第72話 イフリート盗賊団

 それは一般的な魚類とはだいぶ違う、鎧のような鱗に覆われていて、ともすれば龍のようにも見えた。棘の生えたいかつい翼を豪快にはためかせて空を駆けている。吹きすさぶ風がラヴィアの長い黒髪をなびかせる。


 ラヴィアは茫然とした。そしておそるおそる外郭のへりへと近づいて下を覗き見ようとする。地面が見えない。かなり高い位置を飛んでいるようだった。


(どうしましょう……これでは脱出もままなりません)


 冷や汗が流れるのを感じる。ここまで上手く立ち回って来たというのに、もはやこれまでか。これから取れる手段となるとどこかに身を隠して、いつか地上に降りるのを待つぐらいだろうか(この巨大魚もまさかずっと空を飛んでいるわけではあるまい)。


 ラヴィアが思考を巡らせていると、背後から声が聞こえた。


「あ!テメェ、いつの間に抜け出しやがった!」


 振り返ると、そこにいたのは自分を閉じ込めたイロセスという女、そして彼女がお頭と呼んでいた大柄の覆面男であった。いよいよまずいとラヴィアは思った。


「……?なんかテメェ、雰囲気変わってねぇか?」

「ハハン、なるほどな」


 イロセスの疑問に覆面男は得心のいったような顔をする。


「合点がいったぜ。最初のめそめそした弱気な振る舞い、さては演技だったな?」

「ハァ?まじかよ!」

「だがアレのせいで実際俺もまんまと油断していた。お前もそうだったんじゃないか、イロセス?」

「そうだな、見張りも要らねーだろと思ってたし。そうか!ずっこけてたあの時に鍵をスリやがったんだな!」


 見つかってしまい、逃げ場もないこの状況。ラヴィアはいよいよ観念し始めた。


「鍵をスラれたことに気づけず、見張りも付けなかった。それは俺たちが嬢ちゃんを甘く見ていたからに他ならねぇ。ダハハ!まんまと嬢ちゃんの作戦勝ちだったわけだ!恐れ入ったぜ!」


 覆面男は妙に気さくな様子でラヴィアに近づくと、その肩をバンバンと叩いた。ラヴィアはとまどいながらも痛そうに顔をしかめる。


「惜しかったなぁ、嬢ちゃん。俺らのアジトがこの水空両用神獣、バハムートの上にあるってんでなけりゃあ、きっと脱出できていたさ。まあ運がなかったな」


 バハムート……それがこの巨大魚の名前なのであろうが、ラヴィアの胸中はそれどころではない。この後自分はどうなるのだろう?売られる?それともリンチにでも遭うのだろうか?


 しかし覆面男の発言は予想外のものであった。


「決めた!嬢ちゃん、俺らと一緒に盗賊やらねえか?」


「「はあ?」」


 ラヴィアは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 イロセスの声もそれにかぶった。


「ちょっ、お頭!どういうつもりだよ!」

「どうもこうもあるか。こんな逸材をスカウトしないでどうするってんだ?」

「逸材ねえ……このちんちくりんがか?」

「見た目が強そうじゃないってのがむしろ良いんだよ。俺たちがしてやられたように相手の油断を誘いやすいしな。それに本人はいたって冷静で、状況に応じて演技できるような柔軟さとしたたかさを併せ持っている。何よりこの盗賊団はお前以外野郎ばかりで華が無いしなあ」

「なっ!あたしだけじゃ物足りねえってか?」


「あのー、私抜きで私の話を進めないでもらいたいのですが……」


 ラヴィアの横槍に二人の会話が止まる。


「第一、盗賊稼業なんかに手を染めたくないですよ、私」

(そんな犯罪者風情になり下がったら、正義の神であるマグナさんに会わせる顔が無いじゃあないですか)


「そうだぜお頭、こんなチビ助仲間にしたっていいことねえよ。売り飛ばして金にした方が損もねぇ。この見た目ならかなりの値段で売れるだろうよ」


「……貴方の方がお高く売れると思いますけどね?イロセスさん」


 ラヴィアは自分の胸の辺りに両手を持っていき、弧を描くような動作をした。自分のそれより、イロセスの方が豊満であることを揶揄しているのだった。それに彼女は口調こそ粗雑だが、見てくれはすさまじく整っている。


 イロセスは顔をしかめた。


「テメェ、マジで生意気だな……!裸にひん剥いて男どもの中に放り込んでやろうか?」


「ダハハハハハハハ!」


 不快そうにしているイロセスの横で、覆面のお頭が楽しそうに笑い始める。ラヴィアとしては相手の下手に出たところで恩恵なぞ無さそうなものであったから、生意気の一つでも言ってやろうかと思った末の発言であったが、それもまたお頭にいたく気に入られたようだった。


