第155話 ヴェネストリア解放戦⑭

 燃え盛る炎が降るラグナレーク拠点から遠く離れたヴェネルーサ近郊の平野で、エリゴスはフォルネウスを相手に必死の攻防を続けていた。なにしろ格上の相手である、エリゴスは今まで経験したことがないほどの死に物狂いの気持ちで戦っていた。


 敵の引っかき攻撃や体当たりを躱していく。敵は既に消耗しており、戦うフィールドも陸上とエリゴスに有利な条件ではあった。それでも分かっていたことではあるが、フォルネウスを倒すのは並大抵のことではなかった。繰り出される攻撃は陸上であろうが素早くて力強い。エリゴスはそれを躱すなり防ぐなりで精一杯といった様子で、かろうじてハルバードを振るい一撃を与えられても、フォルネウスの鎧のような鱗を破ってダメージを負わせるには至らなかった。


 やがてエリゴスの方から息が切れ始める。


 これでは同じではないか、とエリゴスは思った。フリーレに手も足も出ず防戦一方で、惨敗を喫したあの時と……


 変わりたい。成し遂げたい。乗り越えたい。

 乗り越えねばならぬ、とエリゴスは歯を喰いしばって険しい表情で挑みかかる。対して眼前の深淵部隊最強の怪物は、対照的なほどに余裕のある立ち回りであった。


「ハァッ……!ハァッ……!」

(エリゴス……)


 ウァラクは両者とは離れた場所から、心配げな表情で戦いの趨勢を見守っていた。


 彼女がラグナレーク側に下ったのはひとえに敬愛するフリーレと共にいたいが為であり、エリゴスに関しては特にどうといった気持ちもなかった。しかししばらく行動を共にしていれば情も移るのか、ラグナレークという異郷の地で同じ魔軍レメゲトン出身同士という事情が作用したのか、今この時ウァラクは心の底からエリゴスの勝利を願っていた。


 土砂崩れが絶えずそこかしこで起こっているかのような、地面の抉れる音や破片が空を裂く音が耳を騒がし続ける。ウァラクはしばらくそのような音を聞き続けていたが、やがてまったく異質な音が混じり始めたことに気が付いた。始めはごく僅かな音であった。しかしそれは時を置くごとに着実に存在感を増し、ついには無視できない程になった。それが水の流れる音に似ていることに気付いた時、ウァラクはぎょっとした。


「エリゴス!妙ですワ、この音……!」


 ウァラクの叫びを聞いて、戦いに執心していたエリゴスもようやく迫り来る謎の音に気が付いた。しかし気が付いた時にはもう遅かった。


 遠くから土砂を巻き込んで茶色く染まった濁流が、猛烈な勢いで彼らの居る平野部を飲み込まんと迫っていた。


「馬鹿な!これだけ海から離れたというのに、海水が押し寄せてくるだと!?」


 驚きで声を上げるエリゴス。フォルネウスは見下すような不敵な笑みを浮かべる。


「お前ら本当に俺をナメてやがるな。海から数キロ離れただの、十数キロ離れただの。些細なんだよ!些末なんだよ!そんなちゃちなこと、海という大いなるスケールの前ではな!」


 己の力を誇示するように咆哮を上げる。エリゴスはたまらず濁流に飲み込まれてしまった。


「我の真の力を見よ……!」



 平野は完全に水没して海と化していた。

 空もいつの間にか厚い雲に覆われ、雨が降り始める。


 フォルネウスは水中という、ようやく得られた独壇場を活かすべく、水底に潜って姿を消す。程なくして荒れ狂う大渦が出現した。濁流に巻き込まれていた流木や樽などがことごとく渦に引き寄せられては、クラッシャーで粉砕される鉱石のように粉々に砕けていった。


 エリゴスは水上に顔を出して必死に呼吸をしながら、その恐るべき大渦を身の凍る思いで見つめている。


(くそっ……あんなものに巻き込まれたらひとたまりもないぞ。どうしたら……)


