*学生はこのくらいの方が可愛げある*

フェンスに背中を寄りかからせながらも透明の袋の口を縛っていた赤いリボンを適当に解いて投げ捨てた。




たまたま吹いた風にさらわれたそれは、真っ赤な蛇がうねるようにして空中を飛んでいく。




その様子を眺めながらも片桐先輩から「家庭科で作ったクッキーが上手に焼けたからあげる」なんて女子力満載すぎる言葉と共に渡されたそれを口に押し込んでみた。




毒でも入っていたらどうしようかと今更ながら後悔したが、そんな事も無く。




「甘え…」




砂糖の分量間違ってんじゃねえのあの女。




つうか上手に焼けたってあれ嘘だろ。




絶対これ失敗作。




これ以上、水分無しでは到底食えそうにも無いクッキーを見下ろしながらも袋の口を指で摘まむ。




屋上から見えるグラウンドにはどこの学年のどこのクラスかまでは分からねえけど、体育の授業をしているらしき様子がふと視線に映った。




無意味に溜息を吐くと、肋骨がずきずきと痛んだ。




フェンスに預けている背中も時折思い出したように痛む。




体育教師の煩え声が屋上まで届く。それに眉根を寄せながらも横になろうとした矢先だった。




「サボりー?」



「……」




屋上の扉が音をたてて開き、白衣の裾がゆらりと揺らめいた。




堂々とタバコを口に運び、その場で火をつけた男は楽し気に口角を持ち上げながらも現れた。




養護教諭の青井空。




面倒くせえのが来たと思いながらも、学ランを脱いで適当に丸めて地面へと投げる。




その上に頭を乗せて横になってやると。




「いやいや、堂々としすぎでしょう。まあ良い天気だけどなあ」




教師らしからぬ言葉を呟きながら、俺のすぐ傍へとやってくる。




フェンス越しにグラウンドを一度見下ろすと、「ふー」紫煙をくゆらせ俺の隣へと腰を下ろした。何でそこに座んだよ。




青井がかけている黒縁の眼鏡のレンズが、雲の下から顔を出した太陽の光でギラリと光って見えた。




だけど光るレンズの奥の瞳は以前見た時と何ら変わらず、俺を咎めているようなそれでは無くて。




俺が思うのも何だけど、普通注意するもんじゃねえの?楽でいいけどな。




「お前だってサボってんだろ。教師のくせに」



「ちゃんとこれでも仕事してますよー」



「つうか変わってるよね。生徒が屋上でこんな風に寝転がってたら普通の教師なら怒鳴るところだろ。学生の仕事は勉強だろとか何だとか言って。」




以前、運悪く生活指導の教師に見つかってねちねちとそう言われた言葉を思い出した。




何しに学校に来てるんだとか。親御さんのためにももっとしっかりしろだとか。何でお前にそんな事言われなきゃいけねえの?って思ったな。




ふとそんな事を思い出していると、青井は「だってねえ」と気の抜けるような声で言う。




「学校って別に勉強しに来る場所じゃねえもの。」



「は?」



「ここでしか学べない事を学ぶ場所だろ。学生の仕事ってどれだけ上手く授業サボれるか模索する事だと思うけどねえ。」




教師がそんな事言っていいのかよ。と絶句した。




だけど青井は自分の発言について大して気にした様子も無く。




「ちなみに俺は怪我をした可愛い生徒を助けるのが仕事なの。だからサボってるわけではありません。」



「どう見たってサボってんじゃん。」



「だーから、サボってねえって。ほら。」




タバコに押し付けていた細い指をふらりと俺に向けると、その手を緩く上下させる。意味が分からず顔をしかめていると。




「怪我してんでしょう。見せてみろ」




――――と、視線をついっと俺に止めそう言った。




青井はもう片方の手で自らの白衣のポケットを探ると絆創膏に消毒液、ガーゼに湿布を取り出した。




お前のポケットは四次元ポケットか何かかよ。




「してねえけど。」



「やせ我慢するなよーいてえくせにー」




俺の片腕を掴んだ青井は勝手にシャツの袖を捲り上げ、青痣になっているその場所へと湿布をペタリと張り付けてきた。




以前もそうして手当てされた事を思い出した。心底面倒くさそうな口振りとは反してやけに丁寧なその指先に抵抗しかけた身体が止まる。




