第5話

「今更僕に差しても意味が無いのに。」


少し低い穏やかな音色はいつだって心地好く千紗の耳に届く。


今はそれに加え、何処か嬉しそうな響きをもっている。



しかし傘は冷えた手に押し戻されて

行き場を無くした。


私に落ちる雨は冷たい。

時雨に落ちる雨も、だろうか。


濡れてしまっている千紗は、傘を閉じた。



「それなら私も同じでしょ。」


もう濡れている、と。見開いた時雨は、だけど、顔をしかめた。



冷たかろうがなかろうが

彼女を迎えに来るために濡れる事を厭わない時雨を前に

千紗には知らぬ存ぜぬを決め込めそうにない。


二人は揃って器用者ではなかった。



「走ろう。」


痩躯の割りに大きな手が千紗に伸びて

折り畳み傘を持たない小さな手を捕まえた。


途端、その冷たさに息が詰まって

千紗は無性に泣きたくなった。



子供の様に、泣きじゃくりたい。


不必要な感情を、流してしまいたい。



それは、許されない。



男にしては幾分華奢な時雨の背を見詰めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る