第26話

鈴の腕にいたはずの兎はいつのまにか珠璃の足元にまで移動して来ており、心なしか、春嘉の視界に入らないように気を使っているようにも見える。


 春嘉と神使との間に何があったのかはわからないけれど、とりあえず、今はそれどころではない上に、正直珠璃には関係のないことだと割り切って珠璃はどのように寅の神使を助けるのかと春嘉に質問を投げかけた。



「それで、どうやってあの寅の神使を助けるのですか?」


「……ずっと、それを考えていたのですが、あまりいい案は思いつきません」


「おびき出すにしても、どこか人に危害が加えられないところへと誘導しないと……人に危害が加えられれば、また大変そうですし」


「そうですね……囮を使うにしても、寅の神使はなぜか珠璃を認識するとあなたばかりを狙いますしね……それがよくわからない」


「……囮になってもいいんですか?」


「わたしはできるだけなって欲しくありません。反対です」


「それはワタシもです!」


「俺も、反対です」


「うわぁ……みんなちょっと私に対して過保護じゃありません?」



 次々とあがった反対の声に、珠璃は思わずそう声を溢してしまう。


 と、最終的に小鳥が一番声を上げた。



『当たり前だよ!? 珠璃があの寅の神使に投げ飛ばされた時どれだけ心配したと思っているの!? すっごく心配したんだよ!? それに! あの黒いよくわからないと思っていた“異形”が、寅だって分かったのは珠璃が投げ飛ばされた時で、その後すぐに寅は珠璃を追いかけるようにしていなくなっちゃったから、死に物狂いで探したんだから!!』


「あー……あー、うん、ごめんね?」


『軽いっ! 心配したのに!!』


「うーん、でもねぇ……たしかに私、投げ飛ばされたけど、見ての通り打撲だけで他は大きな怪我をしていないし、それになより、なんとなくだけど、大きな怪我はしないだろうなって思ったから突っ込んだんだけどね」


『何その曖昧な言葉!? 一歩間違えれば食われていたかもしれないんだよ!?』



 小鳥の言葉に、珠璃は少し考える。そして、足元にいる兎を見る。兎は、その真っ赤な瞳をうるうるとさせて珠璃を見つめており、そんな兎の反応に珠璃は自分でも思っていたことを口にした。



「――それは無いよ」



 あまりにはっきりと珠璃がそう断言したことに、春嘉も、鈴も、晟も、小鳥も、兎の神使も。全員が全員、驚いた表情をしている。


 そんな自分を驚いた表情で見ている全員に、珠璃はもう一度言葉を繰り返した。



「あの寅の神使が私を喰らおうとしていたのは、無いと思うよ」


『しゅ、珠璃? なに言ってるの? だって、実際には珠璃は……!』


「投げ飛ばされただけでしょ。確かに、お腹に思い切り突撃されたのは痛かったけど、じゃあどうしてその時に牙を立てなかったの?」



 珠璃のその言葉に、全員がハッとする。たしかに、食らおうとしたのならばその場で牙を立てて攻撃した方がよほど早い。それなのに、あの寅はそれをしなかった。



「それを考えたらね。私を本当に食らおうとしていないのかなって思ったの。それに、投げ飛ばされた場所にも疑問を持ったし」


「投げ飛ばされた場所? 神使の住処の森が?」


「そうですよ、春嘉さん。だって、神様の使いが住む森の中に私を投げ飛ばして、そこで私に危害を加えようとしていたのも納得がいきませんよね? だって、そこが神使の森ならば、神様のお膝元も同然。それなのに、わざわざそんなところに投げ飛ばして、食べようとすると思いますか?」


「……たし、かに……」


「でしょう? 考えれば考えるほど、行動に疑問が湧いてくる。不自然な感覚がする。それなら、私たちがしなければならないことはわかると思いませんか?」


「…………珠璃、」


「……あの子、苦しんでいたように感じたんです。私には、泣いているように見えました」


「え?」



 珠璃の突然の告白に、春嘉は戸惑いを隠せない、珠璃がなにを言っているのかよくわからないのだ。


 苦しんでいる? 神使である神獣が?


 そう疑問が湧いてきてしまう。そんな春嘉を見つめながら、珠璃は言葉をさらに紡ぐ。



「春嘉さん、間違えないでください。あの子だって生きてます。もちろん、神使という特別な存在であるかもしれませんが、この兎の神使が言葉を解し、会話をしているようにあの寅の神使だって同じだと思いませんか?」


「……」


「きっと、聞こえていると思うんです。自分が襲った場所で上がる人々の悲鳴も、それに対してあなたがあの子にかける言葉も。苦しんでいるのは、あなたも同じだと思います。けど、あの子だって苦しんでいる。あの黒い靄のせいで、暴れているのだとしたら、早く助けてあげないと、あの子は本当に超えてはならない一線を超えてしまう可能性があります。そうすれば、あなたは、伝えたいことを、言いたいことを、言えなくなるんですよ?」


「!」


「後悔しないで生きるには、ある程度の不満は相手にぶつけなければ。そうしなければ……後悔しても、仕切れないですよ」



 そう言った珠璃の表情は、しっかりと前を巻き、春嘉の萌黄色の瞳を見つめているはずなのに、それを通り越しているようにも感じる。

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