第27話

 その頃古麻こまは、必死で恋人の名前を呼でいた。


「ねぇ伊久呂いくろ、嘘よね。私を騙していたの?」


 古麻に呼ばれた男は、椋毘登くらひと達に意識を向けながら、古麻に答えた。


「あぁ、そうさ。お前のことは、この宮の情報を探る為に利用しただけだ。別に俺はお前の事なんか何とも思っていない」


 そしてその伊久呂と呼ばれた男は、椋毘登達の登場により、自分達が不利な状況に陥ったことを理解する。


 そこで今は椋毘登と彼の従者が、古麻の側にいないのを良いことに、彼は古麻を人質にしようとして迫った。


(まずい!古麻が捕まってしまう)


 それを見た稚沙は突然走りだし、伊久呂の背中を掴んで、彼の動きを止めようとした。


「おい、きさま、離れろ!」


 そういって稚沙の腕を掴んだ。


「古麻、一旦離れて!!」


 稚沙は何とか古麻を逃がそうとする。


 すると男は「ちっ」といって、稚沙の体を自身に引き寄せた。

 どうやら彼は人質を稚沙に変えることにしたようだ。


「いいかお前ら、これ以上続けるなら、この娘をここで殺す!」


 それを聞いた椋毘登くらひとは、急に矛先を変え、稚沙を捕まえている男の前に近づいてきた。そして彼は尚も刀を握った状態のままである。


「お前……これ以上近付くと、本当にこの娘を殺すからな!」


 すると椋毘登は、酷く恐ろしい笑みを見せて彼にいう。


「別に殺したければ、殺したら良いさ。俺には関係のないことだからな」


(椋毘登は、私を見殺しにするつもりなの……)


 だが一瞬椋毘登が稚沙を見る。

 まるで何かの合図を送っているかのように。


 そんな彼を見て稚沙は思わず「はっ」とする。

 そして彼女は服に忍ばせていた、細く小さな刀をそっと取り出した。


(この刀を使えってことなの?)


 それから稚沙は、その刀で男の腕を思いっきり刺した。


 その瞬間に男は「うぎゃあー!!」と叫び、思わず稚沙を掴んでいた腕を緩めた。


「稚沙、下にしゃがめ!!」


 椋毘登からそういわれて、彼女は思わず下にしゃがんだ。


 その瞬間に椋毘登が素早く動き、相手の男の体に刀を突き刺した。


 そしてその男は絶叫しながら、その場に倒れていった。


(私、助かったの?)


 稚沙は椋毘登から、いざという時用に、小さな刀を事前に渡されていた。

 もし危険になれば相手をこの刀で刺せ。そうすれば相手は、確実に油断するからと。


 そんな彼女の鼓動は今酷く波打っていた。


「ち、稚沙、大丈夫!!」


 古麻は慌てて稚沙の元に駆け寄る。


 そして2人は互いに抱き合って、共に安否を喜んだ。


 一方敵の方は主犯の志摩吐しまとのみになっていた。そして彼は椋毘登達に囲まれる形となってしまう。


 追い込まれた彼は、ここはもう逃げるしかないかと一瞬考える。


 だがそんな時である。

 それまで従者に守られて、静かにしていた蘇我馬子そがのうまこが急に口を開いた。


「志摩吐、お前の負けだ。大人しく諦めろ」


「ふん、お前のせいで俺達は、何もかも失ったんだ。だから絶対にお前だけは許すものか!」


 そして志摩吐は蘇我馬子に刀を向ける。どうやら彼は、命をかけてでも馬子を殺すつもりでいるようだ。

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