1-4.みなさんの、お世話になります。
「あの、もう一つ心配事があります」
「どうぞ。なんですかね」
キツァンのうながしに少し
「昔、小さい頃に一度だけ……熊に襲われて。そのとき……」
「ふんふん」
「……私を守るように、熊が切り裂かれて死んじゃったんです。何もないところから、
「はあ。そりゃまた」
勇気を出して言ってはみたものの、キツァンの反応はとても薄い。
スカートを握り、ヴィクリアは唇を噛みしめた。
「呪われてる私がお城なんかに行ったら、きっと凄く、迷惑がかかります。だから」
一人にしておいて、と喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。
「本当の呪いとは、きっと自分自身を縛りつけるだけのものではないのかな」
「え……?」
柔らかく、これ以上なく優しい声を発したのは、オルニーイだ。ヴィクリアは思わず窓から彼へ視線をやる。オルニーイは、
「わたしはキツァンと違い、呪いというものを詳しく知らない。それでも、シーテどのがわざわざ友人に頼んだということは……君のことを心から案じていたからだと思う」
「でも、怖いことが起こるのは事実です」
「そうだね。知らないことがあるから怖い。何かに対して無知のままだと恐ろしい。それを
「
ぽつり、とささやいてみた。
知らないから、わからないから怖い。確かにそうだ。呪いのことも熊が死んでしまったことも、マナを扱えないことも、賢者と呼ばれる存在なら――共に答えを導いてくれるのではないか。
「まあ、少なくとも僕がいれば、色々わかることもあると思いますよ。徒労や無駄足にはならないんじゃないですかね」
「わかること」
背中を押してくるように、キツァンの声が胸に染み渡る。
外の世界。見たことのない、城。興味がないといえば嘘になる。今まで、好奇心に蓋をしてきただけのことで。
「私は」
少し震える、平坦な声で、問う。
「私は賢者さんのところで何を、しますか」
「そうですねえ。呪いの深度を測って、できればどんな魔獣の『加護』を受けているか調べてほどく。オドがあるのには間違いないので、僕と共にマナを操る修行もしましょうか」
「それは、どのくらいかかりますか?」
「半年……一年くらいでしょうかね、筋がよければ。呪いの方も深度具合によりますし」
「私、引っ越しするお金とかないです」
「ああ、衣食住は心配しなくていいよ、ヴィクリアどの。わたしが全面的に協力しよう」
至れり尽くせりの申し出だ。そこまでしてもらっていいのか、ヴィクリアには疑問と申し訳なさが
それらを瞳に見て取ったのだろう、オルニーイが一転して真面目な表情となった。
「キツァンは師の遺言を守れる。わたしは困っている君を助けられる。そして、君自身は恐怖を
誰にも迷惑をかけることがない、という言葉は、ヴィクリアにとって誘惑同然だ。
スカートから手を離し、膝にこぶしを乗せてオルニーイを見つめる。緑がかった優しい碧眼と目が合う。
「私……」
緊張でだろうか、自然と唾を飲んでいた。決意を固めるのに時間はかからない。
誰にも迷惑をかけない。この森を守るため――そう思うと、答えは自ずと出てくる気がした。
「みなさんの、お世話になります」
頭を軽く下げて元に戻すと、オルニーイが明朗な笑みを浮かべる。
「大船に乗ったつもりでいてほしい。それにわたしは、君の笑顔が見てみたいしね」
「出ましたね格好つけ。何が笑顔ですか」
「素だよ!? それに笑顔は大事じゃあないか」
「そんなんだから、女性に誤解されて刺されそうになるんです。自重しなさいバカ英雄」
「バカは言いすぎ! 確かにそんなこともあったけれど」
二人の軽口の
「……今、少し笑ったかい?」
「あ、ごめんなさい」
オルニーイに目敏く見られ、慌てて唇へ手を当てた。
「いや、いいんだ。これからはわたしの城で、自然と笑えるようになってほしい」
「はいはい、格好つけはさておいて」
「結構ひどいね、君って」
「ヴィクリア。ローダ城に行くのはなるべく早い方がいいかと」
「無視するし」
「はい」
肩を落とすオルニーイになんと声をかけていいのかわからず、ヴィクリアはキツァンへ返事をするだけにとどめた。
「僕がいるのは王都です。あなたのところ、シェルビとは馬車で三日分離れていますが、ローダ城にはあなたの住まいの方が近いですね。三日後の朝、迎えに行きます。それまでに簡単な荷造りを済ませておいてください」
「荷造り」
「おや? 今日、彼女を連れて行かなくてもいいのかい」
「いきなり来て連れて帰るだなんて、人さらいじゃあるまいし。ヴィクリアにだって、自宅でやりたいこともあるでしょうからね」
「移動は、馬車ですか」
「いえ、他のやり方があるので。ま、賢者の僕に任せてくださいよ」
「わかりました」
返事をしたヴィクリアは見た。シトリンに灯る輝きが明滅しはじめていることを。
「それじゃ、通話を切ります。ルイ、あなたもとっとと戻りなさい」
「ああ、そうだね。長居をしてしまった」
「ではまた。三日後に会いましょう。ルイ、ヴィクリア」
一方的に声が途切れる。鉱石の黄色い光もあっさり消えてしまった。
「もうこれで、声は聞こえないんですか?」
「うん。もともと、そんなに長い時間は使えない
ただの黄水晶に戻った石と、机の上の
「それではわたしもこの辺で失礼しようか」
「お泊まりしなくて平気ですか。もう夜だし、森に熊も出ます」
「お、お泊まり……君は本当になんというか、危なっかしいなあ」
「危ないのはルイさんだと思います」
「いや、熊ももちろん強いけれど……大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
うなずき、ヴィクリアもまた、静かに椅子から立った。
「近くの村で一泊してから戻るよ。ヴィクリアどの、君とまた会うのは少し先だ」
「ルイさん、私のこと、どのつけしなくていいです」
「そうかい? じゃあヴィクリア、三日後に会おう。君を迎える準備を万全に整えておくから、安心してキツァンと来るといい」
「はい。ルイさんも、気をつけて下さい」
微笑みを残し、少し
しばらくして足音も聞こえなくなり、姿も消えた。家の中は先程のやりとりが嘘のように、静かだ。
扉を閉めて大きく呼気を吐く。
何かこれから大きなことが起こるような気がして、それでも胸の奥が少し、ざわつく。村には昔、シーテと共に向かったことはあるが、それ以上の大きい町や都は本でしか知らない。これが気分の高揚なのか、未知に対する緊張なのかは判断もつかないが。
「荷造り……」
自分の声が大きく聞こえる。
この家に十七年、世話になった。数ヶ月後に十八になる手前で、ここから外の世界に出るとは夢にも思っていなかった。
「最後の別れじゃない」
うん、と一人首肯した刹那、軽くお腹が鳴る。晩食をとらずのままだ。そこではじめて、オルニーイも空腹かどうか少し、気になった。
だが、彼は村の宿に泊まると言っていたし、この家から村まではそんな遠くはない。自分が案じることはないだろう。
「いつもどおり。あとは荷造り」
晩食、という言葉で、ヴィクリアはトマトのスープを作ってあったことを思い出す。
二人分のカップを片付けながら、火をくべるための薪をかまどの中に積んだ。
どことなく浮かれている。足取りも軽く感じるし、鼓動もいつもより早い気がした。
シーテと共にいた頃によく感じていた気持ち――楽しさ。封印していたその気持ち。
罪人の自分はきっとこんな心を持ってはいけないと思うのに、それでも微かに笑みが、浮かんだ。
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