第74話 アレクサンドロス大帝国の脅威

 バハムートは空を飛び続ける。これはラヴィア・クローヴィアがイフリート盗賊団に迎えられ、歓迎会が催された翌日のこと(つまりラヴィアがアジトに来てから二日後)。


「そういえば、みなさんはどちらに向かっているのですか?」


 皆で朝食を取っている中、不意にラヴィアが口を開いた。歓迎会の折にテーブルの片づけや拭き掃除をしたので、イフリート盗賊団のメンバー三十人余りはみなテーブルに着席している。誰も床に座り込んでいない、それはそれで珍しい光景であった。


「今はツァルトゥールの方に向かっているんだよ」

 アリクがパンを齧りながら言う。


「次はそちらで何か盗みでもするのですか?」

「いや、今のところ予定があるわけじゃねえ。ラグナレーク王国で思いの外、いろんなお宝が手に入ったからな。ツァルトゥールには馴染みの街もあるし、換金がてらみんなで羽を伸ばすのもいいかと思ってな」


(ラグナレークのお宝を売りさばく……ですか。でも草薙剣は取っておくと言っていましたし、八尺瓊勾玉は私が秘匿している。まあ、大丈夫ですか)


 ラヴィアは三種の神器以外のお宝についてはもはや諦めていた。できるだけ多く取り戻してヴァルハラ城に返すべきかとも考えたのだが、いかんせん妙案が思いつかなかった。


 それに三種の神器以外の、ラグナレーク王国伝来の神器は基本的にエインヘリヤルが所持しており、宝物庫に埋もれていたのはあまりパッとしないお宝ばかりであった。


「みなさんはツァルトゥール王国の出身なのですか?」

「このイフリート盗賊団は半分くらいがツァルトゥール王国出身で、もう半分がザイーブ王国出身なんだよ。かくいう俺もツァルトゥールの出身なのさ」

「ツァルトゥールは荒れ地の多い国で、ザイーブは砂漠の広がる国でしたか。行ったことがないのでいまいちイメージが沸かないですが」

「いい国さ。紹介してやるよ、きっと気にいるぜ……まあもっとも、今じゃツァルトゥールもザイーブも、アレクサンドロス大帝国の支配地になってしまっているが」


「…………」


 アレクサンドロス大帝国。その名を聞いてイロセスが唐突に複雑そうな顔をしたのであった。


「……?イロセスさん、どうかしたんですか?」

「まあ、思うところがあるんだろうよ。イロセスはアレクサンドロス大帝国の前身となった国、マッカドニア王国の出身だからな」

「あら、そうだったんですね」


 イロセスはスープを啜ってから口を開いた。


「……そうだな、もう五年くらい前になるのか?先王アドンギュメイが崩御して、息子のリドルディフィードが新たなマッカドニアの王になった。そこから突如として、マッカドニア王国は隣国への侵略戦争を始めちまったんだ。そしてこの五年間で瞬く間にザイーブ王国、ツァルトゥール王国、ヴェーダ王国、最終的には西のヴェネストリア連邦まで支配しちまった。今じゃ神聖ミハイル帝国すら凌ぐ世界一の大帝国さ」


 ここでユクイラト大陸の情勢について、改めて振り返る。

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 西方はブリスタル王国、ラグナレーク王国、フランチャイカ王国、ポルッカ公国が乱立している状態。北方は神聖ミハイル帝国が支配しており、東方は桃華帝国が権勢を誇っている状態である。

 南方はかつては、西から順にヴェネストリア連邦、マッカドニア王国、ザイーブ王国、ツァルトゥール王国、ヴェーダ王国といったふうに国々が乱立していたのだが、イロセスの弁の通り、今ではすべてがアレクサンドロス大帝国という一つの帝国にまとまっている。


 マッカドニア王国が十代目国王リドルディフィードの治世になってからというもの、急に強大な軍団を使役して、東に接するザイーブ王国とツァルトゥール王国を攻め始めたのだ。およそ五年前の出来事である。


「何でもリドルディフィードってのは神の力を持っているらしいぞ。その力で凶悪な軍団を作り上げたんだとよ」アリクが言う。

「凶悪な軍団?」

「俺も詳しくは知らねぇんだがな。人間ではない、怪物で構成されている軍団らしい。見た目が人間に近い奴もいるそうだが、見るからにバケモンの姿をしているようなのもいるんだと」


 そしてリドルディフィードはザイーブ王国とツァルトゥール王国を落とした後、そこからさらに東のヴェーダ王国を攻め落として支配下に入れた(この一連の侵略活動は”東進”と呼ばれている)。これが三年前の出来事である。リドルディフィードは皇帝を名乗り、国号はマッカドニア王国からアレクサンドロス大帝国に改められた。


