第170話 不法のディスノミア①

 リー族の隔離区域を目指して南東へ向かう途上、ラヴィアは立ち寄った町で買い物を済ませることにした。水筒にちょっとした携行食、そして何より調達したかったのはユンファの着替えであった。


 ユンファは今まで着ていた粗末なボロ服から、すっきりとした旅装束へと着替える。


「……いいんでしょうか、こんな素敵なお召し物を頂いて」

「別に構いませんよ」


 実際高い買い物でもなかった。ただあの飢餓地獄の外を知らない彼女にしてみれば、目に映るすべてが新鮮で魅惑的であった。


 買い物時、二人の黒と白の髪はやはり好奇の視線に晒された。この国は基本的にタオ族しかおらず、桃色以外の髪色をまず見かけない。とはいえせいぜいジロジロ見られるくらいであり、買い物も問題なくできた。

 この桃華帝国において、四部族については完全隔離状態にあるが、外国人は普通に出入りしている。そのため桃色以外の髪色が絶対に存在しないというワケではなく、そのあたりの事情も作用しているかもしれなかった。


 けれどもこれから向かうリー族隔離区域は、完全にリー族しかいない環境だろう。つまり髪色は炎のように紅い色以外には存在し得ない。この夜のように黒い髪と、雪のように白い髪を出したままで向かうのはどうにも目立つように感じた。ラヴィアは追加で帯状に長い白布を購入すると、髪をまとめた上でターバンのように自分とユンファの頭にそれを巻いた。


「これなら髪色が見えませんし、髪も邪魔にならなくてよいですね」

「ラヴィア様、ありがとうございます」


 布を巻いてもらっている間、ユンファは終始ニコニコしていた。敬愛するラヴィアに髪をいじってもらうのが嬉しかったのかもしれない。これからリーモスのような怪物との戦いに赴くというのに……彼女も存外ずぶといのかもしれない。


 ◇


 そして再び白虎に乗り、山野を駆ける。やがて陽も落ちたので川べりで夜を明かす。普通に果実や魚が採れたことにユンファは感激していた。


 夜が明けて、更に駆けること数時間。桃華帝国南方の盆地、リー族隔離区域に到着を果たした。


 そこはいらかかれた家々が立ち並び、荒れ果てていたイン族隔離区域に比べると文明的香りのする街並みであった。しかしこの地でも怪物による支配があるはずだった。


「一見、平和そうに見えますが」

【いや、そんなことはないはずだぜ嬢ちゃん。リー族も何かしらのせいで苦しい生活を送っているはずだ。油断せずにいこうぜ】


 朱雀の声に首肯しつつ、白虎から降りる。辺りを見回すが、城壁や門のような造りは見られない。結界があるため不要なのだろう。進んでいくと、やがて以前に見たのと同じような陽炎の揺らぎが発生する。


 ユンファは身構えたが、ラヴィアはやんわり彼女の手を握って勇気付けると、先導しながら歩を進める。二人の肉体が阻まれることなく通り抜ける。ユンファもまた、復活した白虎の加護があるため問題はなかった。



 白虎は姿を消し、二人は連れ立って街を往く。


 街中は特段荒れ果ててはいない。しかし飢餓地獄で荒れに荒れた集落を見た後だから、そう感じるだけかもしれなかった。行き交う紅い髪の人々にとくに飢えている様子はないが、生気というか活気がなく、全体的に社会が死んでいるようなどんよりと重苦しい空気を感じる。


 フェグリナの圧政下にあったラグナレーク王国を、ラヴィアは思い出す。あの頃も空気は重く陰惨としていたが、ちょうどあの感じに近いと思った。しかし更に深刻な空気である。


 やがて大通りに差し掛かった。


 街の様子を見ていて気になったのは、商店の屋台が立ち並んでいるにも関わらず、商売人の姿がまるで見られないことだった。食料品や衣類などが乱雑に店先に並べられているだけであり、持ってけドロボーといった様相を呈している。そして人々は誰に交渉するわけでもなく、それを無断で持ち去っている。金銭のたぐいを置いている様子もない。


 ラヴィアが訝しんでいると(ユンファは貨幣経済社会を知らないので違和感に気付いていない)、遠くで何やら叫び声が聞えた。男性の悲鳴だ。


「何でしょう?様子を見に行ってみましょうか」


 大通りから外れた少し開けた場所。そこには大勢の粗暴な男たちが立ち並び、一人の男性に暴行を加えていた。殴ったり蹴ったり、力加減にはまるで容赦が見られない。周囲の人々は皆一様に見て見ぬふりをしている。


