第88話 ビフレスト防衛戦⑨
吹きしく突風の如くに両者は駆け出し、互いの武器を交差させた。金属が衝突する音が幾度となく響き渡る。互いに相手は強者であることを悟ったか、一度距離を取って仕切り直しを図ろうとする。
「やるな、ラグナレークの将よ。
ハルバードを振り回しながらエリゴスが言う。
フリーレもまたグングニールを振り回してから、一度柄を地面に突き刺した。そして懐をまさぐり始める。
「なるほどな。お前はさきほど戦ったデカラビアとは、一味違うようだ。このまま続けていても負ける気はしないが多少時間がかかるだろう……というわけで、本気で行かせてもらうぞ」
フリーレの手には革製の手袋が握られていた。ボロボロというわけではないが、かなり使い込まれている。彼女はそれを両手に嵌めると、再びグングニールを手に取り、あろうことかそれを投擲した。
グングニールが稲妻のような速度でエリゴスに向かって飛んでいく。
「……!」
エリゴスは素早く飛び退いてこれを躱した。下降するような軌道であった為グングニールは地面に突き刺さる。
わけが分からなかった。これほどの至近距離でのグングニール投擲は敵からしてみれば確かに脅威である。しかし至近距離であるが故、フリーレは常にエリゴスの攻撃圏内に身を置いている。その状況下で武器を手放す行為は本来致命的な隙でしかない。投擲を躱された今、普通ならばここで敗北していたはずだった。
――しかし、エリゴスは信じられない光景を見た。
フリーレは地に両手を着けて四足歩行となり、獣の如くに疾駆していた。獰猛な唸りを上げ、牙を剥くように歯を見せながら恐るべき速度で突進してゆく。そしてエリゴスの右腕に容赦なく嚙みついた。
「くっ、離れろ!」
無理矢理振り払うより数段早く、フリーレは後方に飛び退く。さらに駆け出して足払いを繰り出す。エリゴスはなんとか転倒を回避するも、フリーレの猛攻は止まらない。先ほどまでの人間としての戦いぶりとは様変わりし、四足歩行の為か攻撃が低い位置から繰り出され続ける。エリゴスは反撃を試みるも、フリーレは飛び退きと飛び掛かりを繰り返すヒットアンドアウェイの立ち回りで翻弄していた。
フリーレは地に手を着けたまま、下半身を持ち上げて逆立ちの状態になり、体をひねって強烈な脚撃をお見舞いする。鎧の位置であった為、ダメージは乏しかったが、エリゴスはたまらず後ずさった。
戦いのさなかで、敵の本領が獣の如くに戦うことだとエリゴスは理解し始める。そして適応し始めるのだが、そこでエリゴスは再び驚いた。フリーレがグングニールを取り戻している。いつの間にか、投擲したグングニールが突き刺さっていた地点まで誘導されていたことを悟った。
フリーレはグングニールを振り回し、今度は人間の戦士らしい戦い方を始めた。さきほどまでの獣の動きに慣れ始めていたエリゴスは、たまらずその攻撃に吹き飛ばされた。素早く立ち上がり、武器を拾って立ち向かおうとする。しかしまたもやグングニールが投擲されたので、エリゴスは回避に徹さざるを得なかった。そうして体勢を整え直している内に、手持ち無沙汰となったフリーレが再び四足獣となって喰らい付く。
(くそっ!なんだコイツは……!まるで
エリゴスの顔は驚愕に彩られていた。
「すげえ!アレがお頭の本気か!」
「初めて見るな」
「やっぱりな。お頭は武器を振り回す人間の戦い方も、四足歩行で飛び掛かる獣の戦い方も両方できるんだから、本気出す時は使い分け出すんじゃないかと思ってたぜ」
ラルフ、アベル、ディルクが言葉を交わす。いつの間にかエリゴス以外の雑兵はほとんど片付けられていた。
フリーレは人間の戦いと獣の戦いの両方ができる。そしてそれを巧みに使い分けていた。初めは”蛮族”から”野獣”に切り替わる際にグングニールの投擲を間に挟んでいたが、ある瞬間にフリーレは投擲することなく足元に投げ捨てると、即座に”野獣”と化した。
突然リズムが変わったので、エリゴスは対応しきれず虚を突かれた恰好となり、フリーレはエリゴスの
「なんか戦争ってか、取っ組み合いの喧嘩って感じだな……」
ルードゥは呆れながらも、まあ戦などこんなものかもしれないと思った。
「隊長、さすが!お強いです!」
グスタフはその巨体に似合わず、両の瞳を爛々と輝かせていた。
エリゴスは既に息を切らしていた。
必死に敵の戦法に合わせようとするも、まるで対応できなかった。人になるか、獣になるか、すべては状況とフリーレの気分次第であった。エリゴスはもはや為す術もなく、蹴られ、殴られ、噛まれ、打ち払われ、仕舞には投げ飛ばされた。
