見た。

「動揺しすぎだろ」

「だって……こんなの初めて、だし!」

 慣れない兄の様子と眼差しに、顔を赤らめたミカエルは誤魔化すようにルシフェルを引っ張り図書塔の中へと入っていった。

(兄さんの馬鹿! たらし! あの顔は反則!)

 ミカエルは同じ顔のはずなのに、どうしてこうも兄と違うのかと内心で思いながら図書塔の階段を登り、ルシフェルはそれに引っ張られるがままに後を付いていった。

 半分くらい階段を登ったところで、何かを考えていたルシフェルがそっと手を移動させ、ミカエルの手に絡ませた。俗にいう恋人繋ぎというやつだ。

 ミカエルは驚いたものの、後ろを振り返ることはなく、ずんずんと階段を登っていった。耳がほんのり赤らんでいるのがルシフェルの方からでも確認できる。

 そんな反応を見てルシフェルは驚いて、一瞬目を見開いた。


 最上部にたどり着くと、積み上げられた本を脇にどけて二人は木の長椅子に隣り合って座った。

「……に、兄さん?」

「なんだ」

「な、なんかちょっと近く、ない?」

「そうか? いつもお前はこれくらいの距離に座るだろ」

「う……それは、そうかもだけど」

 長椅子だというのに、二人は椅子の右側に極端に寄って座っていた。

 ルシフェルの主張通り、いつもミカエルはルシフェルが椅子に座っていたら、どれだけスペースが空いていようと大抵はぴったりと横にくっついて座る。しかし、自分でするのと相手にされるのでは勝手が違うらしい。

 珍しい兄の行動に彼は戸惑い、顔を赤くするばかりだった。

(いつになく積極的な兄さんに、どう接したらいいのか分かんないよ!)

 ミカエルが内心とても混乱していると、不意にルシフェルがミカエルの頬へ軽く口づけた。

「えっ、あっ、へ!? 兄さん、今キッ、え!? どどどどうしたの! ね、熱でもあるの? って人間じゃあるまいしそんなわけないよね。え、えと、なんか悪いものでも食べた? もしかして酔っぱらってるとか……?」

 兄の突然の行動にさらに混乱するミカエルをよそに、ルシフェルは何処か納得したように頷いた。

「なるほど。普通はこういう反応をするものか」

「へ?」

「いや、なに。お前は俺よりずいぶん感情豊かだから、参考にしようかと」

「なっ、なんの参考にするの……もしかして他の奴にもこんな事しようと思ってる? そんなの僕が絶対許さないからねっ!?」

「されるのなら構わないか?」

「それもダメっ!」

 大好きな兄が自分以外の誰かといちゃつくのは耐えられないという、何とも身勝手な理由で怒るミカエルに、ルシフェルは肩を竦めた。

 兄弟はお互いに何も話そうとせず、しばらくその場を静寂が支配した。

 頬をふくらませてそっぽ向くミカエルを見て、ルシフェルは一つため息つくと何気なく空中を切り裂くように真っ直ぐ指を動かした。

 すると、指を辿って空中に裂け目が現れ、ルシフェルは躊躇いもせずその裂け目に手を突っ込むと、ショートケーキを取り出した。

「ミカエル」

「……兄さん、僕がそんなもので釣れるなんておもっ……ンむ!?」

「いいから食え」

 顔を押さえられてケーキを無理やり口に突っ込まれた。吐き出すこともできず、ミカエルは仕方なくそれを咀嚼して飲み込んだ。

 その様子を見て、満足そうに笑みを浮かべるルシフェルに彼はやっぱり驚くしかなかった。

 何故なら双子の弟であるミカエルの前ですらあまり感情を顔に出すことのない兄が、今日に限っていつもより表情がよく変わっているから。

(僕が人間界に来る前に会った時は、いつもと同じだったのに。なにか、あったのかな)

 探るようにじ、と薄紫色の瞳を覗くミカエルに、ルシフェルは不思議そうに首を傾げた。肩で切り揃えられた銀の髪が、揺れる。

(――嗚呼、やっぱり。兄さんが)

 ミカエルは俯くと、一度目を瞑った。そして、納得した様子で顔をあげ、ルシフェルを見た。

「そんなに見て、どうした」

「兄さんは、やっぱりかっこいいなって思って」

「俺もお前も同じ顔だろう」

「そうだけど、そうじゃないの!」

 ルシフェルは怪訝そうにミカエルを見たが、ミカエルは何も言わずににっこりと笑顔を浮かべてルシフェルを見るだけだった。


(兄さんが……大好きだなぁ)



――

―――

兄さんが大好きなミカエルの話でした。

ルシミカは仲良し。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る