第5話 まことの姿
一樹は柔らかな日差しに目を覚ました。
慣れない寝台の感触にもかかわらず、深く眠ることができたのは、不思議なほどの静けさと、昨夜の疲れが影響しているのだろう。
彼はしばらくベッドの上でぼんやりと天井を眺め、ここが異世界であることを再確認する。
「……もう、戻れないんだな」
独りごちると、昨日のアリシアとの出会いが思い出される。
冷静で強い女性――彼女に対して抱いた第一印象は、まさにその通りだった。
ノックの音が響き、メイドが部屋に入ってきた。
朝の支度を整え、軽い朝食を終えると、今日の予定について伝えられた。
「今日はアリシア様がカズキ様を領内のご案内をなさるそうです。狩りの準備も整っておりますので、お昼頃には出発となります」
どうやら、今日は一日アリシアと共に過ごすことになるようだ。
一樹は少し緊張しつつも、期待と不安が入り混じる感情を抱えながら、館の広間に向かった。
——
アリシアは広間の窓辺に立ち、外の風景を眺めていた。
朝の光に照らされた彼女の姿は、まるで絵画のように美しかった。
彼女が一樹に気づくと、静かに微笑みを浮かべ、近づいてきた。
「おはようございます、カズキ様。よく眠れましたか?」
「ええ、ありがとうございます。静かで、落ち着いた夜でした」
そう答えると、アリシアは少し肩をすくめた。
「この領地は、王都からは少し離れていますが、静けさと自然に恵まれています。私も、この地がとても気に入っているのです」
二人はそのまま、アリシアの領地を軽く歩きながら、会話を続けた。
一樹はこの世界のことをまだよく知らなかったが、アリシアは丁寧に領地の歴史や、ここでの生活について説明してくれた。
「この地は、私の祖父の代から受け継がれてきたものです。領民たちは勤勉で、私たち貴族を支えてくれています。ですが、人口の減少により、どこも人手不足が深刻で……」
話しながら、彼女の目には一瞬の憂いが浮かんだ。
男性が激減したことによるこの世界の歪みは、貴族である彼女にも大きな影響を与えていたのだろう。
「……あなたのいた国では、どうでしたか? こういった社会の歪みは、ありましたか?」
アリシアの問いに、一樹はしばし考えた。
自分がいた日本は、確かに過酷な社会だったが、この世界のように人口が激減したわけではない。
それでも、彼は言葉を選びながら答えた。
「日本も、ある意味では厳しい社会でした。特に、働くことに対するプレッシャーは強くて……。だけど、ここまで極端な男女の逆転はなかったです。だからこそ、ここに来て、まだ戸惑っているんです」
アリシアは一樹の言葉を静かに聞き、頷いた。
その瞳には、理解と共感が浮かんでいるように見えた。
——
昼になり、二人は狩りに出かけた。
アリシアの領地は広大で、豊かな自然に囲まれている。
アリシアは弓を手にし、一樹には簡単な狩猟用の短剣を渡した。
「今日は私の領地の誇りでもある、狩りを体験していただきます。心配しないでください、私が指導しますから」
アリシアは優雅に笑い、先に進んでいった。
彼女の動きには無駄がなく、森の中を軽やかに歩いていく姿は、まるで狩猟の女神のように見えた。
一樹は彼女の後ろについていきながら、その背中に感じる威厳に圧倒されつつも、彼女が自然と共に生きていることを感じた。
しばらくして、アリシアが弓を構えた。
風が静まり、時間が止まったように感じた一瞬――彼女の矢は的確に獲物の心臓を射抜いた。
「……やった」
一樹は驚きとともに感嘆の声を上げた。
アリシアは静かに微笑み、矢を回収するために歩み寄った。
「これが私の生き方です。狩りは、生きるための術でもありますが、同時にこの領地の伝統でもあります」
その言葉に、彼女がただの貴族ではないことを改めて思い知らされた。
一樹は彼女の凛とした姿に尊敬の念を抱きながらも、どこか心の距離を感じていた。
——
夜が更け、館は静寂に包まれていた。
狩りから帰り、一樹は部屋に戻って体を休めていた。
だが、心のどこかで、今日の出来事が頭の中をぐるぐると巡り、眠ることができない。
そんなとき、突然ノックの音が響いた。
「カズキ様……失礼します」
アリシアが部屋に入ってきた。
一樹は驚きながらも、彼女の姿に目をやった。
昼間の堂々とした彼女とは異なり、ランジェリー姿でどこか緊張した表情を浮かべている。
「……どうしたんですか?」
彼がそう問いかけると、アリシアはしばらく言葉を探すように沈黙した後、急に目に涙を浮かべた。
そして、ぽつりと呟く。
「私は……本当は、ずっと怖かったのです」
彼女はそのまま、一樹のベッドの端に腰を下ろし、涙を流し始めた。
その姿は、まるで少女のように脆く、今まで見せてきた強さが崩れ去ったかのようだった。
「私は……生娘なのです。ずっと領地を守ることにばかり集中してきて、結婚もせず、誰かと深い関係を持つこともなく、ここまで来ました……」
一樹はその言葉に驚きつつも、彼女の心の奥底にある不安を感じ取った。
アリシアがこれまで背負ってきた責任と孤独――それは、自分自身が抱えてきた重圧と似ているように思えた。
「アリシア様……」
一樹はそっと彼女に手を差し伸べた。
「俺も、正直言って、まだこの状況に戸惑っています。日本ではただのサラリーマンでした。ここに来て、いきなりこんな役割を与えられて……正直、どうしていいか分からないんです」
彼の告白に、アリシアは顔を上げた。二人の目が合うと、そこにはお互いの抱える苦悩と孤独が映っていた。
「……私たち、似た者同士なのですね」
アリシアが静かにそう呟いた。彼女は涙を拭い、一樹に少しだけ微笑んだ。
その笑顔は、今まで見たことのない、心の奥からの温かさを感じさせるものだった。
「ありがとう、カズキ様。こうして話せて、少しだけ心が軽くなりました」
彼女はそう言いながら、一樹の手を握った。
その温もりは、彼を安心させると同時に、これからの役割を受け入れる覚悟を促しているように感じた。
——
二人はその夜、互いに寄り添い、心の準備を整えて床を共にした。
言葉は少なかったが、互いに通じ合うものがあった。
彼らはそれぞれが抱えてきた重荷を、少しずつ解きほぐしながら、新しい一歩を踏み出した。
やがて、静かな夜が更け、二人は眠りに落ちた。
朝が来ると、窓から差し込む光が一樹の顔を照らした。
隣には、穏やかな表情で眠るアリシアの姿があった。
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