第4話

「…今日も送ってくれて、ありがとう」


気がついたら、あっという間にアパートに着いてしまった。「また明日、バイトで」…といつも通り解散をした。

愁に背を向け、歩き出そうとしたその瞬間、腕を掴まれた。


「…待ってくれ。今日はもう少し一緒に居たい。幸奈ん家にお邪魔してもいいか?」


掴まれた腕から、愁の熱が伝わってきた。全身が熱に侵され、冷静な判断ができない。


「い、いいよ。私ももう少し一緒に居たいから…」


何も考えずに、反射的に答えてしまった。いつもの私ならどうしていたのか、分からなくなってしまった。

ただ、一緒に居られるだけでよかったのに。いつしかそれだけじゃ物足りなくなっていた。

愁の気持ちが私に向けばいいのに。好きな人って誰?教えてよ、愁の好きな人…。


「いいのか?一応、俺、男だよ?」


そんなことは分かってる。だって私は、愁のことをとっくに男として意識しているのだから。

寧ろ愁に、私を女として意識してほしい。


「愁だから、いいんだよ……」


この言葉の本当の意味を早く分かってほしい。他の男の子なら、家に上げたりなんかしない。

愁だから。好きな人だから。家に上げる。だって、その先の展開を期待しているから。

今の関係を早く壊したい。でも、同時に壊れることが怖くもある。

そんな恋に臆病な私の心の殻を壊してほしい、愁に…。


「分かった。それじゃ、お邪魔します…」


玄関の扉の鍵を解除し、扉が開き、愁が私のお家の中へと入る。

それはまるで、見せたことがなかった心の淵さえも、見せてしまったかのような、そんな錯覚に陥った。


「綺麗にしてるんだな…」


部屋に入るなり、愁は私の部屋中を見渡す…。

見られているのかと思うと、物凄く恥ずかしい。


「あんまりジロジロ見ないで…。恥ずかしいから」


自分の家のはずなのに、居心地が悪い。

愁が居るだけで、心臓が高鳴って、落ち着いていられない。


「俺は幸奈の部屋に入れて嬉しいよ。ありがとう、お家に上げてくれて」


断る理由が特に思いつかなかった。だって私は、愁のことが好きだから。

こうして一緒に居られる時間が、どれだけ貴重なことか。

愁は気紛れかもしれない。それでも私は、愁と一緒に居たい。


「気にしないで。大したお構いはできないけれど、よかったらお茶でも飲んで」


冷蔵庫の中に入っている、麦茶をコップに注ぎ、テーブルの上に出した。

喉が渇いていたのか、「いただきます」…と言い、すぐに飲み干してしまった。

あまりにも美味しそうに飲むので、おかわりを頼まれてもいないのに、また注ぎたくなってしまった。


「時間遅くなっちゃったけど、どうする?今日は帰るの?」


ふと疑問に思った。愁はどうするつもりなのだろうかと。

このまま泊まってもらっても構わないと、私は思っている。


「泊まっても大丈夫か?大丈夫なら、今日は幸奈ん家に泊まりたい」


こんなに必死な愁は初めてで。そんな愁に私はドキドキしている。


「男の子でも、夜道は暗くて危ないから、泊まってくれた方が安心だよ。お布団はお客様用のがあるから、それを使って」


「いいのか?ありがとうな。

それじゃ、お言葉に甘えて、泊まらせて頂きます」


私以上に嬉しそうだった。それもそうか。夜道を一人で帰らされる方が、嫌に決まってる。

いくら男性とはいえども、最近の世の中は物騒だ。

そんな危険なところに、愁を放り出すなんてこと、できるわけがない。

一晩泊まるだけだというのに、はしゃぐ姿が愛おしく感じた。

こんなに好きなのに…。近くに居るのに…。

きっと私達の間に、一夜の過ちは起きない。だって、愁は私が嫌がることを絶対にしないから。

だからこそ、本当は手を出してほしい。私のこと、少しでも女性として意識してるってことを実感したいから。


どう考えても、女友達としか思われていないに違いない。

愁と友情なんて成立させたくない。私を早く愁の彼女にしてほしい。

もう何回考えたことだろうか。一緒に居る時間が長くなればなるほど、愁と離れてしまうことが怖い。

花火大会に一緒に行ったあの日…。勇気を出していれば、今頃何か変わっていたのかな?

そしたら、この状況がお泊まり会ではなく、お泊りデートになっていたかもしれない。

そうなっていたらよかったのにな…なんて思った。


「それじゃ、そろそろ遅いし、寝よっか」


お客様用の布団を取り出して、寝室に運び、床に敷くために、押し入れから布団を取り出した。

その時、愁がさり気なく、「俺が運ぶ」と言い、代わりに布団を運んでくれた。

さり気ない優しさに胸がズキン…と痛んだ。深い意味がないことは、よく分かっているつもりだ。

それでも、女の子扱いしてくれたことが嬉しかった。

寝る準備も整ったので、「おやすみ」と言い、電気を消した。

暗くなった途端、沈黙が流れ始めた。気まずい。この空気に上手く耐えられるかな?

愁は寝ているかもしれないから、今は話しかけるのは止めておこうかな…なんて、思った矢先のことだった。


「…幸奈、まだ起きてる?」


愁の方から話しかけてくれた。ドキドキした。声だけしか分からないこの状況。聞こえてきた声が、いつもより低く感じた。


「起きてるよ。寝なくて大丈夫?」


「大丈夫。まだ少し話したいから、起きてたい」


どんな顔をしているのか、少し気になる…。

でも、今は顔が見えないのが調度いい。もし顔が見えていたら、気持ちを抑えることができなくなってしまいそうだから。

今も上手く抑えられているのか、よく分からないが…。


「幸奈、帰り道で話したこと覚えてるか?あの時、俺の質問には答えずに、誤魔化しただろう?

俺達の間に秘密はナシだ。好きな人がいるのか、教えてくれ…」


どうして、そこまで私の好きな人が気になるのだろうか。

友達だから?それとも、それ以上の感情があるから?


「せっかく上手く誤魔化したのに。愁には秘密。愁にだけは絶対に教えない」


ここで素直に、「あなたが好き」って言えたら可愛い女だったかもしれない。変に意地を張ってしまった。


「えー…。ズルいな、幸奈は。俺はいるって教えたのに」


本当は今すぐにでも教えてしまいたい。それでも愁の気持ちが分からなくて。

私に興味なんてないくせに、こうやって期待させる愁の方がズルくて。ちょっとだけ意地悪してしまった。


「私、教えるなんて言ってないもん。だから、教えない」


「ふーん。まぁ、今日のところはこれで勘弁してやるよ。

でも、次からは覚悟しておけよ」


それから愁は、私の好きな人について、触れてこなかった。

きっと私が頑なに拒否するので、興味が薄れてしまったのかもしれない。

そして、話題はいつの間にか共通の話題に変わり、話が盛り上がった。


楽しい時間を過ごしていると、考えてしまう。いつまでこの関係が続くのだろうかと…。

お互いに気持ちが全くなかったら、ずっと友達のままでいられる。

でも、片方に好きという気持ちがある場合は、このままではいられない。

私の気持ちは、既に悲鳴を上げていた。ずっと一緒に居たいのに、このままだといつか愁を困らせてしまう…。

そうなる前に、ササッと早く気持ちを告げて、離れた方がいいと頭では分かっていても、なかなか思うようにはいかず…。

それから暫くの間、ずっとこんな状態が続いていた。

そんな時、急に訪れたのだ。愁の傍に居られない日が…。

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