「ヴェーダまで支配して一旦動きが止まった時は世界中が安心したもんだ。神聖ミハイル帝国や桃華帝国のような大国とやり合う様子はまだ見られず、アレクサンドロスの侵略活動も落ち着いたかに見えた。しかし今度はマッカドニアから西へと手を伸ばし始めたんだ」


 ヴェーダの支配で”東進”は一度止まり、アレクサンドロス大帝国は今度はマッカドニアより西側の地域を狙い始めた。そして西に隣接するヴェネストリア連邦を支配したのがつい去年のことであった(ちなみに支配地はすべて州と呼ばれている。西から順に、ヴェネストリア州、マッカドニア州、ザイーブ州、ツァルトゥール州、ヴェーダ州)。


 ヴェネストリア連邦は、その名の通り四つの国が集まってできた連邦制国家であり、これを支配したことでアレクサンドロス大帝国は世界一の大国となったのである。


 この”西進”と呼ばれる新たな侵略活動において、次にどこが狙われるかが世界の関心ごとだった。ヴェネストリア州の北部にはフランチャイカ王国とポルッカ公国が存在し、マッカドニア州の北部にはビフレストと呼ばれる荒原地域が存在している。


 ビフレスト……そう、かつて神聖ミハイル帝国南西端の領土であり、現在はラグナレーク王国が獲得してしまった土地である(表向きは復興を条件とした土地の譲渡であったが、アレクサンドロスをラグナレークにけしかけたい意図であることは明らかだった)。


 ラヴィアは、フリーレたちエインヘリヤルがそのビフレストに向かって出発していたことを思い出す。


(フリーレさん、大丈夫でしょうか?ビフレストが大国である神聖ミハイル帝国ではなく、傷つき疲れ果てたラグナレーク王国に帰属した今、そこがもっとも狙われやすいだろうと言われています。戦争が始まる可能性はやはり高そうですが…)


 心のどこかで不安を感じていた。

 フリーレの強さはもちろん知っている。しかし敵はたった五年で世界一の帝国となった国であり、その皇帝は神の力で以て怪物の軍勢を引き連れているというのだから……



 ◇



 時節は少し遡る。

 マグナがフランチャイカ王国に到着したばかりであり、ラヴィアは王都アースガルズでミアネイラと対峙していた頃である。


 ラグナレーク王国騎士団の戦闘部隊”国防軍事局エインヘリヤル”は、ラグナレーク本国から南東に位置するビフレストに到着していた。この土地は暴君フェグリナ・ラグナルの時代に、ラグナレーク王国と神聖ミハイル帝国・ポルッカ公国連合軍との間で戦争が行われていた場所である。戦争終結後、復興をラグナレーク王国で行うことを条件に、神聖ミハイル帝国から割譲された土地であった(その真意は前述の通りである)。


 エインヘリヤルは現在、復興という名目の軍備増強をビフレストで行っていた。アレクサンドロスとの戦争には当然備えなくてはならないが、当面は友好ムードで臨むつもりなので、表立って戦争の雰囲気は出さない。来週には国王ツィシェンドと皇帝リドルディフィードとの間で、既に会談の取り決めが為されていた。



 ビフレストの市街は長年の戦禍により、すっかり荒れ果てていた。

 残骸と廃墟がはびこる荒廃の土地であった。


 エインヘリヤルの各隊は、それぞれ瓦礫を撤去したり、建物を再建したり、水道の工事をしたりとてんやわんやしている。

 しかしこれは復興であると同時に対アレクサンドロスに向けての準備である。建物を直すついでに道を整備して、部隊の行き来がしやすいように工夫する。市街を取り囲む城壁も再建ついでに、人が通れる隠し扉や砲身をせり出せる隠し穴を備えさせたりする。やぐらや鐘もしつらえていた。建物もただ単純に再建するのではなく、再建ついでにそれぞれの部隊の寝所や倉庫を作っていくなどして、およそ復興活動のあらゆる面に、このビフレストを新たなラグナレークの軍事都市にしてやろうという意気込みが見えた(しかし内情を知ってこその意見である。外から見ればまだ単なる復興の域を出ないであろう)。


 そんなビフレストにも、エインヘリヤル以外の者は当然いる。

 元々この土地で暮らしていた先住民たちがそうだ。


 彼らは悲嘆に暮れていた。ビフレストは神聖ミハイル領としては歴史が浅い。支配されてたかだか十数年程度である。そこから更にフェグリナ治世のラグナレーク王国が起こした戦禍にも見舞われた。そして今度は、アレクサンドロス大帝国との戦争に巻き込まれるかもしれないのだ。


 独りの少年が哀しみに染まった瞳を、せわしなく動くラグナレークの兵たちに向けていた。

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