第一部 薫る古都にて少年は言う(4-2)
ひとしきり楽しんで、男はさんざ弄んだ少年を、飽いた玩具を捨て置くように立ち去った。
浅木の若旦那は口ぶりこそ優しいが、かけらの憐憫も蝶乃にかけはしない。『古都』ではみな、どこかしら多少なりと屈折していた。
空腹は満たされぬままにどろどろと胃が重い。ひとり残された部屋で自ら張型を引き抜き、結ばれた紐を解くと、結局達することのできなかった苦しさに震えながら蝶乃は身なりを整え、屋敷を後にした。
食事もままならないまま刻限は昼を回っており、寝不足と疲労があいまって、蝶乃の足取りは重く、遅々として進まない。半ば朦朧としながら歩み続け、金木犀の甘すぎる香りに吐き気を覚えた。
うっかり回り道をするのを忘れ、表のほうから帰っている。引き返そうと踵を返す足がもつれ、
立ち上がる気力がわかない。このまま倒れこんでしまったら、誰が助けてくれるのだろうと蝶乃は思った。
だが近隣の男衆はみな少年を見知っている。すぐに祖父のもとへ連絡が行き、迎えが寄越されるのが関の山だ。そしてまた粗相を叱られる。
「あかん……」
自身を叱咤し、蝶乃は塀を支えに立ち上がる。
座り込んでいたら、気持ちが負けてしまいそうだった。負けて済むならまだ救いがある。しかしそうではない。
陰子の務めは二十歳過ぎまでがせいぜい。それまでの辛抱だ。あとざっと十年近く。
気が遠くなった。
「蝶乃⁉」
ふわりと仰向けに傾いだ身体を、しなやかな腕が支えた。ゆっくりと地面に座らされる。薄目を開くと、気遣わしげに覗きこむ颯の顔が見えた。
「自分、なんで……?」
「足音が聞こえたから」
蝶乃は周囲を見渡そうとしたが、視界がぼやけてうまくいかなかった。きゅるる、とまた腹の虫が鳴く。
へ、と颯が間抜けな声を出して、帯の辺りを眺めた。
「いややわ。お腹空いて倒れたやなんて、恥ずかしいやん」
***
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