第125話 カレーを求めて三千里⑨

 ウェパルを抱えて大空を飛ぶフォカロルの前に見慣れた姿が現れた。黒い翼をはためかせて飛翔するグレモリーであった(普段はしまっているが翼があるのだ。妖艶部隊で飛行可能なのはグレモリーとフォカロルの二名のみ。ウェパルとシトリーには飛行能力はない)。


 その乏しい表情と弱々しい神力から、フォカロルはそれがすぐに分身体だと気づいた。おそらく本体が既にリドルディフィードを見つけていて、迎えを寄越したのだろう。


「なるほど、もうあの馬鹿を見つけたのね。案内してくれる?」


 分身体は黙って背を向けると降下しながら進んでいく。彼女はそれに続いた。



 薄暗い森の奥に膝を抱えてうずくまるリドルディフィードの姿があった。傍らには心配げな顔でグレモリーが立っている。フォカロルは着陸しつつ、ウェパルを降ろした。


「リド様、泣き止んで!ほらー怖くないよー」


「グスッ……グスッ……」


 子供をあやすように慰めるグレモリー。不適切な対応にも思えるが、事実リドルディフィードは子供のように泣きじゃくっていた。大の大人が情けないていたらくであった。


「フォカロルどうしよう……リド様泣き止まないよ。おっぱいにも興味を示さないの」


「……重症ね」


 フォカロルはそう言って大きく溜息を吐くと、あろうことか皇帝を蹴り飛ばした。本気というわけではなかったが軽いわけでもない、かなり力の入った蹴りであった。


 リドルディフィードは情けない声を上げながら吹き飛ぶと、混乱した顔のまま上体を起こした。


「フォカロル……何を……?」


「何めそめそしてんのよ、みっともない!アンタ皇帝でしょ?ホンット情けないったらありゃしないわ!」


 本気で傷心しているところに棘の有る言葉。まさしく泣きっ面に蜂。さしものリドルディフィードも悲しげな顔をした。


「言っとくけど私はグレモリーみたいに優しくなんてしないからね!あのイロセシアって女の言うことにも一理あるもの。ホントに何でアンタは、こうも騒がしかったり気持ち悪かったり情けなかったりして、ちっとも帝王様らしくないのかしら?」


「ううう……」


 皇帝は地べたに座り込んだまま、項垂うなだれてしまった。皇帝だって自覚していた。自分が魅力的な皇帝像からは隔たった存在だということに。しかしそれは簡単に是正できるものでもなく、むしろ直してたまるかというワケの分からぬ矜持のようなものさえあったりした。


 彼は楽しむ為にこの世界に居る。


 だから理想的な人物像になろうという発想自体がなく、ありのままの自分を受け入れさせたかった。この世界で初めて真っ向から人格を否定されたのはさすがにこたえたし、自身の眷属までもが同調してくるのは今日は妙に悲しかった。


 ――世界の終りのような表情のリドルディフィード。

 そんな彼にフォカロルは不意に歩み寄ると、優しく両腕を回して抱き締めた。


「……まあ、だからといって、アンタのことを見捨てたりなんてしないわよ。アンタがちゃらんぽらんなのはいつものことなんだし、こっちはもう慣れっこなの」


「うう、フォカロルぅ……!」


「ほら、元気出しなさい!いつもみたくお馬鹿に笑いなさいよ、フハハハハハって。私が好きなリド様は…………いつものリド様なんだから!」


 リドルディフィードは哀しみの涙を感激に変じていた。やはり自分の眷属だけは違う、と思った。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。しかも今はフォカロルに抱き締められ、彼女の服に顔を埋めている状況なのだ。


