第7話 約束の時計

アリシアの領地に来てから、二ヶ月が経った。


初めは異世界での生活に戸惑っていたが、今ではアリシアと共に過ごす日々が、自然と馴染んできていた。


狩りに出かけたり、領地を見回ったり、時には彼女と夜を共にすることもあった。


だが、最近になってアリシアの様子が少し変わり始めていた。


最初に気づいたのはメイドたちだった。


アリシアの月経が遅れ、つわりのような症状が見え始めたとき、彼女はすぐに医師を呼んだ。


医師が到着し、アリシアの体を検査すると、彼は神妙な顔つきで口を開いた。


「おそらくですが……いえ、アリシア様、ご懐妊です。間違いないでしょう」


その言葉が響いた瞬間、メイドたちは歓喜の声を上げ、歓声に包まれた。


まるで領地全体が祝福しているかのように、喜びの波が広がっていった。


しかし、アリシアと俺――一樹は、その場に立ち尽くし、言葉を失っていた。


確かに、これは喜ばしいことだった。


アリシアにとっても、そしてこの領地にとっても、待ち望まれた出来事だ。


しかし、俺たちはその瞬間を素直に喜べなかった。


俺にはわかっていた。


アリシアの妊娠が確定すれば、俺はこの領地を離れ、王都に戻らなければならない。


召喚された当初から、それが俺に課せられた運命だった。


——


その夜、アリシアの寝室で、二人は向き合っていた。


窓の外には穏やかな夜風が吹き、月明かりが二人の間に柔らかく降り注いでいた。


だが、その静けさが逆に胸を締めつける。


「本当に……行ってしまうのか?」


アリシアが声を震わせて問いかける。


俺は言葉に詰まり、ゆっくりと頷いた。


「俺は……王都に戻らなければならないんだ。そう決まっている」


アリシアの瞳に涙が滲んでいく。


彼女は、いつも強い姿を見せていたが、今はその強さが崩れかけていた。


「あなたがいなくなったら、私は……」


彼女の声がかすれ、言葉を詰まらせた。


俺は、そんな彼女の姿を見るのが辛かった。


どうにかして、アリシアがこの寂しさに耐えられるよう、何かを残したいと思った。


そして、ふと、自分の左手首を見つめる。


そこには、召喚されたときからずっとつけていた日本の腕時計があった。


「これを……持っていてほしい」


俺は、時計を外し、アリシアの手にそっと握らせた。


「これは、俺の世界のものだ。時間を測るための道具で、俺がずっと使っていた。これを持っていれば、いつでも俺のことを思い出せる。そして、また会える日がきっと来る」


アリシアはその時計をじっと見つめ、そして、こらえきれずに涙を流した。


「ありがとう……カズキ。この時計があれば、あなたが遠くにいても、私の心は一緒にいられる気がするわ」


俺も涙がこぼれそうになり、彼女の肩をそっと抱き寄せた。


彼女は俺の胸に顔を埋め、泣き続けていた。


俺たちは、そのまましばらく、言葉を交わすことなく、ただ互いの温もりを感じ合った。


——


「カズキ、私はあなたを忘れない。いつまでも待っているから、また私の元に戻ってきて」


俺は彼女の顔を見つめ、深く頷いた。


「必ず戻るよ。約束する」


二人は、互いに愛の言葉を囁き合い、深く抱擁した。


言葉では表しきれない感情が、胸の中に溢れていた。


俺たちは、この瞬間が永遠に続くことを願ったが、運命はそうはさせてくれない。


やがて、夜が更け、二人は静かにベッドに横たわった。


腕時計がアリシアの手の中で優しく光を放ち、俺たちは再び会える日を心に誓った。


その夜、俺たちは互いに心を通わせ、深く繋がった。


そして、いつの間にか、朝が訪れた。

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