第123話 カレーを求めて三千里⑦

 ところが、制裁を加えんとするフォカロルの服の裾を、ウェパルが引っ張って制止した。


「何?どうしたの、ウェパル」

「シトリー、ブチ切れてる」


 フォカロルはウェパルの指差す方を見る。そこには俯きながらフフフと、不穏に笑っているシトリーの姿があった。声こそ笑っているが、雰囲気は尋常でなく張り詰めていることに気付く。


「……あー、なるほど。なら私たちの出番は無いわね。ほら、行きましょウェパル。リド様とグレモリーを探しに行かないと」


 フォカロルはウェパルを抱き上げると、宙を飛翔してその場からいなくなってしまった。



 イロセスは一つ安堵の息を吐いたが、脅威がすべて去ったわけではない。やがてシトリーがその張り詰めた雰囲気とは不釣り合いに、静かにイロセスに歩み寄るとこう言った。


「貴女、いいご身分ですよねぇ」


「ハァ?」


 どういう意味かと思った。自分は確かに、元公爵令嬢ではあるが。


「私はリド様に作られた七十二体の将軍級コマンダーの一人に過ぎません。ですから、私がどれだけあの方をお慕いしても、私が貰えるあの方の愛は所詮七十二分の一なんです……」


 シトリーの哀し気な声音とは裏腹に、表情は引きつったように笑っている。


「でも貴女は大帝国の妃に迎えると言われました。望めばあの方の等身大の愛が得られる身分……それをあろうことか、あのような暴言で以て無碍むげにするなんて、ホンットにイイご身分ですよねぇ……?」


 イロセスは聞いていて、服の背中に毛虫を入れられたような、ぞくぞくした気分になるのを感じた。ここまで怖気の走る声と表情は初めてだった。


 シトリーは実に、実に哀しそうに笑っていた。


「てめぇ、何を言って…!」


「まったくだぜ!イロセス!」


 戸惑うイロセスに、なんとアリクが力強く声をかける。しかしどこか様子がおかしい。


「……お頭?」

「聞けば何だ、さっきの暴言は?あそこまでの罵詈雑言、聞くに堪えない。相手は大帝国の皇帝陛下なんだぜ?お前は本当に、いつもいつも礼儀がなっていないとういうか、品が無くて困っちまうよ」


 アリクはいつもの飄々とした態度で、らしくないことを言っていた。イロセスは気味が悪く感じた。


「ハァ?お頭、きゅ、急にどうしちまったんだよ?」


「そうだぜイロセス!お前は見た目だけが取り柄なんだから、もっと清楚に可憐にふるまわなきゃ!」

「ところがどっこい、品性は皆無だし口は猛烈に悪い」

「おまけに態度はデカいし、男たちを顎で使える道具ぐらいにしか思ってねえ。いくら美人でも、ヤラせてくれないんじゃ、なんの意味もねえってのによぉ!」


 見れば盗賊団の仲間たちが、次から次へと欲望を吐き出していた。


 彼らは曲がりなりにも盗賊であり、真っ当な人間と比べてしまえば、基本的に粗野で品が無い者達ばかりである。けれども頭領アリクの影響か、仲間愛は皆一様に強く、イロセスもまたそれをひしひしと感じ、仲間を想い、仲間に想われながら生きてきた。


 そんな確かに気の置けない間柄であったはずの仲間達から、自分を欲望の掃け口としか捉えていないかのような言葉が出てきたことが、イロセスにはとても信じられなかった。


 そして、とても悲しかった。


「な、なんだよ、お前ら!ア、アタシのこと、ずっとそんな目で見ていたのか?」


「当たり前だろ!」

「女のお前がエラソーな態度取るのを許してたのなんか、いつかヤレるかもって思ってたからに決まってんじゃねーか!」

「盗賊としての技量も、新入りのラヴィアよりずっと劣ってるくせによぉ!」


 イロセスは頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。自分の仲間たちがこんなことを言うはずが無い、そう思いたかったが、その場にいる盗賊団員の全員が同じようなことを矢継ぎ早に捲し立てている。


 哀しくて、哀しくて、涙が止め処なく溢れ始めた。


 ……そして取り乱しているイロセスは気が付いていなかったが、傍らではシトリーが、およそ人間の顔ではできないであろう程に高く口角を釣り上げて、ニタニタと不気味に笑っていた。


 やがてアリクを含む盗賊団の男たちが、次から次へとイロセスに掴みかかった。


「もうお前なんか仲間じゃねえ!最後の記念だ、ヤラせろ!」

「はあ?ふざけんな!ヤるのは俺だ!」

「いいや!俺だ、俺だ!」


 イロセスは取り乱しながら逃げ惑う。男たちはやがて殴り合いを始めてしまった。それはどう贔屓目に見ても演技や戯れではない、本気の殺し合いであった。


「テメエ!ふざけんな、俺だっ!」

「お前のことは前から気に入らなかったんだよ!ずっと俺を下に見てたな!」

「ずっと生意気だと思ってたんだよ、お前ェ!」


 怒号と殴り合いの音がひしめく。イロセスはまだ信じられない思いで辺りを見ていた。しかし愛した仲間たちが殺し合いをしている現状が、確かにそこにあった。


 あの優しい、豪放磊落ごうほうらいらくなアリク・ハルジャでさえも、怒りと憎しみに満ちた顔で、自分の部下たちを何人も何人も殴殺おうさつしていた。


 これが、これが自分の居た場所だったのか、とイロセスは嘆いた。


「……!!」


 やがて男たちの何人かがイロセスの元へ到達すると、彼女を押し倒そうとする。イロセスは必死に抵抗して、辛くもその場から離れた。


「や、やめろ、やめろよぉ……!!」


 ほとんど泣き叫んでいた。


 イロセスは泣き崩れながら、無我夢中で森の中を駆け続けた。涙と混乱であまりにも前後不覚だった。


 ……足元に断崖が待ち構えていたことに、イロセスは気が付かなかった。彼女は真っ逆さまに、崖下の河へと墜落してしまった。



「イロセスの奴、何処行きやがった!」

「ヤるのは俺だ!」

「いや俺だ、先にお前の息の根止めてヤンか!?」


 仲間同士の殺し合いはなおも続いていた。アリクは既に部下十数人からのリンチを受けて息絶えていた。全滅するまで、この仲間割れは止まらなさそうであった。


「フフフフフフフ♪楽しい、楽しいなぁ♪」


 惨劇の片隅では、シトリーが恍惚な笑みを浮かべながら、体を震わせてヨガッていた。時折下腹部を抑えて、辛抱堪らなさそうにしている。


 シトリーの能力は”感情の増幅”である。そう、無から有を生み出しているわけではない。盗賊団の男たちは、まったく心にもない感情に支配されているというわけではないのだ。

 しかしほんの豆粒ほどの些細な感情でも、極大化して思考や行動を制限するに足る……彼女の能力は、実質”意識の支配”と呼んでも差し支えない。

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