第94話 愛の暴走

 バズは片手に武骨な剣を提げている。その剣でレーヴァテインの腕を切断したようだった。彼は胸元にフリル飾りのあるドレスを着たリピアーを興味深げに見る。


「リピアー、お前随分と可愛い恰好しているじゃあねえか」

「……色々と事情があってね」


 リピアーは詳細については答えずに済ました。

 マルローはレーヴァテインの片腕を落とされながらも、負けじと操縦を続ける。


「へっ、腕ならもう片方あんぜ、爺さん!」


 残された方の腕が振り上げられ、バズを狙う。しかし彼は顔を動かさず、目視することなしにレーヴァテインの腕を剣で受け止めた。


「何だと!?」


「ジジイだと思って甘く見たか?残念だがな、俺が来た以上お前ら小童こわっぱどもに勝ち目なんかねえ」


 バズはそのまま腕を弾くとすぐさま切断、続けてレーヴァテインの胴を真っ二つに切り裂いてしまった。レーヴァテインは瓦解し、搭乗していたマルローとマグナは地面に投げ出された。未だ熱や出血は収まっていなかった。それでもマグナは執念でふらふらと立ち上がる。全身を鎧化してバズに向き直る。


「お前が噂の正義の神か。俺はバズ・クレイドル。一昔前は歴戦の傭兵として、俺の名前を知らねえ奴はいないほどだった。逃げるなら今の内だぞ?」


「断る……お前らはやはりきな臭い。その少女を渡すわけにはいかない」

 息も絶え絶えになりながら、マグナは戦意を固持し続ける。


「その体たらくでよく意地を張りやがる。頑固な奴だ。そして全身の金属硬化……分かりやすい神だな、テメエは」


 バズはそう言うとマグナに急速に接近して一閃、彼の金属化した右腕をあっさり斬り飛ばした。マルローは目を丸くして驚く。遠くに撥ね飛ばされた腕が金属音を立てて落ちる。そのまま金属化は解除され通常の腕に戻った。マグナは大量の血を噴出して呻きながら跪いた。


「マグナ!」

 マルローが焦りの表情で叫んだ。


「テメエの鎧がどれほどの強度かなんて俺には関係ねえんだよ。俺の神器カラドボルグは切断という結果を問答無用で発生させるからな」

 巨大な剣の神器を片手で担ぎ上げながら言う。


「まあそんな強力な効果、尋常じゃない精神力を消耗する。常人なら一回振れるかどうかってところか。だが俺はこの神器を振り回しながら何十年も戦場を駆け続けて来た。たかだか神の能力ちからを得ただけの小童ごときがこの俺に勝てると思うなよ……!」


 バズの声音は脅威を呷るような威厳に満ちていたが、マグナはそれどころではなかった。左腕で切断された箇所を抑え呻いている。おびただしい血が流れ出ていた。



 そこに突如二つの姿が現れる。

 一人は柳色の髪で眼鏡を掛けた執政官のような出で立ちの男。もう一人は撥ねたスカイブルーの髪にひらひらの服とベールをまとった男。


「「マグナ様!!」」


 それはマグナが生み出した三眷属の二人、レイシオ・デシデンダイとオビター・ディクタムだった。それぞれラグナレーク王国とブリスタル王国の守護を命じられていたが、主の危機を察知して出現したのだ。

 レイシオは必死の形相でマグナに駆け寄り、彼の肩を抱く。いつも暢気のんきそうな顔のオビターも、さすがに焦りの色が見える。レイシオはマグナを介抱する体勢のまま、バズの方に顔を向けた。額には青筋が浮かび、分かりやすいほどの憤怒の形相をしていた。


「貴っっっ様ぁぁぁぁぁぁぁ!よくもマグナ様を!」


 マグナから静かに離れると、そのまま暴風のような荒々しさでバズに飛び掛かろうとする。しかしオビターがレイシオの襟を掴んで引き留める。


「落ち着きなよー、レイシオ。アイツの神器が説明通りならレイシオでも問答無用で切断されちゃうでしょ?それにほら、多分ボクたちの出番はないよ」


 オビターが指し示す方をレイシオは見る。そこには三眷属最後の一人、モンローの姿があった。傍目から見ても伝わるほどに邪悪なオーラがほとばしっているのが感じられた。嗚呼、間違いない、彼女はブチ切れている。事態の深刻さをレイシオとオビターはすぐに理解した。それは心配の矛先が自分たちの主のみならず、主の腕を切断したバズに対しても向けられるほどだった。


(……こいつらは正義の神の眷属か?そういや報告で聞いていたな。正義の神の眷属は予想以上に強力で、そのせいでグレーデンたちも返り討ちに遭ったと。なるほど、眷属に神力を割いちまっているから、当の正義の神自身はたいして強くないわけだ)


