第38話

何かを言いたげな口唇は、赤く綺麗で。

愁いを帯びた瞳は、何処か切なげで。


「…気にしないで下さい。

 今の言葉も、居酒屋も。

 そもそも、無理強いするもんでもないですもんね。

 調子に乗ってしまって、ごめんなさい」


椿は体を元に戻すと、蓮に手を差し伸べ、体を起こすのを手伝った。

急に大人しくなった椿に、蓮は首を傾げる。


「…私、何か気に障るような事、言っちゃった?」


椿の様子を見ながら、静かに言ってみる。


「いえ、何でもないですよ」


浮かべた微笑みは、先程までに見せていたそれではなくて。


「あたしの悪いところですね。

 すぐに調子に乗ってしまう癖は、直さなきゃいけないのに。

 気分を悪くされたなら、すみませんでした」


前のように、三本指をラグに付きながら、椿は深々と頭を下げる。

状況を飲み込めない蓮は、只々戸惑うばかりだ。


「いや、その、私も大声出しちゃってごめん…。

 私もすぐに大声出す癖、直さなきゃな」


ふと、それまでの生活の中で、大声を出す事があったかと考えてみる。

人との関りが薄く、仲のいい人もいないから、こういうやり取り自体が珍しい。

もとより、こんなに誰かと沢山喋る事すらない。


頭を上げた椿は、変わらず切ない表情のままだ。

いつもの元気さは何処へやら。

何だか調子が狂う。


「…あ~、その、このタイミングで言うのもあれだけど…。

 ほら、居酒屋行こう?」


「気を遣わないで大丈夫ですって。

 気乗りしないのに、無理して行ってもつまらない想いをするだけですよ。

 あたしは大丈夫、何が何でも行きたかった訳じゃないので」


「気は遣ってないって。

 いつも家で飯食ったり、酒飲んだりばかりだし、たまには外で飲み食いすんのもありかなって思う。

 それに外で飲み食いすんなら、あんたも飯の仕度しないで済むだろ?

 毎日家の事とかもやってもらってるし、たまには休んでほしいしさ」


オロオロしながら、椿に優しく接する蓮を見て椿は微笑む。


「…お言葉に甘えてもいいんですか?」


こくんと首を縦に振る。


「いつも買い物に行くスーパーの近くにある、居酒屋に行ってみたいんです」


「ん、解った。

 じゃあ、今週の金曜に行こう。

 予約はしてくれる?」


「言い出したのはあたしですし、あたしがしておきますね」


にっこりと笑った椿を見て、そっと胸を撫で下ろした蓮だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る