「ふざけんなよぉ!今日は宴を開く予定だってのによぉ!俺たちの屋敷に納める食材が足らねえってのはどういうことだ!」


「す、すいません!すいません!盗まれちまいまして……」


「ああっ!?だったら夜も寝ないでちゃんと見張ってりゃよかったじゃねーか!テメェの怠慢じゃねえかよぉ!」


 事情を知らないラヴィアたちには預かり知らぬことだが、殴られている男は日がな一日中納める農作物を作る為に働いている。その為、盗まれないようにさらに夜通し見張っていろというのは、あまりに無茶ぶりが過ぎることであった。


 このままでは死んでしまう……そう直感したラヴィアは制止すべく駆け出そうとするが、後ろから襟を引っ張られて止められる。ユンファかと思ったが、それにしてみれば力が強かった。


 振り向けば、紅い髪に眼鏡を掛けた精悍な顔立ちの男がいた。


「止めろ、助けるな」


「……でも」


「でもじゃない、いいから言う通りにしろ」


 何故殺しかねない程の暴行現場を止めてはいけないのか?


 ラヴィアは問いただしたくもあったが、その男の目には決して冗談味を感じさせない何かがあったので、ここは従うことにした。



 男に連れられ、二人は大通りから外れた人気の無いところまで来る。


「まったくお前ら、何を考えているんだ?人を助けようとするなど……」


 眼鏡を直しながら不満げな言葉を漏らす。この男は何を言っているのだろうとラヴィアは思ったが、相手に違和感を覚えるのはあちらにしても同じことであったようだ。


 その眼鏡の男は、二人をジロジロと興味深げに見回すと口を開く。


「……お前たち見ない顔だな。まさかとは思うが、外から来たんじゃないだろうな?」


「……」


 ラヴィアはしらばっくれようかとも思ったが、結局正体を明かすこととした。理由としてはこの男が悪人には見えなかったこと(事情はよく分からないが、少なくとも自分たちは助けてもらった状況にあるということが、ラヴィアにはなんとなく察せられた)、そしてこのリー族隔離区域で起きていることを早く知りたかったからだ。


 ラヴィアは頭に巻いた布を外す。彼女の黒い髪が露わになる。それを見てユンファも布を外し、白い髪を白日の下に晒した。


 男は目を見開いて驚愕した。


「夜の闇のように黒い髪……!まさか……シン族か?それに白い方はイン族か、本当に雪のように白い髪をしているのだな……」


「やはり他部族を見るのは初めてですか」


「当然だ、ここにはリー族しかいないのだからな。他部族の存在を認識はしていても、実際に見たことはなかった。人生初の遭遇……それがよもや二部族同時とはな」


 男は混乱しているとも、感動しているとも取れるどこか呆けた表情で空を見上げた。


「……なんとなくだが、事情は分かる気がする。お前たち、とくに黒い髪のお前からは只者ではない気配を感じる。もしかしてシン族とイン族は解放されたのか?そして次は俺たちを助けに来てくれたのか?」


「概ね合っていますが、まだシン族は解放されていません。私は国外から来た者なので。イン族をまずは救済し、次に近いリー族を助けるべく私たちはこの地にやって来たのです」


 そしてラヴィアはこれまでのあらましを話した。


 自分がシン族の王家の生き残りであり、聖獣の魂を復活させたこと。

 聖獣の肉体と四部族を解放するべく、彼らの隔離区域を巡っていること。

 ゆくゆくはエリスという邪神と戦う羽目になるであろうこと。


「……なるほどな、なんとも壮大な話だ。この地を支配する化け物の背後には、邪神なんて存在があったのか」

「聞かせてください、このリー族隔離区域で何が起きているのかを。えっと……」

「そういえばまだ名乗っていなかったな。俺は夢伴桑モンパンサンというものだ」

「パンサンさんですか。私はラヴィア・クローヴィア、こちらは趙雲花チャオユンファです」


 ラヴィアの紹介を受けて、ユンファはぺこりとお辞儀をする。


「ラヴィアにユンファか、飯でも食いながら話をしよう――怪物ディスノミアに支配されたこの地の実態についてな」

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