 バズは状況を冷静に、そして暢気に分析していた。状況を正しく把握してこそいたが、事態の深刻さを理解しきれていなかった。歴戦の戦士として培ってきた度胸、矜持が邪魔をしていた。事の重大さに関してはリピアーの方が理解していた。


(何かしらあの眷属……とんでもない邪気を感じるのだけれど)


 発せられる威圧感の中でモンローはやけに静かであった。やがて突如として歩き出し、バズとリピアーに幾ばくか近づくと、苦しむマグナをどこか愛おし気な眼で一瞥してから口を開いた。


「…………マグナ様、もはやご命令は待ちません。

 殺 し て よ い で す ね ? こ の 男」


 彼女の顔は狂気に満ちた薄ら笑いを浮かべていた。

 その場に居る全員が身の毛のよだつような寒気を感じた。


「許さない許さないマグナ様はこの世でもっとも尊い御方いと気高くやんごとなき御方この世の不条理不正義をまばゆい光で照らし導く至上の存在マグナ様ほど崇高な御方はこの世にはおりません世界は醜く汚れています放っておけば人々は罪を重ね世界を罪色に染めるだけでしょうマグナ様はそんな世界を少しでも良くしようまともにしようと思い日々粉骨砕身に誠心誠意を以て活動されていますこの世の生きとし生けるものすべてはそれに全霊の感謝と尊崇の念を抱き崇めることこそ有るべき姿であり自然の摂理にも等しきことでございますそれなのにああそれなのにどうして偉大にして尊崇なる御方の腕を切断することができるのでしょうか貴方はまともになり始めているこの世界の未来に世界改善の道程を経る偉大なる歴史の変革に唾を吐いたのです許せますか許せませんねええ許せませんマグナ様はかねてより苦労為されてきました苦しみを抱え寂しさを覚えたこともありましたマグナ様の半生は灰色にくすんだ想い出ばかり本当はそれを取り返すくらいに幸せになっていただきたいワタクシもそのために心より尽くしたいそう思っているにも関わらずマグナ様は世の為人の為にと自ら戦う道をお選びになったのです過去のみならず未来までも灰色の道を歩いていこうとそう決心なさったのでございますそれについて感謝や尊敬の念こそ覚えど非難や邪魔立てなど有り得ませんしましてや腕を切断するなど許せますか許せませんねええ許せませんワタクシはマグナ様に幸せになっていただきたいと常々願っているのですマグナ様の幸福の為ならワタクシはどんなことでもできるでしょうそしてワタクシはマグナ様がワタクシを想ってくださるのでしたらそれ以外にはなにも望みませんそれより多くを望むなど恐れ多いことでございますより欲を言うならばワタクシを熱く抱きしめてほしいその手でワタクシの頭を撫でてほしいああなんということでしょうマグナ様は片腕を喪失しているではありませんかもう二度とそのたくましい右腕で頭を撫でていただくことも左手の薬指に指輪をはめていただくこともできないのですねいえいえ分かっていますワタクシは所詮眷属マグナ様にはワタクシなどよりもっとふさわしい女性がこの世にいるでしょう元来ワタクシには縁のないことでございますですが夢ぐらい見たってよいではありませんかですが片腕を失ったマグナ様の痛ましい姿が否が応でも想起されワタクシは常に気が差し気持ちよく物思いに耽ることすらもできないでしょうワタクシは満たされずマグナ様も苦しみ悶え未来のご婦人もきっと気を悪くされることでしょう誰も幸せになれない将来と相成りましたなにゆえそのような愚行を犯せるのでしょうか理解に苦しみます今後マグナ様の腕はどういたしましょう義手ですか義手ならば上手くいくのですかいえいえたとい上手くいったところで作り物の腕ではマグナ様の温もりは感じることができませんそれではいけませんねそれに人の作る物などアテにならないものです何かの拍子に壊れたりおかしくなったりしてしまえばマグナ様は日常の節々に不便さを感じ暮らしに嫌気がさすことでしょう心が疲弊してやまないことでしょうこれではワタクシが介助しなくてはなりませんねマグナ様の代わりに食器を持って差し上げて食事の介助をしたり着替えや排泄のお世話も眷属であるワタクシがするべきでしょうはっマグナ様は当然普段そのようなことをワタクシにはさせてくれませんですが隻腕となった今なら容易にワタクシの厚意に甘え身を委ねて頂けるかもしれませんああいけませんそれはいけませんマグナ様罪深きワタクシをお許しくださいどこの世界に主の腕を斬り落とされて喜ぶ眷属がいるでしょうかワタクシは罪深き眷属です許されざる愚行を犯しました貴方様の愛を頂けないばかりに想いが暴走してしまったワタクシをどうかお許しくださいそもそもこれはあの年老いた愚かしき男が悪いのですあの男がマグナ様の腕を斬り飛ばさなければマグナ様がこんなにも苦しむこともワタクシがこんなにも思い悩むこともなかったのですやはり戦いに狂酔し殺し合いに明け暮れて来たような輩にマグナ様の崇高なる想いが伝わるはずがありませんでしたね矯正が必要でしょうどのように懲らしめてやりましょう同じように腕を斬り飛ばしてやりましょうかじわじわと苦しめて苦しめて己に生を授けた神を己をこの世に産んだ母親を心の底から憎むほどに苦しめてやりましょうか地獄を見せましょうあの男は生きながらにして地獄の光景を知るのです見るも無残な死にざまとなり正義の神に反駁することの罪深さと愚かしさを世に知らしめマグナ様が創られる平和な世界の礎とお成りなさいそれだけがあの男にできる唯一の贖罪なのですふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」



