第96話 アタナシア調査ログ

 アタナシア、それは世界の始まりの地とされる伝説上の聖地。

 そう考えられているのは、”創世の神話”と呼ばれる下記のような伝承が存在しているからだった。


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 遥かな昔、神々は世界を造り、人や様々な生物を作り、そしていなくなった。

 世界の始まりはまずアタナシアであった。アタナシアは理想郷であった。

 争いも無く、飢えも病も無い、調和された世界で人々は暮らしていた。


 或る時、欲が生まれた。

 欲は争いを生み、それは飢えを、病を、災いを、まが

 かつては存在しえなかったものを生み出し広げた。


 或る時、神々は戻って来た。

 欲を生み出した者たちをアタナシアの外へと追放した。

 そこは無明の闇の世界であった。


 神々には慈悲があった。

 彼らが生きてゆけるように、無明の闇を半分、取り除いた。

 世界には昼と夜とが訪れるようになった。

 神々が取り除いた無明の闇は、アタナシアの民にも溶け込んだ。


 神々はつるぎで闇を切り、鏡で己が身を恥させ、玉で加護を与えた。

 アタナシアの民は欲を追い出し、そして闇を克服することを知った。

 アタナシアは再び理想郷であった。

 調和にくみせぬものはもれなく追いやられた。

 アタナシアは隔絶した。

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 長らく存在が疑問視されてきたアタナシアだが、スラ・アクィナスの報告からその実在性が真実味を帯びることとなった。そしてドゥーマが”お願い”を行使してアタナシア捜索を全メンバーに命じたのだ。


 スラの報告には暴君フェグリナ・ラグナルに成り済ましていた偽者――アヤメ・カミサキが三種類の神器を所持していたとあった。草薙剣くさなぎのつるぎ八咫鏡やたのかがみ八尺瓊勾玉やさかにのまがたま。神話通りの内訳であった。その為アヤメについての調査がまず行われ、彼女が神エロースの能力を使いラグナレーク王国を支配する前までは、フランチャイカ王国で暮らしていたことが明らかとなった。



 リピアーは現地にてより詳細な調査を行っていた。聞き込みや役場資料の確認、ミアネイラの記憶を読み取る能力を保存したピッグマリオンの秘石を用いて情報を知っていそうな人物の記憶を読み取ることもあった。

 ――そうしてたどり着いたのがアヤメの妹、ミサキ・カミサキであった。マグナとマルローが保護していた元賤民の少女である。アヤメは十年以上前に両親の元を出奔しており(その理由は当時の両親の不仲や生活環境に適応できなかったからである)、おそらくアヤメとミサキの間には面識がない。それどころか母親がおそらく違う。

 アヤメの記憶は脳の損傷の為、幼少期まで遡って記憶を探ることはできなかった。しかし父母の名前は読み取れている。父親はハルト、母親はコレットという。対して現地調査において判明したことだが、アヤメ出奔後のカミサキ家がどうなったかといえば、ハルトはジャンヌという妻と暮らしていて間に子供を一人もうけていたという。前妻にあたるコレットがどうなったかはよく分かっていないが(死別か単なる離別か)、少なくともハルトは彼女と袂を分かっており、その後でジャンヌとの間にミサキをもうけたのだろう。


 ハルトとジャンヌがその後どうなったかはよく分かっていない。

 リピアーの推測はこうだ。まずハルトはおそらくアタナシアの出身である。アヤメの記憶によると三種の神器をそもそも所持していたのはこの男であるらしかった。そして彼は夜の闇のように黒い髪をしていたらしい。桃華帝国のシン族のように髪の色が黒い民族は実在するが、この髪色は大陸の各所に変則的に存在しており、その理由は謎であった。アタナシアという世界全体のルーツが存在し、そこの住民の髪が黒いのであれば、この奇妙な現状にも一応の説明はつく。何より三種の神器を用いていたアヤメの髪が実際に夜の闇のように黒かった。そういうわけで、アヤメの父親ハルトはアタナシア出身の人物と目されるようになった(妻の方はおそらくどちらも現地人であろう)。


 そして推測の続きとなるが、アタナシアが実在するのであれば、このあまりにも情報が乏しい現状は、アタナシアが外の世界との隔絶を望んでいるからだと考えられる(神話の最後の一文に一致する)。であればハルトが外の世界にいるのは重大な規律違反ということになろう。ハルトはおそらく追手に殺されたのだ。ハルトの妻となった女性たちも、もしかしたら始末されてしまっている可能性があった。

 ともかくハルトもその妻も現状がようとして知れず、リピアーはこれ以上の調査を断念した。アヤメも既に故人なので、残された手掛かりとなるとハルトの忘れ形見であるミサキだけとなる。ミサキはフランチャイカ王国で賤民として暮らしていた。賤民の身分は人権が認められない代わりに、貧者だろうが犯罪者だろうが外国人だろうが受け入れてもらえる。生存すること自体はそこまで難しいことではなかったのだ(そして賤民としてつましく生きていたところをマグナが保護して今に至るのだが、それについては周知の事実なので割愛する)。



 ――ミサキは意思疎通自体ができない特異な状況であった。知的障害のようなものは見られないのがなおさら奇妙であった。原因はまるで分からずマグナもマルローも首を傾げていた。

 これまでのリピアーの推測が正しいのであれば、これにも説明がつく。ハルトはアタナシアの秘密を守るため、追手に殺された。当然娘であるミサキも殺害の対象となるだろう。ハルトはおそらくこう懇願したのだ、自分は殺されてもいい、娘だけは助けてくれと。そして追手はアタナシアの情報が外の世界にもたらされるのを防ぐべく、ミサキから意思疎通の能力を奪うことを条件に生存を許したのだろう。


 であれば、ミサキはアタナシアを探る上で有力な情報源たりえるのだった。



 ◇



 アジトの通路をリピアーはミサキを連れて歩いている。それをトリエネが出迎える。

 少女よりも、まずトリエネが驚愕したのはリピアーの服装であった。およそ彼女が着たこともないような、フリル飾りの付いた可愛らしいワンピースドレスだったのだ。


「えー-!どうしたのリピアー、そんな恰好して!可愛い!可愛い!」


 トリエネはリピアーの服装をしげしげと眺めた後、子供のように撥ねた。リピアーにはトリエネのこの反応は容易に推察できていた。


「……仕方がなかったのよ。正義の神と共にいた鍛冶の神に服を燃やされてしまってね。時間もなかったし、服を吟味する余裕なんてなかったのよ。すぐに着替えるわ」


「ええ!いいじゃん、いいじゃん、そのままで!そんな可愛い服着てるリピアー見るの初めてだもん。今日はずーっとその恰好で過ごしましょ!」


「嫌に決まっているでしょう。我儘言わないのトリエネ。私は着替えてくるから、このを会議室まで連れていってくれないかしら?」


 リピアーは手を引いていた元賤民の少女、ミサキの方に視線を向ける。ここでトリエネもようやく少女に意識を向けた。


「その娘がアタナシアの手がかりの……」


「ええ、情報が引き出せればの話だけどね」

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