第142話 ヴェネストリア解放戦①

 作戦会議から二週間以上が過ぎた頃、工事組からトンネル開通の知らせが舞い込んで来た。残留組は既に最低限の市街の復興を終らせていて、残った細かい領域は市民の自治組織に委ねていた。


 作戦行動の仔細については、ヘイムダルがアラクトラ山脈から一足先に帰還して急ピッチで進められた。トンネルが開通する頃には役割分担や各自行動方針については概ね策定されていた。


 かくしてビフレスト防衛戦の終結から一か月と経たない内に、次なる戦争――ヴェネストリア解放戦が幕を上げようとしていた。



 これよりエインヘリヤルはアレクサンドロス大帝国ヴェネストリア州を急襲する。


 ビフレストの防衛力を皆無にするわけにもいかないので、今回バルドルの第三部隊、テュールの第四部隊についてはビフレストにて待機する恰好となった。またツィシェンド王もいざという時の為に、今回はヴァルハラ城を離れてビフレスト入りをしている。


 出発は深夜にひそやかに、そして段階的に行われた。

 できるだけ目立たないようにしたいという意図の他に、そもそも開通させたトンネルは突貫工事であり、一度に大人数が通れない上に危険が伴うという事情があった。


 先導隊の松明の炎を頼りに、暗い闇夜を進んでいく。

 それは先の見えない未来を死に物狂いで掴もうとしている、そんな彼らの心象をそのまま現わしているのかのようだった。


(……)


 第二部隊長ヘイムダルは、馬に騎乗して行進しながら物思いに耽っている。


 自分たちの行動は正しいのか?いたずらに死にに往くのと変わらないのではないか?

 そんな思いにもっとも駆られていたのは他でもなく、作戦立案の中心人物であった彼自身であった。


 エインヘリヤルと敵軍の戦力差は絶望的、その上今度の相手は先遣部隊よりも遥かに強いと聞く。彼はうんざりするほどに作戦内容について思案を巡らせて来た。万策思考したはずであった。人事を尽くして天命を待つのみであった。それでもこれほど戦力差のある状況から始める戦いは、彼には経験がなく、どうしてもがらにもなくピリピリしてしまうのだった。


 とはいえ、あのまま手をこまねいて、再び敵に襲われるのを愚直に待ち続けるよりかはマシであると信じていた。


(大丈夫なはずです。作戦については何度も練り直して来ました。とにかく、我々が早期に倒しておくべきはフォルネウス――!)


 ヘイムダルはとある日の会議のことを思い出していた。


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「エリゴスさん教えてください。ヴェネストリア州を支配している深淵部隊、もっとも危険な相手は誰になるのでしょうか?」


 ヘイムダルの問いに、エリゴスはとくに思案気な顔になることもなく、


「間違いなくフォルネウスだな」


 と迷いの無い声で言った。


「フォルネウス……確か海を縄張りとしている深淵部隊の海戦担当でしたね」

「その通りだ。アイツは海の中では手が付けられない。海中でアイツを倒すのは絶対に無理だと考えた方がいい」

「倒すには陸に引き揚げるしかないと、そういうことですか?」

「ああ。それも陸に揚げたからと言って楽勝になるわけではない。ようやく勝てる見込みが出て来るというだけだ。深淵部隊で最も暴力的な戦闘能力を有しているのが奴なんだ」


 警告気味なエリゴスの声色。ヘイムダルは顎を撫でる。


「貴方の情報では、フォルネウスが支配しているのは北東のヴェネルーサ王国――我々がアラクトラ山脈を抜けてまず到達するのもその国です。距離的な意味でも、戦力がある内に脅威を取り除きたいという意味でも、やはりフォルネウスを早期に倒すのが理想的ですね……」


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 そこから作戦内容を決めていくにあたって、如何にフォルネウスを倒すかが非常に重要なファクターとなった。エリゴスに圧勝したフリーレならば、フォルネウス相手でも善戦できるかもしれないと考えたが、そもそもフォルネウス以外にも同格の存在があと三体いるのだ。そのすべてをフリーレに任せるのは非現実的であり、少ない戦力をどのように回すかが作戦立案に際して特に頭を悩ませたことだった。