「ぎゃー!!涙と鼻水でぐちゃぐちゃじゃない!きったな!早く離れなさいよ、馬鹿!」


 フォカロルは強引に皇帝を引き離そうとするが、彼はがっしりとしがみついていて離れない。やがてフォカロルは存外早くに諦めて、されるがままになる道を選んだ。

 面倒になったのもあるが、主様に依存されるのも満更ではなかったのだ。


 傍らではグレモリーとウェパルが、

「へー!いつもはツンケンしてるけど、やっぱりフォカロルもリド様のことが好きなのね」

「ウェパルは知ってた、フォカロルは最初からリド様のことが好き好き」

 とやっかみを入れていた。


「そこ、うっさいわよ!か、勘違いしないでよね!この馬鹿を慰めるにはこう言うしかなかったんだから」

「へえ?じゃあ、好きっていうのは嘘?」

「う、嘘っていうか、その、き、嫌いじゃあないけど……」

「嫌いの反対は好きだと思うけどなー」



 そんな風にグレモリーがフォカロルをからかっている頃だった。


 遠くから何か巨大なものが飛来してくるのを感じた。一同は驚いて空を見上げる。


「……!」

「何よアレ?神獣?」


 あろうことか巨大な魚が翼をはためかせて、こちらに近づいて来るではないか。見れば体の上には建物のような造りが存在している。


「あの盗賊団のアジト兼乗り物ってかんじかな?」

「多分そうでしょうね。なるほど、シトリーが滅茶苦茶やってるだろうから、仲間の危機を察知して現れたってところかしら?随分とかしこいのね」


 フォカロルは皇帝を引き剥がすと(今度は大人しく離れてくれた)、ウェパルを抱えて空に飛び上がった。グレモリーも分身体に皇帝を守るように命じると、黒い翼を広げて飛び立った。


「リド様はここに居て!」

「戻るまでには、そのぐしゃぐしゃの顔直してなさいよ!」


 上空で間近に対峙するソレは余りにも巨大であった。しかし三人とも慌てた表情は浮かべていない。彼女らは元来戦闘要員ではないが、それでも七十二体の将軍級コマンダーの一角であり、雑兵を遥かに凌ぐ戦闘能力を有する。


 といっても、ここでグレモリーの”分身能力”はあまり役立ちそうではなかった。どちらかといえば、フォカロルの”気流を操る能力”の方に分が有るだろう。


「いやーさすがにデカすぎ!私じゃあ、ちょっとキツいかな。フォカロル、ここはお願いしてもいい?」

「最初からそのつもりよ、グレモリー。任せておきなさい」


 フォカロルは抱えていたウェパルをグレモリーに預けると、両腕を広げて風を周囲に集め始めた。凄まじい風音と共に、彼女のメイド服が騒がしくはためいている。


「バエル程じゃあないけど、私にだって嵐を起こすことができるのよ。食らいなさいお化け魚!」


 手を振りかざすと爆発のような突風が生まれ、バハムートの巨体をもたやすく吹き飛ばしてしまった。一時的に飛行能力を失ったバハムートはきりきり舞いに下降し、やがて河へと墜落した。


「ありゃりゃ、運良く河に落ちちゃったね」

「いや運悪くでしょ、こっちにはウェパルがいるのよ。ウェパル、いける?」

「ん、任せて」


 ウェパルは無表情ながらもやる気のありそうな態度を示した。


「オッケー、じゃあお願いね」


 グレモリーはバハムートの落下地点近くまで飛ぶと、河に向かってウェパルを投げ落とした。落下の途中で彼女の体が煌めくと、なんと下半身が魚に変わっていた。これが彼女の本来の姿であった。

 ウェパルが着水すると、やがて河面には巨大な渦が出現した。バハムートはなんとか脱出しようともがくが、むなしきことであった。


 フォカロルが気流を操るなら、ウェパルには”水流を操る能力”がある。水の中において、彼女は妖艶部隊最強の戦闘能力を発揮する。


 ウェパルはもがき苦しむバハムートを見て小さく笑うと、周囲に幾つもの水の槍を生み出し、その胴体を串刺しにして殺してしまった。

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