そんな風に他人に面倒見られる事が凄く苦手だ。反応に困る、物凄く。




「お前、この前もこんな痣作ってたよなー。いつも喧嘩してんの?」



「関係ねえだろ…。」



「まあ関係は無いんだけどね。」




手首を掴んだまま手の平を眺め、傷が無い事を確認すると今度は繁々と手の甲を見つめられる。




目の前をふわりと舞う紫煙の香りが鼻をつく。嫌いじゃねえけど好きでもねえ、そんな匂いだった。




「煙草ってうめえの?」



「さあねー、これは何つうか癖みてえなもんなんだよ。何となく気づいたら吸っちゃうんだわー困った困った。」



「へえー」




と言いながらも青井の着ている白衣の胸ポケットへと視線が滑る。シンプルな3色ボールペンが一本と四角い箱の膨らみが見えた。




目の前が白く霞んでいく。モヤがかかったみてえなその景色は安心出来た。見たくないものを全部隠してくれそうで。




掴まれていない方の手で胸ポケットの中から煙草の箱を抜き取ってみる。青井は俺の怪我に真剣で、全く気付いている様子は無い。




丁度一本飛び出ていたそれを引きずりだして口に運んでみる。独特の香りが一瞬鼻をつくなかで。




「教師の前で良い度胸してるな」




青井が視線は俺の腕の痣に止めたままそう言った。本当に困った様子で眉尻を下げているけれど、慌てて止める様子は無い。




まじで変な男だなこいつ。




「生徒の前で堂々と吸ってる奴に言われても。」



「良いじゃねえか成人してるんだから。」



「そういう問題じゃねえだろ。」



「煙草なんて吸ったって良い事ねえぞ。百害あって一利なしって言うでしょうー」



「まじでお前に言われても説得力ねえんだけど」




そういうのって吸ってない人間が言うから説得力があるもんであって。




口に咥えてみた煙草は、結局ライターなんてものを持っていないから何の意味も成さずに終わる。




箱の中に戻す振りをして、そっとシャツの胸ポケットへとその一本だけ押し込んでおく。




青井は俺の怪我の手当てを終えると、取り出していた救急セットをまた白衣のポケットへと戻していく。



そのうち救急セット以外の物とか取り出しそうだ。謎すぎるこの男だからこそ何となくありえそう。




「あんまり傷ばっか作ってくんじゃねえぞー。」



「俺の勝手だろ。喧嘩しようが傷作ってこようが。」



「自分の身体なんだからもっと大事にしろって言ってんの。」



「関係ねえだろ。」



「まあ、関係はありませんけどねー」





俺の手元から煙草の箱を取ると考え込むような表情で立ち上がる。何かを言いかけて、結局何も言わずに「いや、やっぱり何でもねえや」と頭を横に振った。




何だよその中途半端な言葉。逆に気になるわ。




だけど聞くのも面倒で、俺は肩を竦めるだけで返事を返した。




煙草の中身に視線を落としていた青井はふと気づいた様子で俺を見つめる。




「煙草、一本取ってんじゃねえよー。俺の大事な物なんだから返してー」




意外と目敏い奴。




出せと片手を振られて仕方なく押し込んでいたポケットから煙草を抜き取って返す、と代わりに。




「ほら。」




棒付きの飴を差し出される。受け取らずに凝視していると勝手に俺のワイシャツのポケットへと押し込まれた。




「学生はこのくらいの方が可愛げあるぞ。」




自らも俺に寄越したオレンジ色の飴とは別の真っ赤なそれの袋を破り口へと押し込むとヒラヒラと手を振って歩き出した。




まじで四次元ポケットだなと呆れながらも胸ポケットに押し込まれたままの飴を取り出してみる。




袋を破って口に押し込むと、煙草の独特な味とは違い甘ったるい味が口いっぱいに広がった。




けれど不思議な事に片桐先輩がくれたクッキーよりもマシな味だった。




「まじで注意しねえんだ。」




飴を口に咥えたまま、その場に再び寝転ぶと屋上から出て行った青井が扉をバタンと閉めた音だけが聞こえてきた。




変な奴だな本当に。




片腕を持ち上げると丁寧に巻かれた包帯が見えた。真っ青に変色したその痣は真っ白なそれで覆い隠されてもう見えなくなっていた。

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