 彼らは蹄の音や、荷車の軋む音の中で進んでいく。不安げにも響くその先で、彼らの足掻きがどのように結実するのか。今は誰も知る由もない。


 ◇


 アレクサンドロス大帝国の最南端、ザイーブ州。その帝都に聳えるカウバル城に、偵察部隊ハルファスとマルファスの姿があった。二人は食堂を目指して廊下を進んでいた。ハルファスはいつもの少年らしい短パン姿、マルファスはひらひらした短いスカート姿でこちらもいつも通りであった。


 軽快な足取りで先を行くハルファスは、進みながらマルファスの方に振り返る。


「どうしたのマルファス?リドルディフィード様が呼んでるんだから、早く行こうよ!」

「ちょ、ちょっと待ってよぉ、ハルファス」


 対してマルファスはスカートを押さえながら覚束ない足取りで進んでいる。


「どうしたの?そんなにもじもじして」

「だって、リドルディフィード様が用意するボクの衣装、全部スカートが短いんだもん……」


 そう呟くマルファスの顔は恥ずかしそうに赤らんでいる。こんな恰好をするのは初めてではないどころかいつも通りであったのだが、いつまでたっても彼は慣れなかった。


「リドルディフィード様に言ってみたら?別の衣装が良いって」

「何度も言ってるけど全然取り合ってくれないんだよ。こんな可愛い子が女の子のはずがない、とか変なこと言って、いつも煙に巻くんだよ。だいたい何で全部スカートで、ズボンが一着もないんだろ……」


 ハルファスは要所要所で足取りの遅いマルファスを待ちつつ、二人はようやく食堂に辿り着いた。しかし自分たちを呼び出した皇帝陛下の姿はどこにもない。


 座席のどこを探しても見つけられず、試しに覗いてみた調理場に皇帝の姿があった。


「リドルディフィード様!」

「おお、ハルファスにマルファス!来てくれたか!呼び出しておいてすまないが、もう少し待っていてくれないか。今しがた隠し味を投入中でな」


 見れば皇帝は何やら鍋でグツグツと煮込んでいた。香ばしい良い匂いが辺りに充満していた。


「リドルディフィード様、それがグレモリーたちの言ってたカレーって料理?」

「ボクたちにも食べさせてくれるの?」

「もちろんだ。俺は辛い方が好きなのだが、二人の場合はやはり多少甘めの味にした方がいいだろう。そう思ってリンゴのすりおろしと蜂蜜を加えたバーモント式にしているのだ」


 そう言うリドルディフィードの傍らには、剥かれたリンゴの皮が散らばり、蜂蜜の入った容器が置かれていた。


「美味しそうだね、マルファス」

「うん、スパイシーだけど、なんか癖になりそうな匂いだね」

「フハハハ!きっと病みつきになるぞ!腹を空かせて座席で待機しているがいい!」


 そんな調理場に颯爽と入り込んで来る一つの影があった。偵察部隊のストラスである。


主様あるじさま!ここにおられましたか。遠隔思念にもご反応頂けませんでしたので、お探し致しましたぞ」

「当然だろう!可愛いハルファスとマルファスの為に、全霊のカレーを振る舞おうとしているのだ、集中状態にもなる。何かあったのか?手短に頼むぞ」


 ストラスは皇帝の前で平伏の姿勢を取り、言葉を続ける。


「はっ!申し上げます!ヴェネストリア州のヴェネルーサ区域に展開していた偵察部隊員からの情報なのですが、ラグナレーク王国軍と思しき大軍がヴェネルーサの北東方向から現れ、現在も南西に向かって進軍中とのことです」


「っ!ぬあんだとおぉぉぉおぉ!!!!」


 皇帝の絶叫が調理室内にこだました。

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