第67話 ”拒まれぬ存在”モンロー
突如動きを止めたネメシスに、マグナとマルローは呆然としていた。
ルドヴィックも信じられないといった目で様子を伺っている。
「ネメシス!?何故動きを止めるのだ!」
乗っ取ったと、彼女は発言した。ルドヴィックはモンローの方に目線を向ける。彼女は何も話さず、ただ薄ら笑いを浮かべていた。
一同は目を疑う。
やがてネメシスがその歪な腕を振り上げたかと思えば、ルドヴィックの方へと向き直り、彼に目掛けて叩き下ろしたのだ。ルドヴィックは悲鳴を上げながら
ネメシスが動くのは、制定された規則に反した者に制裁を与える場合のはずだった。つまり、ルドヴィックがネメシスから攻撃を受けているこの状況が意味するところは……
(まさかあの女、本当にネメシスを乗っ取ったのか?王族は国家そのもの……!絶対的頂点であるはずの余が攻撃されることなど本来有り得ないのだ。ネメシスの司る規則を書き換えてしまったというのか?)
次から次へと振り下ろされるネメシスの腕を、ルドヴィックは野良猫の爪牙から逃げ惑う
「お、おい!こいつを止めてくれ!」
国王は必死に叫ぶ。
モンローは薄ら笑いを浮かべている。
「頼む、助けてくれ!」
国王は気が気でなく叫ぶ。
モンローは不気味にほくそ笑んでいる。
「ネメシスが動くのは制裁の為だ!余は何に反しているというのだ!」
「……
滅茶苦茶に逃げ惑っていたルドヴィックは、モンローの発した言葉の意味がすぐには分からなかった。
「お、おい!どうすれば、こいつは止まるんだ!」
「頭が高うございます故」
ネメシスのもっとも重い制裁は
「こうべ?余に頭を下げろと申すのか!国王である余に向かって!」
「頭が高うございます故」
国家の頂点である国王が、他者(それも部外者)に頭を下げるなど受け入れられることではなかった。しかし四の五の言っていられる場合でもなかった。
壁際に追いつめられたルドヴィックにネメシスが鋭く腕を伸ばす。凄まじい音を立てて盛大に壁が崩れたが、彼はなんとか巻き込まれずに済んだ。ここまで逃げおおせているのも、そもそもモンローが攻撃の精度をあえて低くしている可能性すらあった。
もはや彼に余裕なぞなかった。このフランチャイカにおいて、もっとも偉大で崇高であるはずの国王陛下は、ネメシスの攻撃が落ち着いた隙を見計らうと、その場に
しかしネメシスは巨大な腕を不気味ににうならせると、再び叩き下ろした。彼は平伏した姿勢から間一髪でこれを回避した。
「お、おい!言われたとおりに頭を下げたではないか!」
「頭が高うございます故」
「教えろ!どうすれば止まるというのだ!」
「頭が高うございます故」
モンローは一切声音を変えずに、ただただ同じ言葉を繰り返していた。察することにこそ意味があるとでもいうのだろうか?
(床に着けても頭を低くしたことにならないのか?ならば……!ならば……!)
ルドヴィックが目を付けたのは、ネメシスの攻撃で抉れた床であった。
不穏な足音が近づくのを聞いた。
ルドヴィックは身の危険を感じて、穴から頭を取り出すと、一目散に退避する。その直後に彼のいた場所に腕が振り下ろされた。
「ゆ、床よりも低く頭を下げたのだぞっ!何故これで止まらぬ?これ以上低く頭を下げるなぞできるわけがない……!さては余を助ける気などないのだな?」
「……まだわからないのでございますか?」
モンローがようやく異なる言葉を発した。
「物理的な頭の低さなぞワタクシは見ておりません。貴方様の心の有り
「心の有り様?」
「貴方様には、この偉大なる正義の神への畏敬と尊崇の念が微塵も感じられません。ですから生きる価値などないのでございます」
「そこな誰とも知れぬ男を心から慕わねば生きる価値がないと?なんという横暴を言うのか!」
モンローはその言葉を聞くと、またもや身の毛もよだつほどに邪悪な笑みを浮かべて、ふふふふふふふふと、ひとしきり笑った後、ゆらりゆらりと歩を進めて国王のもとへと向かって行った。
彼は再び壁際に追いやられた。
「ワタクシは何も横暴を言っているのではございません。偉大なるマグナ様は
モンローの邪悪な笑みを間近で見て、ルドヴィックは背筋が凍る思いがした。
ズボンが温かくなってゆくのを感じる。
「この世のすべての人民がそのようにして生きることこそ、有るべき姿であり、現状が誤っているのでございます。それは煙が高きに昇るが如く、水が低きに落ちるが如く、自然の摂理にも等しきことでございます。ワタクシは、貴方様に有るべき姿になって頂けるよう、お願いしているだけなのでございます」
ルドヴィックはもはや生きた心地がしなかった。死が形を持って近づいて来たかのような感覚だった。目の前の、人の幸福や有るべき姿について語るそれは、顔をしかめるほどの滅びの香りをまとっていた。
