第77話 破談

 ビフレストの南方に接するアレクサンドロス大帝国マッカドニア州の都市コリント。ラグナレーク王国の若き王ツィシェンド・ラグナルは会談の為、この都市を訪れていた。会談相手は皇帝リドルディフィード。かの国と友好関係を築き、当面の戦争を回避する腹積もりであったが、いかんせん望みは薄かった。


(それでも、やれるだけのことをやるしかない。圧政と戦争で傷つき疲れ果てたラグナレークに、かの大帝国とまともにやり合う力なぞないのだから……)


 漆喰で白く塗られた家々の壁を見渡しながら、ツィシェンドは己が国の行く末に想いを馳せていた。


 コリントの湖沿いにある大きな建物にたどり着く。傍らにはラグナレーク騎士団長にして第一部隊長、トールの姿もある。アレクサンドロスの兵らしき者に案内されて、二人は建物に入った。マッカドニア王国の時代から外国の大使をもてなす際に使われていた迎賓館であり、それなりに年季と風格を感じさせる建物であった。


 待合室に通され三十分ほど待つと、案内の者が戻ってきた。どうやら皇帝側も対面する準備が整ったようであり、ツィシェンドとトールは会議室へと赴いた。


 扉が開く。年代物の燭台が鎮座し高級そうな赤い敷物に覆われた床、二人は促されるがままに席に着いた。やがて自分たちが入ってきたのとは反対側の扉が開いた。黒っぽい衣装に葡萄色の髪、ワインレッドを基調としたマントをはためかせて、一人の男が颯爽と入り込んでくる。その傍らには二足歩行をする人間サイズの昆虫(羽が生えており、蜂か蟻かよく分からなかった)を伴っており、二人は度肝を抜かれた。


(なんだ、あのバケモノは?)

(皇帝リドルディフィードはいくさの神アレースの力で生み出した怪物の軍勢を率いているという。噂は本当だったのか)


 やはり真正面からやり合うべき相手ではない。そう思い直す内に、葡萄色の髪の男が高らかな声で言った。


「フハハハハハ!よくぞいらした、ラグナレークの王よ!この俺こそがマッカドニア王国十代目国王にして、アレクサンドロス大帝国初代皇帝……リドルディフィード・デニクス・アレクサンドロスである!」


 リドルディフィードは名乗りを終えると、ぶわっとマントを翻して席へと着いた。


「こちらこそ貴重な機会を頂けて感謝する。私はラグナレーク王国十四代目国王、ツィシェンド・ラグナルだ」

「フハハ!そうかしこまらなくともよい!」


 言動がいちいち大仰な奴だとツィシェンドは思った。



 やがて会談がスタートした。

 アレクサンドロス大帝国は、マッカドニア王国が突如侵略戦争を始めて誕生した帝国であり、その存在を公的に認めている国はまだなかった。侵略戦争が始まったのが五年前、国号がマッカドニア王国からアレクサンドロス大帝国に変わったのは三年前であり、まだ国際社会はこの突如出現した強大な侵略国家との付き合い方というものを模索している段階であった。侵略に反抗するべきか?それとも友好的に付き合うべきか?


 侵略への反抗は、いざという時には戦争に発展することはいうまでもない。勝てば独立や主権は保たれようが、負ければすべてを失いかねない。一方、友好的に付き合うという道は、すべてを失う危険性は低くなるだろうが、ある程度の傀儡となることへの覚悟が必要であり、要は戦う前から半分負けを認めるような道であった。


 それでも、五年で世界一の版図を持つまでになった大帝国に徹底的に蹂躙されるよりはマシであるとツィシェンドは考えている。既に征服されているザイーブ、ツァルトゥール、ヴェーダ、ヴェネストリア連邦はどこも最初は抗戦したそうだが、圧倒的な戦力差で潰され、主権も剝奪されて完全な植民地状態にあるらしかった。ツィシェンドは、ラグナレークがそんな未来を辿ることだけは避けたかったのだ。


 彼はラグナレーク王国として、アレクサンドロス大帝国に提供できる様々なメリットを必死にアピールしていく。ライ麦や燕麦の生産が盛んでビールの醸造が有名なこと、畜産や酪農も発達していること、鉄や石炭などの鉱産資源も豊富であること、近くブリスタル製の機械を導入して工業が革新していくであろうこと、北部は全体的に海に面しており漁業も盛んであるし森林地帯が多いため優良な木材資源も豊富に提供できること、また化学技術についても発展途上ではあるが有望であること等々。ラグナレークは戦禍からの復興途上であり、協力してくれれば、今後あらゆる面でアレクサンドロスに対して融通を利かすと謳った。このユクイラト大陸で初めてアレクサンドロスを国家として承認するとも言った。


(あと切れるカードと言えば、神聖ミハイル帝国由来の技術である”魔人”の生成技術か?しかしあんな非道な技術なぞ売りに出したくはないし、国内でも禁止令を敷いたばかりだから切るわけにもいくまい。第一、怪物の軍勢を持つアレクサンドロスにはまったく魅力的な技術ではないだろう)