「いいねえ、嬢ちゃん!この状況下で生意気言うなんてなかなかできねえ……!ますます気に入った!やはり嬢ちゃんには、俺たち”イフリート盗賊団”に加わってほしいね」


 イフリート盗賊団……それがこの盗賊団の名前なのだろう。覆面のお頭はラヴィアの手を引っ張ると、イロセスに指示する。


「細かいことは明日話そうや。イロセス、嬢ちゃんに空き部屋を案内してやってくれ」


「……へいへい」


 イロセスは心底気が進まなそうに答えた。


 ◇


 明くる日、盗賊団の一同がアジトの広間に集まっていた。群がる男たちの前には居心地悪そうにラヴィアが立ち尽くしている。いらいらした表情で樽に腰掛けているイロセスに構わず、お頭は嬉々としてラヴィアの紹介を始めた。


「……というわけで、この嬢ちゃんが新入りとして俺たちイフリート盗賊団に加わることになった。この俺が見初めたんだから間違いないぞ!お前ら、いろいろ教えてやってくれ」


 ――あの嬢ちゃんの弱気な態度は演技だったんだとよ!

 ――すげえなあ、並みのタマじゃできねえよ

 ――それにどさくさに紛れて鍵をって牢から出るなんて抜け目ねえ

 ――見た目も悪かねえ、イロセスはちぃとおっかないからなぁ

 ――人形みたいに整ってやがる、壊してやりたいゼ


(あああああああああ!どうしてこんなことに!?)


 本人の意思を無視して話が進んでいく事態にラヴィアは恐怖していた。結局あの晩の後も、有効な打開策を見出せずにいた。なにせ居場所が遥か空の上なのだから脱出のしようがない。


「待ってください!この盗賊団に入るなんて、了承してませんよ?」


「そういや嬢ちゃんの名前聞いてなかったな。皆に自己紹介してくれ」


「人の話を聞いてください!」


 ラヴィアは、ここまで自分勝手に話を進めていく人種がこの世に存在するのかと思った。男たちはみな興味津々でラヴィアの方を見てくる。耐えかねたラヴィアはしぶしぶ名乗り始める。


「……ラヴィア・クローヴィアです」


「可愛さと高貴さが同居していて良い名前だな!おっと、俺はこのイフリート盗賊団の頭領でアリク・ハルジャってモンだ。みんなにはお頭って呼ばれてるが好きに呼んでくれていいぜ!」


(お頭……なんだかフリーレさんを思い出しますね)


 ラヴィアは、フリーレと彼女をお頭と呼び慕うならず者たちのことを思い出した。彼らは今頃どうしているだろう。


「そして、これが俺の本当のハンサム顔だ!」


 アリクは誰に頼まれたわけでもないのに、唐突に覆面を脱いで素顔を見せた。不細工……というほどではないがどこか武骨な印象の顔立ちであった。


(ハンサム?ハンサムってなんでしたっけ?)

「お頭、ハンサムって辞書で引いてみた方がいいぞ」


 ラヴィアとイロセスはこの時ばかりは意見が一致していた。


「どうも世のご婦人方には俺の魅力が分からねえようだがなぁ。まあ、んなこたぁどうだっていいんだよ。お前ら、さっそくラヴィアの歓迎会をやるぞ!」

「だから待ってください!入らないって言ってるじゃないですか!」

「そんなに嫌か?盗賊」

「嫌も何もふつうに犯罪者じゃないですか……」

「何だとう、盗賊だって毎日を懸命に生きているんだぞっ」


 アリクがぷりぷりと怒り出す(あまり真剣に怒っている様子ではない)。しかしラヴィアは犯罪者や無法者をとくに毛嫌いしているわけでもなかった。そもそも彼女はフリーレというならず者と旅をしてきたわけだし、犯罪者を毛嫌いするような精神的潔癖症ならハレーと友人関係になったりもしていないだろう。


 ラヴィアが盗賊団加入を拒むのは、ひとえに正義の神であるマグナに会わせる顔が無くなることを恐れてのものだった。いつか彼の隣に戻ることこそが彼女の夢なのだ。


「法を犯さず生きている連中にだって、見習えねえような汚い精神の奴もいるだろう?逆もまた然りさ」

「……まあ言いたいことは分かりますが、やっぱり気が進みません。義賊ならまだしも」


 思えば、マグナも自らの意志で人殺しに手を染めたことがある。忘れもしない、暴君フェグリナ・ラグナルを討伐したあの日のことである。しかしフェグリナは、ラヴィアの目から見ても救いようの無い大悪人であり、彼女を殺すマグナの決断は間違っているとは思っていない。要は、事情さえあれば犯罪的行為も正当化ないし希釈されるということに思い至ったのだ。