「何故、何故、ネメシスは三百年以上もこの国を支配してきた強大な存在……何故、こんなにもたやすく……」
「致し方ありません。ワタクシはモンロー、”拒まれぬ存在”。正義は
モンローは壁際に追いやったルドヴィックの、そのひどく憔悴した顔に手を伸ばす。両手で頬を抑えて、自身の顔を近づける。
「世界ハ偉大ナルマグナ様ノ元デ一ツトナリ、決シテ脅カサレヌ秩序ヘト変ワリマショウ。貴方様ニモ教エテ差シ上ゲマス。マグナ様ガ今マデドノヨウナ想イデ生キテキタカヲ……キット、貴方様ノ方カラ心ヨリ平伏シ、敬愛ノ念ガ止メ処ナク湧イテ出ヅルコトデゴザイマショウ」
やがてモンローは自身の額をルドヴィックの額とくっつけた。
直後、彼を白眼をむいて、意識を喪失してしまった。
◇
薄暗い部屋の中で荒々しい物音がして、続けて男女の叫び声も聞こえました。少年が目を覚ました時には、既に脅威は去っていました。少年は荒れ果てた家屋の中で、物言わぬ亡骸となった両親を眺めていました。血に塗れて無残な死にざまでした。暗がりの中で、その血の赤さだけは克明に脳裏に焼き付きました。金品を持ち去られ荒涼とした家の中、少年の心はそれとは比較にならぬほどにぽっかりと大きな穴が空き、がらんどうの隙間風が絶えずびゅうびゅうと吹き込み続けていたのです。
ただただ、寂しかったのです。歩きに歩いて辺境の町、ヘキラルにたどり着いた頃、少年はごろつきにからまれている人を救います。初めから正義の心があったわけではありませんでした。一方的に、不幸な境遇のその人に、親近感を覚えたまでです。ただただ、寂しかったのです。
意識のない中で、ルドヴィックは涙を流しながら夢を見ていた。
夢?
しかし、まるで自分の半生かのような……
ルドヴィックはやがて意識を取り戻すと、よたよたと、まるで生まれたての小鹿のような覚束ない足取りで、正義の神の元まで近づくと、流れるような自然な所作で平伏の姿勢を取り、澱みのない言葉を紡いだ。
「偉大なる正義の神よ……!貴方様に、貴方様に心よりの忠誠を誓います……!」
それは苦し紛れの言葉でもなければ、助かりたい一心で発された言葉でもなかった。心よりの畏敬と尊崇の念が感じられる声音であった。まるで人が変わったようであった。
モンローは嬉しそうに微笑みながら、踵を返す。
「マグナ様、フランチャイカ国王ルドヴィック一世は貴方様に心より恭順の意を述べ、有るべき姿となりました」
彼女は不気味さの中に喜色をはらんだ声で話す。マグナに褒めてもらいたかったからとか、そういった打算があるわけではない。純粋に、彼に心から敬服する人間が増えたことを喜んでいた。
「これでフランチャイカ王国は貴方様のものでございます。ですが、この国にはまだまだマグナ様の偉大さ、崇高さを理解できぬ者が多数おりましょう……」
モンローは立ち尽くすマグナの前に出ると、床に跪いた。
「マグナ様、ワタクシに御命令ください。この国のすべての人民が貴方様への畏敬と尊崇の念を抱くよう働きかけて参ります。おしなべて、すべからく人々は貴方様をまことの神と
「…………モンロー、なにもそこまでする必要は無い」
マグナは若干、引き気味に答えた。
「それに、お前はどうにもやりすぎるきらいがあるとみた。今後は俺の命令があるまでは勝手なことはするな、分かったな」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………承知致しました。すべては偉大なるマグナ様の御心のままに」
しばらく押し黙った後、モンローはぽつりと呟くのであった。
モンローは立ち上がると、もはや動きを止めたネメシスに足を向ける。
「マグナ様、アレはもはや無用の長物でしょう。処分してしまっても?」
「……ああ、かまわない」
マグナの許可を得ると、モンローはネメシスに手を触れた。ぐじゅぐじゅと溶解するように崩壊し始めたかと思えば、そのおどろおどろしい流れがモンローへと吸収されていった。神力へと分解したのち、吸収したのかもしれなかった。モンローはうっとりと恍惚気な顔をしていた。
マグナがふいに目線を余所にやると、マルローが構えていた剣をしまって、柱に寄りかかっている姿が見えた。結局モンローがすべてを終らせてしまったので、彼はすっかり所在無げにしていた。いつの間にか王宮を包む喧騒も聞こえなくなっていた。
マルローが幾ばくか言葉を巡らせたような顔つきをしたのち、口を開く。
「マグナさんよぉ、いろいろ言いたいことはあるが、一言でまとめて言うぜ」
「……おう」
「……お前の眷属やべぇな」
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