肩で息をしながらよろよろと立ち上がる。
「ハアハア……なんだ、その戦い方は?お前は本当に騎士か?」
「騎士?ふむ、そうだな……」
フリーレが少し考えてから口を開く。
「私は騎士の何たるかをあまり知らん。一応ラグナレーク騎士団に所属してはいるが、それだけでは騎士とは呼べず、何らかの騎士としての気心やこだわりがなくてはいけないのであれば、私は騎士ではないだろう……私は、ならず者だ」
フリーレのあまりにも無茶苦茶な戦いぶりは、ただ言葉で聞くよりも、彼女の出自がならず者であることを如実に感じさせた。
「そして、騎士の何たるかを私はよく知らないが、お前が私に本当に騎士かと問うたのを見るに、私が騎士とやらに徹した戦い方をしていたなら、お前をここまで圧倒してはいなかったのだろう。であれば、そんなものは不要だ。戦いとは生き残ることこそがすべて、その為にもできることは何でもやるべきだ」
人間として武器を振るう戦い方、獣として喰らいつく戦い方、そして神器の使用……フリーレの戦いは
エリゴスの表情に陰りが見える。こんな奴に勝てるのかと不安が胸中に渦巻く。フリーレはそれを見透かしたように言葉を続ける。
「エリゴスよ、お前はあのデカラビアとかいう小物に比べれば随分とマシだ。ずうっと、ずうっとマシだ。だがそれでも、所詮は奴の延長線上の存在でしかない」
「延長線上……だと?」
「お前もまた格下の者ばかりと戦い続け、自分より格上の者を相手に命を賭して戦ったことなど一度もないだろう?」
エリゴスは図星を突かれたように歯噛みした。そして食い下がる。
「……!仕方がないだろう、我々は”先遣部隊”だ。自分で言うのも癪だが、要は小手調べの為の部隊。そのまま制圧できるならそれでよいし、それが難しければ即座に撤退して別部隊に対処を委ねる。それが我々の役割なのだ……!」
「役割か、なるほどな。人を組織的に運用するにあたって役割分担は肝要だ。お前の言うことには一理有る。だがそれと、お前が今目の前の死線を越えられるかはまったく別の問題だ」
そう言ってフリーレは、グングニールをエリゴスの眼前に突きつけた。
「エリゴスよ、これはいい機会だ。お前が一度も命を賭して戦ったことがない、死線を越えたことが一度もないというのであれば、今私という死線を越えてみせろ。世界はそこで生きる者たちに自ら誂えられてなどくれぬ。明日は自らの力で掴み取るしかないんだ」
「命を賭して戦う……死線を越える……」
エリゴスはうわごとのように呟くと、ハルバードを拾い上げ、その恐るべき強さを誇る眼前の敵将に向き直る。彼女の言う通り、生半可な覚悟では勝利は遠い夢の話であった。落ち着いて、呼吸を整える。そして雄叫びを上げて駆け出した。
しかしエリゴスは、フリーレにいいように翻弄され続けるだけだった。
「ハアッ……!ハアッ……!」
「どうした、そんなものか?そんな
(……何故彼女は、敵を鼓舞しているのでしょうか?)
ヘイムダルがなんとも微妙そうな表情で戦いの趨勢を見守っていた。
攻防は続く。
エリゴスはまたしてもグングニールに打ち払われ、吹き飛ばされる。近くの岩に体をぶつけ、痛そうに顔をしかめた。
このままでは勝ち目がない……エリゴスは観念したかのように顔を上げると、虚空を仰ぎつつ叫んだ。
「リドルディフィード様!お伝えしたいことがございます……!」
【必要無い】
エリゴスの頭の中に声が響いた。皇帝リドルディフィードは、自らが作り出した眷属と遠隔思念で会話ができる。
【状況はすべてラウムを通してこちらでも把握している。デカラビア、キメリエス、フルカスがそろって戦死したこと。お前も敵将の猛攻に為す術もなく追い詰められ、敗北寸前であることも承知している】
「はい、リドルディフィード様、あのフリーレという敵将は恐るべき強さです。肉弾戦で奴を打ち負かすことは困難です。どうか、私めに神力の供給を……!」
【いいだろう、必ずや敵将の首を討ち取ってみせろ】
その時、エリゴスの肉体がまるで雷に打たれたかのように
「ほう……いいぞ、そうでなくてはな。生き延びる為にもやれることは何でもやるべきだ。でなければ、死線を越えることなどできはしない」
「覚悟しろ、フリーレ……!貴様の言う通り、命を賭してでもその首もらい受ける!」
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