獣を抱く女

枯 個々

Alpha

#001

 



 女は赤色のレーザーサイトが脳髄を抉るまで帰らないつもりだった。くだらない話だ。この夜に愛と正義を語るには場違いで反吐が出てしまう。だが、女にとってそれが商売だった。

 女は深紅色のドレスを靡かせ、安モーテルに入っていく。ヒールを鳴らすたびにドレスのスリット部分から肌が見え、通り過ぎる人間の性別を問わず目線を誘った。

 ここがルート66のモーテル──あそこは寂れ過ぎていて静かである──であれば少しは気が収まるのだろうが、残念なことにここは繁華街から少し外れただけの場所。女はひとつ溜め息を吐いた。無駄な溜め息を。


「おかえり」


 にへら、と不気味な笑みを貼り付けた男は女が部屋の扉を開ける前に顔を出した。女の鳴らすヒール音に気付いたのだろう。こいつの耳は人一倍良い方だ。動物の本能が宿っている。だからこそこの商売に向いていて生き残っているのだろう、そう女は内心で笑う。

 女は酒場で無理を言ってマスターから貰ってきた極上のワインとチーズ、それから街中にあるマクドナルドで買ってきたハンバーガーを男に手渡す。


「なんだよ? おまえその格好でチープな店に行ったわけ?」

「貴方も大概よ。髪の毛と頬に血が付いているわ。殺人鬼もびっくりね」

「おまえのこと言ってんのかよ?」


 クツクツ、喉奥で笑う男──ギルは女から袋を渡され、手に持っていたペンチを床に落とした。ごとん、血塗れのペンチは用済みと言われるかのように足で蹴飛ばされ、部屋の隅に転がっていく。


「何本?」

「計十二本」

「……足の爪まで剥いたの?」

「俺の拷問が生ぬるいって言いてぇのか? 訊き出す能力がねぇって」

「まさか。派手で好きよ。拷問は痛め付けて痛め付けて、死ぬ寸前まで追い込むのが醍醐味じゃない」

「おまえの趣味も大概だな」

「退屈するのが嫌いなのよ。貴方もでしょ?」


 女はギルの頬に飛ぶ血を指先で拭き取る。そしてその血を舐め取った。

 ギルはその凄艶な容姿に似合わない動作で渡されたジャンクフードの袋を開け、いつもと変わらず大きなハンバーガーを口に放り込んだ。

 安モーテルの部屋の奥にバスルームが存在する。カタカタと安っぽい音を立てる換気扇がそこに居る男の情けない泣き声を掻き消していた。


「それで? 吐いたのかしら」

「退屈とは無縁だったぜ」


 女はギルが注いだワインを一口飲む。あの酒場のマスターは気が効く人だ。グラスまで用意してくれた。ショットグラスなのが気に食わないがまぁ、及第点だ。白髪のダンディなマスター。ここに滞在する期間が長いのであればあの酒場にまた顔を出そうか。ワインボトルを眺めながら女は思う。

 女はグラスを捨て、バスルームを開けた。そこには椅子に縛り付けられ、血を垂れ流したひとりの男が泣きながら宙を見つめている。女に懇願しているのか、それとも神の存在を見出したのか。死に際の人間はそれはそれは面白い。穴という穴から体液を垂れ流した男は折られたことにより指が変形しており、さらに爪が無い。足の爪はなんとか八本無事だ。


「……こ、こ、ろせ」

「あら。言われなくても貴方はもう用済みよ。それに私は彼ほどイカれてないの。貴方の望みを叶えてあげるわ」


 女は愛銃のベレッタPx4を太腿に巻き付けていたホルスターから抜き、虫の息の男の眉間に突き付けた。


「かみ、…のご、意思……神よ」

「退屈ね」


 愛銃が喉を鳴らした。女はこの世に神がいないことを随分と前から知っている。生まれ落ちた瞬間から知っていた。

 女はバスタブに無造作に置かれた血塗れの爪、計十二個のそれを瞥見した。執拗に行われた拷問の形跡は瑣末なこと、ここでの通常だと思いつつ、サイコパスであるギルの嗜好も兼ね備えているのだと理解していた。だから、この後行われる悲惨な嗜みを、男の欲求を満たす行為が行われるのだということも十二分に理解していた。

 女は愛銃を太腿に巻き付けてあるホルスターに仕舞う。射撃の衝撃で男の体は椅子ごとバスルームの床に倒れていた。バスルームはまるでクラゲが這ったような血が撒き散らされ、硝煙の香りと脳髄の芳醇な匂いが混ざっていた。

 女は証拠を一切残さないことで有名だった。そう教え込まれたのだ。一部の暗殺者は自らの仕事の証、サインなどを残すために薬莢などを置いていく悪癖があるが、女はそのような趣味はない。そのような悪癖がないこともクライアントから一目置かれる理由であった。聡明な子供が美貌を貰ったのであり、美しさでのし上がったのではない。確かな腕が女にはあった。それを面白く思わない人間も居る。


「終わったか?」

「えぇ……、私もお腹が減ったわ。さっきのパーティー、出るものすべて味が濃くて食べられたものじゃなかったの」

「なら、なぜこんな店なんかに行ったんだ。こっちだってそんな変わりねぇだろ」

「女の趣味に口出す男は嫌われるわよ」


 薬莢を床から拾い、男の脳天突き破った弾丸を壁から抜き取る。それを熟れた果実のように実る豊満な胸元に滑り込ませた。女の胸元は男たちに見せつけ、情報を訊き出すためだけの武器ではない。ここに小型のナイフや拳銃くらいなら隠すことができる。

 女であることを最大限利用している奴だと、ギルは常々思っていた。内心で拍手を送るくらいには女のことを敬畏している。

 男と女は場所を入れ替える。女は愛銃を安モーテルに安っぽく存在するベッドの上にそっと愛おしい者を抱き下ろすかのように置いた。撃った後の愛銃はいつ機嫌を悪くするか分からない不安定さがある。

 遥か昔、まだ女が少女だった時のことだ。仕事が終わったと銃をテーブルに投げたとき、運悪く暴発し、仕事仲間を撃ち殺してしまったことがある。女はその男が嫌いであったから、不幸中の幸いだと笑った。だが、今後弾を無駄にしないようにと要心するようになった。


「ねぇ」

「……んだよ」


 女は卓逸した美貌を貰っている。先程の殺しでもブロンドの美しい髪を一切汚さなかった。だが、今は頬いっぱいにハンバーガーに食らい付いている。そのような数少ない二面性を見せるのは、組んで長いギルだけだった。だからと言って慣れ合おうという気持ちは女にはないのだから、ギルは女を可愛くない奴だと烙印を押していた。


「解体ってどのくらい時間がかかるのかしら?」

「おまえがそんな質問しなけりゃもっと早く済むぜ」


 女と男は所謂、掃除をしなくて済む人間であった。死体を片付けるなどということは下の者がする。それが序列だ。だが、男はそれを嗜好としていた。


「食べ終わったら帰ってもいい?」

「俺とのディナーはお気に召さないか?」

「えぇ。だってあなた、私より肉に愛を捧げるんだもの」


 女はハンバーガーの包み紙の中に十二個の爪を入れ、持っていたライターで火を付けた。灰皿の中で燃えるそれを見つめ、ギルが死んだ男の体に刃物を入れる音に耳を傾ける。ぎい、ぎい、鈍い音が響く。どこの骨を削いでいるのか想像するのは安易だった。

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