#004

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 シャロンが滞在するホテルに帰ったのはそれから数時間経ってからだった。ヴァンドーム広場から歩いてすぐの場所にあるカルティエ本店に現れ、普段愛用している時計の革を新調した。サービスとして提供されるシャンパンを悠然と飲みながら、シャロンは自らの白い肌に似合うブラウンのベルトを恍惚な瞳で見つめた。煌びやかにシャロンの手首を彩る腕時計。

 シャロンは昼も夜も忙しさとはかけ離れた優雅な時間を過ごしていた。ホテルに帰る道すがら、可愛らしい菓子店を見つけ、ノネットを購入。ホテルでアールグレイと共に口に運ぼうと決めていた。


「おかえりなさいませ。よい時間を過ごせましたか?」

「えぇ。旧友に偶然会えたの。パリに来ていたみたいだわ」

「それは素敵なひと時を。甘い香りがしますが、なにかお飲み物をご用意致しましょうか?」

「ノネットを購入したの。アールグレイをいただいても?」

「かしこまりました。少々お待ちを」


 専属のホテルマンに指示を出すシャロンはピアスを外しながら、自らの部屋に人が入った形跡を確認した。閉めたはずのバルコニーの扉が開けられており、ドレッサーの前には花瓶に入った花束が置いてある。ピンヒールを脱ぎながらドレッサーの前にある巨大な花を見つめる。百合を主役に様々な花が集まる花束はドレッサーの前を陣取っている。その花の間には“Eveエヴァ”と書かれた手紙が差し込まれていた。

 聖母マリアを象徴とする白色の百合の間に対照的な“Eve”の名前にくすり、シャロンは笑う。皮肉的な演出が素敵だ、と部屋に入った誰かに想いを馳せた。

 上等な封筒を開けてみれば、オペラの招待状が入っている。ジャコモ・プッチーニの『ラ・ボエーム』の招待状だ。シャロンは招待状の後ろに、もう一枚なにかが入っているのに気付く。写真だった。三十代後半と見えるブラウンヘアを携えた男性。今回のターゲットはいつもより若い、年端もいかぬ者だな、とシャロンは内心で考えた。オペラの招待状も入っているところを見れば、今晩はお近付きになればよいといったところだろう。

 シャロンはその写真をライターに翳し、燃やした。不意にここは火災探知機があるだろうか、あれば感度は良いだろうかと考えるが手の中にある写真はオレンジ色と青色を纏いながら隅から燃えていく。黒くなるそれが崩れぬうちに灰皿に持っていく。灰皿の中で蠢く火。シャロンは小さくなる火を吐息で消した。


「失礼いたします」

「ごめんなさい。煙草が燃えてしまって……。灰皿を変えてくださるかしら」

「かしこまりました」


 完全に灰になった写真は誰であっても修正不可能だ。他者に渡ったところでどうこうできる代物ではないだろう、女はそう考え、ホテルマンに灰皿を渡した。

 ホテルマンはスムーズな手付きで灰皿を回収し、上質なカップに適度な温度のアールグレイを注いだ。女は菓子店から購入したノネットを取り出す。どうやらこのノネットはアプリコットのジャムが入っているらしい。

 シャロンはノネットとアールグレイを嗜んだ後、また煙草に火を灯した。エッフェル塔が一望できる、フランスの最高級ホテルの称号パラスホテルを持つラグジュアリーなホテルで新聞紙を開いていた。シャロンはテレビを好まなかった。速読で読める新聞の方が遥かに効率がよいからだ。生まれ育ったアメリカの新聞を取り寄せ、そして今滞在するフランスの新聞、その両方を数分で読み終えたシャロンは、一度昼寝をしようと考え、欠伸を携えた。

 もちろん女が新聞の一面を飾ったことはない。シャロンが起こした殺しについて報道されることがあっても、シャロンに辿り着く者はいなかった。


 シャロンの父は、三十六人を殺したシリアルキラーだが、シャロンにとっては良き父であった。シャロンはなに不自由なく生活し、十歳までは平穏に過ごしていた。生まれてから十回目のクリスマス、シャロンの父は猟奇的殺人犯として逮捕された。シャロンの母は世間のバッシングに耐え切れずクリスマスの次の日縊死いしした。

 孤児となった女は、世界規模で暗躍する犯罪組織に実験台として迎え入れられる。実験内容は、殺人の能力は先天的に組み込まれているものか、後天的に備わったものなのか。三十六人をも殺したシリアルキラーの血が流れている女は犯罪組織の傑作になりえるのかどうなのか。

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