 周囲を見回すが平野部である為、高い木も建物も見受けられなかった。もはや陸地はまったく消滅してしまっていた。


 こんなところにまで海岸線を広げられるのは完全に想定外であった。鎧姿であるので泳いで離れることも難しかった。もはや観念しかけたが、エリゴスは体を何者かに引っ張り上げられ、空中へと飛び上がった。


「ウァラク!すまない!」


 ウァラクは翼を広げてエリゴスを抱えるように空を飛んでいる。彼女はすんでのところで飛び立つことで難を逃れていたのだ。


「ああもう!クッソ重てえですワ!エリゴス、その鎧脱いで全裸で戦ってくださらない?」

「……馬鹿をいうな」


 間一髪の救いの手に感謝の言葉も無く、抗議の声も力ない。


 空中から眼下の水没した平野を見る。フォルネウスの姿はどこにも見えなくなっていた。あの巨体が隠れる水位になる程に、ここいら一帯は海水で満ちてしまっていた。


 フォルネウスの姿が見えないのは、当初エリゴスはあの大渦を水中で起こしているからだと思っていた。しかしエリゴスが空中に逃れてしばらくしても渦は消えず、これが水面を乱すことで自身の位置を悟られないようにする為の工夫であると感づいた。


「まずいっ!ウァラク、来るぞ!」

「え? え? なんですの?」


 フォルネウスは姿を水中に隠しつつ、とっくに次なる攻撃の準備をしていた。エリゴスたちの位置に狙いを定めると、水底から水面に向かって猛スピードで上昇しそのままロケットのような勢いで飛び出した。


 エリゴスたちは、突如弾丸の如くに飛び込んで来たフォルネウスの巨体に激突され、もろともに水中に没した。


(ぐうっ……!クソ、水中から勢いよく飛び上がって、ぶちかましてきた……!)


 もはや致命傷かもしれなかった。二人が沈んだ辺りの水がほのかに赤く染まったような気がした。


 フォルネウスはその場所まで悠然と泳ぎ進むと、沈んでいた姿を掴んで引きずり上げる。血に塗れ苦しそうに顔を歪めるエリゴス。


「ハン、勝負あったな。やはりお前らごときが俺に勝つなんざ夢物語もいいとこだったわけだ」

「……」


 エリゴスは何か言いたげな表情をしている。それがフォルネウスには気に入らなかった。


「テメェ、何だその顔は?」

「フフフ。フォルネウス、お前は確かに強い。お前は間違いなく将軍級コマンダー全ての中でも上位の存在だよ。だからこそ下位の存在など歯牙にもかけない」

「……何を言って!」


 彼はエリゴスを倒したつもりになっていたが気味の悪さを感じていた。掴み上げているそれは確かにエリゴスの姿であったが、どうにも様子が違った。先ほどまで真っ向からぶつかり合い戦っていた相手なのだから、注意深くすれば分かることだった。


 ――負傷しながらも不敵に笑うエリゴスは、いつの間にかウァラクの姿に変わっていた。


「何だとっ!ウァラク……!」


 エリゴスと思い掴み上げていたのはウァラクの変身した姿であった。それにフォルネウスが気づいたのとほとんど同時に、彼の背後から飛び出す姿があった。


 鎧を脱ぎ、兜を脱ぎ、ガントレットもグリーブも外して水中を動きやすくなったエリゴスであった。


 彼女は一糸まとわぬ姿でフォルネウスの頭上に立つと、ハルバードを両腕で高く掲げ、その延髄に向かって力強く振り下ろした。


「ぎゃあっ!」


 硬い鱗を一撃で貫けぬことは想定していた。エリゴスは間髪入れずに再度武器を振り上げると、先ほどとまったく同じ箇所に力任せの打撃を打ち下ろす。


「ぎゃああああっ!!」


 フォルネウスの絶叫が辺りに轟いた。

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