サラリーマン召喚〜異世界で始める種馬生活〜

佐々木涼介

第1話 女王の勅命

今日も、長かった。


瀬川一樹せがわかずきはデスクに広がる書類の山を前に、深いため息をついた。


無機質な蛍光灯の光で机上に浮かび上がるカレンダー。


日付は追い越し、今日も定時退社など夢のまた夢だ。


疲れた体を椅子に預け、目を閉じる。


一日の終わりに飲むビールだけが唯一の楽しみ。


それを支えに、何とかこの無意味に思える仕事に向き合っている。


「終わんねぇ……」


声に出しても、誰かが助けてくれるわけではない。


日本の会社、それもブラック企業と呼ばれる会社で、自分はただの歯車だ。


自分の時間も、心も、すり減るばかり。


頭がぼんやりとしている。


周囲のデスクに残る数名も、同じように疲れた顔をしてキーボードを叩き続けている。


彼らもまた、夜が明ける前に家に帰ることなど夢物語だろう。


ようやく残業を終え、家にたどり着いたのは深夜3時。


脱力した体をソファに投げ出し、冷蔵庫から取り出したビールのプルタブを引いた。


冷たい液体が喉を通り、少しだけ生き返った気がする。


これが俺の唯一の疲弊しきった心を解放させる瞬間――そう思ったときだった。


突然、視界が白い光に包まれた。


「な、なんだ……?」


反射的にビール缶を落とすが、缶が床に当たる音は聞こえない。


目の前に広がるのは、非現実的な光の渦。


飲みすぎて倒れたのか?


夢なのか?


だが、意識ははっきりしている。


それでも光は収まることなく、周囲が次第に現実感を失っていく。


そして――目が覚めると、そこは日本ではなかった。


豪華なシャンデリアが天井から垂れ下がり、装飾の施された大理石の床が足元に広がっている。


重厚なカーテンが壁を覆い、どこか中世ヨーロッパの宮殿のような雰囲気だ。


異世界――まさか、こんな現実があり得るのか?


自分が今、まさにその異世界に召喚されたということを理解するのに時間がかかった。


「ようやくお目覚めですね、異世界の男子よ」


声に驚き、顔を上げると目の前には一人の女性が立っていた。


銀色の髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、どこか冷たい雰囲気の美しい女性。


その佇まいからただならぬ威厳を感じた。


「私はセレナ・アークヴェル。この世界の召喚士です。あなたを、この世界にお連れした者です」


「俺を、ここに……?」


言葉が出ない。


意味がわからない。


なぜ自分がこんな場所にいるのか、なぜこの女性が自分を召喚したのか。


頭が混乱する中、セレナは淡々と語り続ける。


「あなたには重要な使命があります。この国の女王、ヴィクトリア・ルイーザ・ヴァル=カリス陛下の勅命により、あなたはこの国において特別な役割を果たすために召喚されました」


「勅命……? 俺に、何の役割が……?」


疑問を抱きながらも、状況を把握する余裕などなかった。


セレナの言葉は冷静で、感情の欠片も感じられないが、何か重大なことが待っている予感だけは伝わってくる。


その瞬間、大きな扉が開かれ、さらに多くの視線を感じる。


振り返ると、女王と称される人物――ヴィクトリア女王が立っていた。


彼女は威厳に満ちた美貌を持つ女性で、王座から一歩一歩こちらに近づく。


全てが現実離れしているせいで、言葉を発することができなかった。


「そなたには、この世界で新しい血を授けてほしい」


ヴィクトリアのその一言で、一樹はさらに困惑した。


「……どういう、意味ですか?」


「この国では、100年前に若い男子が絶滅寸前にまで減少する奇病が蔓延しました。その結果、貴族の家系は血を守るために近親交配が続き、次第にその影響が出始めています。あなたには、我々のために新しい血を分け与えてもらうのです」


頭が真っ白になる。


何を言われているのか、理解が追いつかない。


「新しい血」とは?


どういうことだ?


目の前で展開されるこの異常な状況が、あまりに現実離れしすぎていた。


「具体的に言えば、貴族の女性たちに子種を与え、彼女たちとの間に子をもうけることが、あなたの使命です」


セレナの冷たい言葉が、胸に突き刺さった。


まさか自分が、この異世界で「種馬」としての役割を押し付けられるなど、夢にも思わなかった。


「冗談だろ……そんなこと、できるわけがない……」


思わず反論するが、女王もセレナも微動だにしない。


彼女たちにとっては、この現実は当たり前のものであり、自分に拒否する選択肢などないかのように見える。


「私たちの国と血を救うためです。あなたがその役割を果たさなければ、我々の国の未来は暗いものになるでしょう。それに……そなたが元いた世界に帰る方法はありません」


なんだって!?


日本に、帰れない!?


無理だ。


そんなこと、どうしても受け入れられない。


一樹の頭の中で、様々な感情が入り乱れる。


この異世界で、そんな命令に従うなんて、本当にできるのだろうか?

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