 モンローはおどろおどろしい声音で、なんともつかぬことを凄まじい早口で呟いていた。その光景を見てリピアーは背筋が凍る思いがした。


(なんなのこの眷属……これが本当に正義の神の眷属なの?深い闇が形を伴っているかのような存在だわ)


 あの眷属が動き出すのはまずい、とリピアーは思った。周囲一帯があまりにも凄惨な目も当てられないほどの阿鼻叫喚のちまたと化すことが容易に想像できた。

 素早く駆け出すと、飛ばされたマグナの腕を拾い上げて彼の元へと駆け寄る。モンローがギロリと視線を向けてくるが構っていられない。無我夢中だった。リピアーは落ちた右腕を本来付いていた箇所にあてがいながら、彼の体に触れる。


 リピアーの”死から遠ざかる力”も”死に近づける力”も、対象に触れることでその効果を伝播させられる。マグナは驚いた、腕がすっかり元通りになっている。指も問題なく動かせることを確認した。それどころか先ほどまで感じていた熱や悪寒、肉体の至るところに再発していた傷もすっかり元通りになっていた(”死から遠ざかる力”は肉体を最良の状態にし、そして細かな融通はきかない。例えば腕だけくっつけて、再発させていた病気の症状や怪我はそのままとはいかないのだ)。


「……これで満足でしょう?バズは何も考え無しに正義の神の腕を斬り落としたわけではないわ。私という回復のアテがあるからしたこと。軽はずみに貴方の主に苦しい思いをさせたことは謝るけれども、これでもう貴女が暴れる理由はないはずよ……!」


 リピアーの態度にはどこか恐る恐るご機嫌を伺うような素振りがあった。

 モンローはマグナに近づきしげしげと腕を眺めるとしばらく不穏に押し黙っていた。この時でさえ空気が張り詰めているような気がした。やがてモンローは静かに顔を上げると、リピアーの方を向き、

「………………………………有難うございます。無益な殺生をしなくて済みました」

 と静かに微笑むのだった。


 リピアーも、バズも、レイシオも、オビターもみな冷や汗をかいていた。ともかく、この場が地獄絵図と化すことだけは避けられたことが確認でき、一様に胸を撫でおろした。



 マグナは腕を取り戻し、それどころか怪我や病気も治癒され体調万全となった。それに三眷属もそろい踏みとなっている。いくらバズという歴戦の戦士がいるにしても、さすがに状況が悪いかとリピアーは考える。


 その時、何かが羽ばたく音が頭上に聞こえた。紅い羽根をした巨大な神鳥が突如飛来してきたのだ。上にはボーラーハットを目深にかぶった人相の醜い男性がいる。バズ、リピアーと同じ裏世界のメンバー、グラストであった。


「……ようやく来たわね」

「リピアー、さっさとずらかるぞ」


 リピアーは黒髪の少女を抱える。そして二人まとめてバズが抱え上げると、高く跳躍して、低空飛行に切り替えた神鳥の背に乗った。


「グラスト、遅いわよ」

「すみません食事をさせていたんです、ガルーダは飛行能力は優秀ですが腹を空かしていると仕事なんかしないモンでしてね」

「事情はいい、早くガルーダを退散させろ」


 グラストが指示すると、ガルーダは素早く方向転換する。

 去り際にマグナが叫ぶ。


「待ちやがれ!」


「悪いわね、正義の神。貴方の眷属厄介そうだし、ここは退散させてもらうわ。一応言っておくけれど私たち裏世界は秘密組織ではあっても、悪の組織というわけではないの。行動原理に善悪という判断基準がないだけで、徹頭徹尾に悪というわけでもないのよ。今回はとある場所に到達するための情報が欲しいだけ。けどあまりに情報に乏しく、こんな子供にまで頼らないといけない状況なのよ。用が済んだら返すことを約束するから、今は私たちにこのを委ねて頂戴」


 リピアーが言い終わる頃には、ガルーダは随分遠くまで離れてしまっていた。マグナも三眷属もただ見送るしかなかった。マルローは壊れたレーヴァテインの傍らで、変わらず怪我と病気の再発でぐったりとしていた。


 こうして、名も知れぬ元賤民の少女は、マグナたちの元から裏世界の手へと渡ることとなってしまった。

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