第5話
心の支えにしている。
久保様に愛された日々を。
共に歩んだ日々を。
桜に交わした…私達だけの永遠の約束を。
それだけを、ただ余生の心の拠り所に。
「御方様…」
背を撫でてくれた春の優しさに、救われる。
「ありがとう…。少し、思い出してしまいました…。いけませんね」
皆の前では、私は強く在らねば。
今、私は仮にも…薩摩藩初代藩主の正室、なのだから。
仮にも。
…それはただの仮初めの姿。
私の夫は……ただ一人、だけだから。
すると、春がぽつりと呟いた。
「もしよろしければ、私にお聞かせくださいませ…御方様」
思いがけないその言葉に目を見開く。
「御方様と一唯様のお話、春は聞きとうございます」
驚く私に、春はそっと微笑んでくれた。
「とても仲睦まじい御夫婦であったと私でも存じておりますのに、御方様がその御名を口に出すことさえ我慢なさっていること…恐れながら春はわかっております…」
春は顔を上げて、先にある壮大な楼門を見遣った。
「ですが、ここは一唯様の御眠りになられている皇徳寺。
誰も邪魔はいたしませぬ。
ここで御方様に辛い思いをさせる者がいれば…
その言葉に、堪えていた涙が溢れ出す。
最愛の夫を亡くして、後を追うことも許されず。
出家して菩提を弔うことも許されず。
あろうことか家の為と…夫の
ましてや…愛しい夫の、実の弟、など。
そこに愛など微塵もない。
今もどこにも、ない。
「お聞かせくださいませ。春は聞きとうございます」
もう一度言ってくれたその言葉に、その楼門を見遣ってそっと立ち上がった。
ここは。
—————————久保様の菩提寺。
貴方様のいらっしゃる所だと、思うと。
ただ…ただ幸せで、そっと微笑んだ。
「えぇ…。そうですね。聞いて、くれますか?
————幸せな思い出が…たくさんあるのです」
涙が出るほど幸せな思い出が、ある。
その全てを…今日はゆっくり思い出してみようか。
今生ではもう二度と会えない寂しさも、例えそれでも…
———————何も変わらぬ愛しさも。
すべてありのままに、抱き締めてしまおうか。
…
「一唯様は…」
そう言った春は、ふと口を噤む。
だけどすぐに微笑んだ。
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