第36話

その夜、夕御飯の後、コーヒーを前に、

私は、父さんと蘭丸に切り出した。


「えっと、その前に、蘭丸。ママを呼べる?」

と聞くと、蘭丸は、私をじっと見て、

「わからないけど、うん。ちょっとやってみる。」と、目をつぶった。


蘭丸が、ふっとため息をついて目を開けると、

その目は、ママの目だった。


「ママ。」と父さんが、泣きそうな声で、ママの目を見た。

蘭丸が、母の口調で、

「いいのよ、パパ。」と言い、私に向かって

「どうしたの、ジジ?」と聞いた。


「ね、ママ、えっと、父さんも。

もしかして、もしかしてなんだけど。」

私は躊躇したが、思い切って尋ねた。


「あの、ママは、もしかして、今、インドにいるんじゃない?」

「インド?」と、父がびっくりした声を出す。


「なんでまた・・、」と言いかけた父を

「待って、パパ。」と蘭丸(母)がさえぎり、私に

「ジジ、どうしてわかったの?」と聞いた。

父が蘭丸をじっと見た。


私は、ちょっと赤くなりながら続けた。

「ふと、思いついたの。

ママ、ヨガの修行に出たい、って言ってたでしょう。」


「そう。そうね、ママ、ジジに言ったわ。

バレエ講師をやめて、ヨガのインストラクターになりたいのよって。

よく覚えてたわね。」と、ニコッと笑う。 


その笑顔に励まされ、ばかげた考えを言おうと思った。


「で、私、思ったんだけど。

えっと、笑わないでね。インドでヨガの修行中に、何かが起こって、」

「なにか・・。」と父がつぶやく


「うん。なにか、そういう、不思議な出来事っていうか、

瞑想中に意識が飛ぶ、とかあるじゃない。

だから、もしかして、今、ママはインドで瞑想中かもしれない。

瞑想の時には、こっちに戻れるのよ。

でも、そのほかの時は、蘭丸は蘭丸なの。」


喋りながら、どんどん考えが湧き出てくる。

ぼんやり思いついたものが、言葉になる。


私は、止まらず話し続けた。

「ママは、誰にも告げずにヨガの修行でインドに行ったの。

で、瞑想中に頭の中で、美少年に出会って、彼に頼んだのよ。

自分のいない間、家族を見守ってって。


美少年はママの頭の中の産物なの。

だから、蘭丸って名付けた。

それがなんで実物になって現れたのかは、謎なんだけど、

父さんも言ってでしょ、説明できないことを否定しなくていいって。

だから、だから、」


「待って、ジジ。」ママがいつものように口をはさんだ。

「びっくりしたわ。どうしてわかったの。その通りだわ。」


私は、それを聞いて、興奮して赤くなった。


「でも、ちょっとだけ違うの。

蘭丸は、ママの頭の中の産物じゃない。

本当に存在するのよ。ある日、ママの目の前に現れたの。


ヨガの頭立ちをしてる時だったわ。

目の前に裸足の綺麗な足が見えて、

ママは一人きりだったから、びっくりして起き直ったの。


そしたら美少年がいて、ぼくはあなたです、と言うの。

ね?ジジ、ママが美少年になった朝を覚えてる?」


私はうなずき、

「目覚まし時計を次々解除していったわ。」と私が言うと

「どうして一人で起きるようになったか覚えてる?」


「えっと、高校生になった・・から・・?」

そういえば、どうしてなんだろう。


「違うわ。ママがいなくなったからよ。」


そうだった。高校の入学式のあと、ママはいなくなったのだ。


なぜ忘れていたのだろう。

ママが行先を言わずに出て行ったからか。


それまでは、寝起きの悪い私を起こせるのはママだけだった。


以前、父が私を起こしたとき、私は機嫌が悪くなって、

寝ぼけたまま、父さんの残り少ない髪の毛をかきむしったらしい。


そのときの父さんの慌てぶりを思い出して、私は少し笑った。

蘭丸(母)も笑いながら、

「思い出した?」と聞いた。


私は、また真面目な顔になって、

「ママは家出したの?」と聞くと、父が、首を振りながら話に入ってきた。

「インドに行くことは、父さんには言ってたんだ。

でも、美々子には言わないでくれ、って。」


今度は、蘭丸が父をじっと見た。


「なぜなの?っていうか、

どうして、ママがいなくなったことを忘れてたんだろう。」


私が怪訝な顔でいると、母が

「ママ、魔法をかけたのよ。」と笑う。


「魔法?意味わかんないけど。」

「ほら、夫も娘も置いて、インドに行くわけじゃない?

全くのママのわがままよね。

インドに行かなくても、日本でもヨガのインストラクターになれるのだし。

でも、どうしても行きたくて。

だから軽い催眠術をかけたのよ。」


「へ?催眠術?」

「催眠術というか、心理的な暗示なんだけど、

ママがいなくても、ジジが寂しくないように。

一人で起きれるように、ってね。」と言って、うふふと笑う。


そして真顔になって、

「でも、インドで修行中、どうしてもジジが心配で。」

「修行の妨げってやつ?」

「そう。そしたら、蘭丸くんが出現したのよ。」


「蘭丸って誰?ヨガの神様?」

「うーん。ヨガの神はシヴァ神だけど、ちょっと違うかな。

もしかしたらインドの神々のひとりかも。

インドは、日本と同じようにたくさんの神々がおられるから。」


「そうだな。美神が多いし。」と父が横でうなずく。

「ふうん。それじゃあ、」と言いかけると、

「ごめん、ジジ、ママもう行かなくちゃ。

こんなに長く瞑想中、ここまで飛んでると、あとが苦しいの。」


「きゃあ、ママ!もう行って!ごめん。ありがとう。」

と私が必死で言ってる途中で、蘭丸は目をつぶった。

そして急に激しい息遣いになった。


「うわあ、ママ、蘭丸!蘭丸!」

私は叫びながら、蘭丸の手を握った。


激しい息は、始まったのと同じように、唐突に静かになった。

蘭丸が、ぱちっを目を開く。

「美々子、ママに会えた?」と心配そうな顔で私を見た。


私は、椅子を蹴って立ち上がり、

蘭丸の後ろに行って、蘭丸の頭を抱いた。

そして、蘭丸の頭に顔をうずめた。


父も立ち上がり、

「父さんは、もう休むよ。ママと長くお話しできて嬉しかった。」

と、私達のどちらにともなく言って、リビングを出た。


「美々子、ねえ、待って。また頭が濡れてしまう。」

私は、笑いながら、蘭丸から離れ、

「ね。私の部屋に行こう。」と彼の手を取った。

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