第4話

その日も僕は新しい本を探しながら本棚の間を縫って歩いて、そうして一番端の本棚の前で高い脚立に登り、本を出し入れする彼女と会った。

 僕のことを常連であることを認識しているらしい彼女は、アッと唇を動かして。

 それから脚立の上で、ニコリと僕に向かってお辞儀してくれた、瞬間。

 持っていた本を落としかけてバランスを崩した。

 脚立の上で彼女の身体が大きく揺れる。

 間一髪、僕は彼女を抱きとめた、いや、墜ちてきた彼女の下敷きになった。

 慌てて僕の上から飛び退いた彼女は寝転ぶ僕の隣に四つん這いになって覗き込んできて。

 僕が怪我をしていないか、心配しているようだった。


「大丈夫だよ、君の方こそ怪我はない?」


 彼女の顔が今にも泣きそうだったから、安心させるように笑って見せると。

 彼女はホッとため息ついて、それからちょこんと座ると。

 右手を垂直に立てて左手の甲を叩き上に上げる動作を見せた。


 ……これって、確か。

 高校の時に少しだけ習ったことのある手話ってやつだ。

 『ありがとう』って意味の。

 つまりは、この静かな微笑みをたたえる彼女は耳が聞こえないってこと、なのか。


 その事実に驚いてしまって何と声をかけたらいいのかわからなくて。

 立ち上がり彼女に頭を下げてまた本探しの旅に出る、だけど。

 気になってしまった。

 生まれた時から? それとも途中で?

 全く聞こえないのかな、少しは聞こえるのかな、今まで彼女の声を聴いたことがなかった理由がわかってしまったことが。

 それが僕にとっては大きな現実で何だか切なくなっちゃって……。

 本を読みながらも頭の中ではそのことでいっぱいだった。

 17時を知らせる時報のチャイムが鳴り仕事を終えた彼女が僕の方に歩いてくるのが横目で見えた時。

 僕は気恥ずかしくて、椅子をギイッと動かして明後日の方向へと視線を向けた、というのに。

 トントンと肩を叩かれた。

 ドキドキしながら振り向くと彼女は僕に何かを差し出していた。

 

「僕に?」


 頷いた彼女から手渡されたのは個装包装されたアーモンドクッキーと、チョコレートクッキー。

 そしてさっき泣き出しそうな顔で見せたあの手話を今度は笑顔で僕に伝えてくれる。

『ありがとう』って唇で動きまでつけて。

 そうして僕が何のお礼も言えないでいる内に彼女は頭を下げて図書館を後にしていく。

 クッキーの下に隠れたそのメモに気づいたのは彼女の後姿を見送った後だった。

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