 詐欺的な商法や政治的権力を不正に利用して巨万の富を得る……そんな悪どい金持ちに狙いを絞って略奪をするのが義賊である。それがラヴィアなりの盗賊稼業に手を染める上での妥協ラインであった。


 しかし義賊という言葉を聞いて、終始親し気であったアリクが不快そうな様子を見せた。


「……義賊かぁ、義賊ねえ。おりゃ、あーいうやからが大っ嫌いだ」

「何故です?」

「何故って、とにかく気に入らねえんだよ!自分たちは悪どい金持ちしか狙っていません、だから悪者じゃないですってか?冗談じゃねぇ!人の物を盗んでおいて、良いも悪いもねえだろうよ!」


 アリクの声にはおぼろげながらも怒りの感情がこもっているように感じられた。しかしラヴィアは彼のそんな言葉から、この人にもそれなりに信念らしいものがあることを理解し始めた。


「そんな下らない見栄を張るぐらいなら、俺は堂々と宣言するね!俺たちゃ盗賊だと。どうせ俺たちは他人の物を盗むことでしか生計を立てられないロクデナシばかりさ。だが必死に生きている!毎日を生きるため必死になるのは誰だって同じように尊いはずじゃあないか?それとも法を犯すか犯さないか、その一点だけがそんなにも大切なのか?罪を犯したことが無い者の中にだってロクでもない奴はいるだろうし、救われるべきはずの奴が法を犯したという一点だけで捨て置かれるのが世の正しい姿なのか?」


 アリクの言葉を、ラヴィアは考える。

 ハレーやフリーレという前例が既にあるように、彼の言い分には納得できるところがあった。無論、アリクの言っていることが世のすべてではなく、正しくあるべき結論に至るには恐ろしく複雑怪奇な議論を経ねばならないだろう。しかしラヴィアにとっては、もう彼の言っていることでその人となりを知るには充分であった。


 アリクはラヴィアを盗賊団に誘いたがっている。そして当のラヴィアは犯罪者になり下がることに難色を示した。ここでアリクは彼女の気を引くために、今後は義賊的な活動も視野に入れるとか、そのようなことを言ってもよかったが、彼は義賊なぞ気に食わぬとためらいなく一蹴し、自身の悪の美学について語り始めた。


 まことに奇妙なことに、これこそが他のどんな浮ついた勧誘文句よりもラヴィアの心を前向きにしたのだった。


 嗚呼、この人はフリーレやハレーと同じなのかもしれない。自分は今まで、彼らが社会の中に頑張って入り込もうとしている様子を見てきた。今度は自分が社会の外に属して見聞してみるのもそれなりに意義のあることかもしれなかった。何より、ラヴィアはアリクのことをそこまで嫌いになれなかった。


「……はあ、分かりましたよ、イフリートに加わります」


「……だから同じ盗賊のくせに、自分たちは犯罪者じゃありません!なんて顔の義賊ってやつはどうにも……え、マジで!?」


 アリクは驚きに声を上げた。彼にとっては自身の想いの丈を力説していただけであり、口説き文句のつもりではなかったのだ。


「ただし条件があります。ここからラグナレーク王国に戻る分の路銀が溜まったら離脱を許してください。それまでの間なら、窃盗でも雑用でも私にできることならやりましょう」


「……ハッ、馬鹿にしてんのか?そんなのみすみす許すわけ「イイゼ!」」


 イロセスの不満の言葉ををアリクの声が遮った。


「……お頭そんなんでいいのかよ?」

「なあに、さっきまでの取り付く島もない様子からしたら随分と心を開いてくれたじゃねえか!後はどんどん身も心も盗賊になるように日ごろから働きかけていくぜ!」


 にっこりとした笑みで言うアリク。反してラヴィアはジトッとした目を向けた。


「……いや、離脱はさせてくださいよ?私には帰る場所がありますので」

「約束は守るさ。ただ気が変わったら、いつでも言ってくれよ。社会には安寧はあっても自由がねえ!俺たちの暮らしには、安寧は無いが自由はあるんだからな!」


 自由……自由か。


 思えばラヴィアは窮屈なお屋敷暮らしの身分であった。籠の鳥であった。


 彼女は自由を求めて旅を始めたはずだった。そして力が無くては自由なぞ謳歌することはできないことを既に痛感していた。それからは死に物狂いで力をつけるための修行に明け暮れる日々だった。すべてはあの人の隣に戻るため……!


 ラヴィアに自由を謳歌する資格があるかは、今後の盗賊団の暮らしの中で証明されていくのかもしれなかった。

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