第12話
「考えておく、って言っておきながら、架くん来ないんですけど」
「つまり、考えた結果、来ないことに決めたんだろ」
放課後の第一図書室には、相変わらずわたしと柴田先生の二人きりだ。
架くんの姿はない。
「ていうか、もっと強引に連れてこいよ」
「嫌です」
「何で」
「面倒臭いし、架くんが可哀想」
机に突っ伏しながらそう答えると、先生の深い溜息が聞こえた。
「あんな奴に同情してどうすんの」
「お兄さんからしたら『あんな奴』なのかもしれませんけど、架くんって結構良い人ですよね?」
「そうか」
「少なくとも、先生よりは」
この間、架くんに言ったのと同じようなことを先生にも言うと、柴田先生は笑いながら頷く。
「まあ、それは認めよう」
「先生って何だかんだ言いつつ、弟のこと好きですよね」
「まあな」
あ、素直なんだ。
わたしが顔を先生の方に向けると、眉を下げて微笑んでいるのが見える。
「申し訳なく思ってるからかな」
「先生が、架くんに?」
「そう」
何を、申し訳なく思っているのだろうか。
聞いても良いことなのか悩む。
わたしは少し考えてから口を開いた。
「そう言えば、架くんがグレた理由とか、聞いても良いですか」
「聞いてどうするんだよ」
「ただちょっと、気になるだけです。兄として言いたくないのであれば、無理には聞きませんけど」
「お前って押しが弱いよな」
柴田先生はわたしを馬鹿にするように笑いながら、煙草を取り出して火をつけた。
先生の本性を知っているわたしの前では、好き勝手やることに決めたのだろうか。
わたしはそんな先生に呆れながら、窓の隙間を空けた。
「架は、昔はめちゃくちゃ良い子だったんだよ」
「そんな感じ、します」
結局、話してくれるようだ。
わたしは近くの椅子を引いてそこに座ると、机に頬杖をつきながら先生の方を向いて話を聞くことにする。
「架が生まれるまで俺は一人っ子だったから、弟が出来て嬉しかった。そりゃあもう可愛がりまくったよ。なんて言ったって、10歳も離れてるわけだから」
「ということは先生、今28?」
「計算すんな馬鹿。そして俺はまだ27だ」
思いがけないところで先生の年齢を知ることになった。
30歳になっていないというのも、わたしたち生徒の憶測でしかなかったけど正解だった。
先生は懐かしむように微笑む。
「俺の知ってること全部教えたよ。勉強も、習い事も。早く自分と同じレベルになってほしかった」
その表情を見て、先生が本当に架くんを可愛がっていたことが伝わってきた。
今もそうなのかは、定かではないけれど。
「でもあいつには出来なかったんだ」
「どうしてですか?」
「俺は要領が良いから、大抵のことは難なくこなせる。だけど、あいつはそこまで上手く出来ないんだよな。ただ運動だけは架の方が出来るんだけど」
ああ、とわたしは話の流れを察した。
「俺はそれでも良かったんだぜ? 弟が可愛いのは変わらなかったし、何よりも自分が特別であることが証明された」
「最低だな」
「あの頃はまだ俺もガキだったんだよ」
先生はあははと明るく笑う。
だけどそれも一瞬で、次の瞬間には表情に影が差した。
「だけど俺よりももっとガキだったのが両親でさ、あいつが俺ほど出来ないのが許せなかったんだよな。よく聞くだろ、『お兄ちゃんは出来るのにどうしてあんたは出来ないの』って。言っとくけど、架もそこそこ頭良かったし、他のことも周りの奴らよりは出来てたんだよ?」
そう言えば、架くんも言っていた。
あの自慢も間違っていなかったんだな、と思う。
きっと、学年一位とまではいかないにしても、常に上位を保っていたのだろう。
それが本人や周りにとって、満足のいく結果ではなかったとしても。
「それでも、うちの親は受け入れられなかったんだよな」
「それで、架くんはお兄ちゃんの背中を追いかけるのを止めたんですか」
「うん。きっと、俺と同じことをして差を付けられるのは嫌だったんだろうな。俺とは正反対のことをするようになった。その結果がアレだよ。まあ、元から背も高かったし俺よりもずっと目付きが悪いから、不良に絡まれやすいってのはあったんだろうけど」
そんなの、架くんは悪くないじゃないか。
むしろ、彼が被害者だ。
だけど可哀想だと思うことも、同情することも彼のためにならないことは分かっている。
どうにかならないものかな、と溜息をついた。
先生の指から煙草を抜き取って、机の上に置いてある灰皿に押し付ける。
いつの間にか、柴田先生が持ち込んだものだ。
「それから、校内は禁煙です」
「吉岡までつれないこと言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」
「何ですか、それ。この部屋が煙草の匂いするのバレたら、怪しまれるのはわたしと架くんなんですからね」
「それが俺の築き上げてきた人望だ」
「最低野郎すぎません?」
先生は「仕方がない」と腕を組んだ。
彼が煙草を諦めたのを確認してから、わたしは本棚に近づく。
その中から面白そうな本を選んで手に取った。
「今日は行かないのか、架のところ」
「一旦休憩です。先生もここで散々気抜いてるし、わたしもこれくらいは許されて当然だと思うんですけど」
はいはい、という先生の面倒臭そうな声を聞きながら、わたしは椅子に腰を下ろす。
本を机の上に置いて、表紙を捲った。
その隣で柴田先生は眼鏡を外す。
そして自分の腕を枕にして、机に突っ伏した。
「五時になったら起こしてくれ」
「寝るんですか?」
「人気教師は多忙なんだ」
「はいはい」
目の前で眠りについた先生を見て、何だかとても不思議な気持ちになる。
この人、この間まで憧れていた人なんだよな。
みんなは、今でも憧れているんだよな。
先生が自分で言う「人気教師」というのは本当にその通りで、そんな人がわたしの前でだけはこんなに人間らしいなんて不思議だ。
こんな無防備な姿を晒して、わたしじゃなければキスの一つくらい奪われているかもしれない。
「何? じろじろ見られてるの、気付いてるからな」
その言葉、デジャヴだ。
わたしが笑い出すと、先生は目を開けて怪訝そうな顔でわたしを見た。
「何でもありませんよ。おやすみなさい」
「気になるだろ。言え」
「秘密です」
わたしは先生を無視して本を読み始める。
そのうち、先生は諦めたようにまた眠りについた。
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