 十数分にわたってツィシェンドは友好関係を結ぶことについて、アピールを続けた。しかしどの言葉もやはりというべきか、リドルディフィードには響かなかったようであった。


「残念だが、あまりメリットを感じないな」

「……」

「お前が謳い融通を利かすといった分野は、すべてアレクサンドロスの支配地の方でもどうとでもできるものばかりだ。そんなものの為におまえたちと仲良しこよしをしろと?」

「……しかし、そう敵ばかり作っていては、いずれ立ち往かなくなるのでは?」

「フハハ!なんの問題があろうか!この俺には世界最大にして最強の軍団がいるのだぞ!」


 ツィシェンドに冷や汗が流れる。アレクサンドロス大帝国は、ユクイラト大陸の南方全域を支配下に入れている。これほど広い領土なら、たいていのことは自国の中だけでなんとでもできてしまうのだろう。そして敵を作りすぎてしまうというのも、圧倒的な軍事力で以て制圧してしまえばよいこと。すべてが自給自足可能な広大な領土に、それを維持し拡張し得る強大な軍団……ツィシェンドはアレクサンドロスに侵略戦争を思い止まらせるだけの魅力的な提案も、強力な牽制となるような武力も持ち合わせていなかった。


(ラグナレークの他国にはない強みと言えば、やはり国家伝来の神器が数多く存在することだろうか?しかしそれを明け渡したところで強大な軍団を持つ身としてはそこまで魅力的ではないだろうし、エインヘリヤルが持つ神器は我々にしてみれば国家存続の要ともいえるべき物!それを差し出すというのは、助かりたいがためにおのが心臓を差し出すような本末転倒極まりない行為だ……!)


 ツィシェンドは押し黙り、言葉を探す。アレクサンドロスに侵略を思い止まらせるにはどうすればよいか、必死に思考を巡らせるが妙案なぞ浮かびようもなかった。無いカードは切れない。



 その時だった。

 ずっとリドルディフィードの傍で着席することもなく控えていた人間大の昆虫が言葉を発した。


【リドルディフィード様、ゴ報告シタイコトガ】


「どうした?バエルよ」


 ツィシェンドとトールは思わず身震いした。バエルと呼ばれた巨大な昆虫が発した言葉は、音すなわち空気の振動というよりは、直接頭に響く感じであったのだ。初めての感覚に身悶えするとともに、あの巨大な昆虫から感じられる圧倒的な怖気おぞけは、やはりこの帝国と事を構えてはいけないというツィシェンドの中の危険信号を増大せしめた。


 しかしバエルの報告を聞き、向き直ったリドルディフィードが発した言葉は絶望的なものだった。


「ふむ、ツィシェンドといったか、貴様なかなかたばかりよるな」

「……?何を言って?」

「今しがた報告が入った。何でもマッカドニア州の辺境都市ペロスフィニアを、ラグナレーク王国の者が襲撃したそうではないか」

「なんだと!?」


 ラグナレークの者が、アレクサンドロスの都市を襲撃。

 にわかには信じがたいことであった。戦争なぞする気もないのは、王も軍も民も同じであるはずだった。


「その襲撃者というのは巨大な槍を携えた金髪の女だったそうだ。兵の証言ではかなりの身体能力であったらしい。襲撃後、こちらの手勢が予想よりも多かったからか、すぐに退散したそうだがな」

「馬鹿な、そんなはずが……」


 情報を聞くに、連想できる人物はフリーレだけであった。神器グングニールは投擲すると稲妻のような速度で飛んでいくので、即座の奇襲や撤退も可能であろう。しかし彼女は戦闘力こそ高いが、いたずらに戦いたがる戦闘狂でも、戦いに狂酔し悦楽を見出すようなタガの外れた者でもなかったはずだ。むしろ思ったよりもずっと冷静で理知的な性格だった。少なくともツィシェンドはそのように思っていたからこそ、リドルディフィードの言葉は信じられなかった。


「まったく、やってくれたものだ。確かに我々も油断していた。お前たちが友好ムードなぞ見せてくるから、すぐに戦争になるとは思わず、たいした軍を配備していなかったからな。被害は城壁や門、一部家屋の損壊に飽き足らず、民間人の死者も出ているという。いやいや、これは度し難いな……!」

「待ってくれ!これは何かの間違いだ!我々には戦争の意思はない!」

「流石はかの大国、神聖ミハイル帝国に戦争を吹っ掛けただけのことはある。フハハ!我が国を侵略国家のように見ていたようだが、お前たちも同類ではないか!」

「違う!我々の軍には騎士道というものがある!そんな非道な真似などするものか!」


 何かの間違いであるはずだった。

 それに神聖ミハイル帝国に戦争を仕掛けたのも、女王フェグリナに扮した偽者が人心を掌握したが故に起きたこと。コイツをそれを知っているはず。知っているはずなのだ。


 ツィシェンドの言葉はリドルディフィードには届かない。リドルディフィードは着席した時と同じように颯爽とマントを翻しながら立ち上がると、扉の方に向かって行く。振り返りつつ、最後に一言だけ発した。


「残念ながら貴国と友好的にやっていく未来は閉ざされたようだ。今後の沙汰は我が軍勢の到来を以て知ることになるだろう」


 扉が閉ざされ、リドルディフィードとバエルは姿を消した。


 彼の最後の言葉は宣戦布告であった。しかし明日にはラグナレーク王国からの先制攻撃で開戦の火蓋が切られただとか、そんな字面が新聞に踊るのであろう。


 ツィシェンドは俯き、強く歯ぎしりをした。

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