#006



 シャロンは煙草を咥えながら寝室からウォークインクローゼットに足を進めた。今夜オペラを観劇するのなら、ドレスが必要だ。ターゲットはどんなドレスが好みだろうか。女はそうは考えながら重厚な扉を開ける。ロココ調に揃えられたゴールドのドアノブを可憐な指先が引く。


「……てめぇはいつもこんな量の服を持ち歩いているのか?」

「私はどこにいても欲しい物がすぐ手に入るのよ」


 ウォークインクローゼットの中には色取り取りのドレスが揃えられていた。色から形から多種多様のドレスは煌びやかにクローゼットの中に並べられている。もちろん足元にはドレスに合わせるように靴も置かれてあり、ウォークインクローゼットの中に備え付けられてあるソファには大きなアクセサリーボックスが鎮座していた。

 もちろん女が揃えたものではなかった。女はオペラの招待状を持ってきた誰かの仕業だろうと、ふわり笑う。


「てめぇの体のサイズを俺以外にも知っている奴が居るとは嫉妬で狂うね」

「そうやって嫉妬する貴方は可愛いわ」


 ジョンは中性的な腕をシャロンの豊かな体に回す。シャロンの腰は綺麗にくびれていた。まるでチェロのようだとジョンは思う。

 シャロンは暗殺者として傑作だったが、ジョンもまたバウンティハンターとして傑作だった。だが、そんなジョンからいとも簡単に逃げてしまうのがシャロンという女だった。

 シャロンはするり、ガウンを脱ぎ捨てクローゼットを歩き回る。白い肌には幾多の戦場を切り抜けてきた傷が存在した。男性の傷なら勲章だが、女性の傷は弱き者という証拠。シャロンはできるだけ傷を作らないように、と考え実践していた。


「それで? いつ私を捕まえる気かしら?」


 シャロンは黒い長髪を結び、黒色の服を好んで着るジョンに言葉を投げた。


「てめぇはいつだって俺の指先からこぼれ落ちていくだろ。捕まえるのは一苦労だ」

「易々と捕まるものを欲しがるの? それに貴方にとってもそんな私とのやり取りは一興でしょ?」


 ふふ、華麗に笑うシャロンはなにも纏わぬ肌にクリスチャン・ルブタンのブラックを這わせた。十二センチメートルのヒールの靴はシャロンにとっての武器。実質的な武器にも男を誘惑できる武器にもなる。奴隷のように従わせ、自らの体の一部のようにしなやかにその十二センチメートルを操る。

 ジョンはクローゼットの扉に体を預け、シャロンの優美で欺瞞な裸を恍惚と見つめる。シャロンの体は世の男性を弛緩させるために生まれてきたような、魅惑的なものだった。腰を彩るえくぼがジョンの劣情を誘う。


「今晩、プッチーニの『ラ・ボエーム』を観劇しようと思うの。エスコートしてくださる?」

「……見返りは?」

「そうね……」


 シャロンはアルマーニのシックなベージュ色のドレスを手に取り、それを身に着けた。足元の妖艶さに対してドレスはスレンダーラインと大人しく品が良い。

 シャロンはヒールを鳴らし、ジョンの元に鷹揚に駆け寄る。ファスナーが空いたままの背中を見せると、言葉無くしてもジョンはなにを頼まれているのか理解したようで、シャロンを自らの方に引き寄せた。ファスナーの間から臨む美しく白い陶器のような肌をひと撫でし、シャロンの首筋にひとつ口付けを落とす。


「……ある女の居場所を教えてあげてもいいわ」

「それなりに懸賞金がかかっている女なんだろうな? こっちも生活がかかっているんでね、それなりの奴じゃなきゃ取引はしないぜ」

「ヴァイオレットはどう?」


 ドレスのファスナーを上げたジョンの腰に細いシャロンの腕が回る。まるで猫のしっぽのように我儘で悪戯っけのあるその腕の持ち主、シャロンは喉を鳴らして笑う。

 この女に愛されたことを思い出すジョン。チョコレートのように甘く、蜂蜜のように温かい、けれど、どちらも溶けてしまえば無くなるように、女は忽然と消えるのが毎度のことだった。愛したいが愛しては身を滅ぼす、ジョンはそれを肝に銘じていた。


「乗った」

「貴方って本当に分かり易くて好きだわ」


 シャロンはくすり、鼻で笑う。それはどこか嘲弄しているかのようなものだった。

 ヴァイオレットはフリーの殺し屋でシャロンと親しくしている人間のひとりだった。ヴァイオレットもシャロンと同じく懸賞金がかかっている。シャロンにとって、ヴァイオレットを売ることに別段理由などなかった。今、渡せる手札がそれだけだったという理由だ。利己的で聡明な女は時に残酷に人を切り捨てる。いつだってシャロンは自らの人生の舵取りをし、自らの力で立っていた。利用価値があるかないかで判断し、その時々で取捨選択をしていく。


「てめぇは寂しい奴だ」

「……あら。お互い様でしょ? 似たもの同士仲良くしましょ」


 シャロンはジョンの唇に優しく吸い付いた。

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