第3話 進捗についての話をしよう
「高校入学したからってたるむなよー」
「んー」
軽い足取りで、日菜美は近所の高校に駆け出す。さて、俺もそろそろ行くか。トーストを食し、ラフな服に身を包んだ。今から行く職場は、父の研究のために建てられた別荘を改造して使っている。もう日本にはほとんど帰ってこないし、大丈夫だろう。電波は来てるし、ガスも電気も水道も止まってない。カンヅメの時はそこに泊まったりもする。
住宅街から大通りに出て、鎌倉駅からさらに海沿いに歩く。カフェテリアを右に曲がり、正面に見える坂を昇る。通称心臓破りの坂。運動不足の俺にとってはいい運動だ。
まだ春だって言うのに、額から汗が伝う。
「はぁ…はぁ…」
肩で息をして、ようやく目的地に辿り着けた自分を褒め称える。はぁ、これ高校の体育より疲れるかも…。職場に入ると、何やらストップウォッチを掲げたセミロングに切りそろえられた茶髪の少女、『綾島亜優』が俺に賛美を送った。
「パンパカパーン。新記録更新おめー。記念に麦茶を進呈」
「お前そんなことしてたのかよ。あ、麦茶は貰う」
「ファンたるもの、作者にはモチベを上げて作品を書いてもらいたい」
麦茶が喉を通過する。やはり運動の後はキンキンに冷えた麦茶だな!彼女、先程はファンと言っていたが、実はただの俺のファンではない。何を隠そう、彼女こそがコハルビヨリの挿絵を手懸けている、『あやゆん』だからである。
画力としては申し分ないが、新人であるためか、まだ俺以外の担当はない模様。
「うし、亜優。今日中には第五巻の三章まで行くぞ!」
「おー、燃えてる。でも、大丈夫?第五巻の内容…」
そう、第五巻の内容。それが今現在俺が一週間スランプに陥っている原因である。そう、それは…。文化という名目でありながら、陽キャの目立つ場しか設けられていない文化祭だ。小夏がミスコンで優勝することは決まってはいるのだが、そこまでの道順が難しい。
「文化祭…か。メイド喫茶?お化け屋敷?」
「どれもありきたり」
「だよなぁ」
なんか画期的なものを書きたいと無駄なプライドが邪魔する中、俺たち二人はんー、と頭を悩ませていると、ひとつ疑問が過った。あれ、こいつが居るってことは…。
「そういや、彩さんは?」
「お姉ちゃんなら…」
彩さんは、亜優の姉であり、俺の担当編集だ。今回は第四巻の原稿の確認に来てくれたのだ。俺はかなり書き溜めている。…ボツで書き直すこともあるが。亜優は扉を指さした。ん?何やらシャワーの音が聞こえる。まさか…。キュッと音がして、ガラガラと扉の開閉音が…。朝風呂か。
「相変わらずフリーダムだな…」
「うん」
「ふぃー、朝シャンはスッキリするねー」
ほんと、この人はフリーダムだ。無地の半袖に袖を通し、髪も乾かさずにタオルを宛てがいながら仕事場に入ってくる彩さん。ぽたぽたと水滴が長い後ろ髪から滴って落ちる。
「あの、髪乾かしてください」
「おー、先生来てたの。シャワー借りたよ」
「そういうのは借りる前に言ってください…。まぁいいです。これ、四巻の原稿です」
「ほいほーい」
そう言うと、パラパラと彩さんは原稿を立ち読みをする学生並みの速読で目を通す。そして、俺に一言。
「水瀬先輩は?」
「今回は修学旅行なのに先輩がいたら変じゃないですか」
「そうだけどさー」
ちなみに水瀬先輩は主人公の中学校の頃の演劇部の先輩であり、ことある事に春樹に話しかけてくる。彩さんのイチオシで、お姉さん気質の頼れる上級生。
四巻は修学旅行。適当に観光地に下見に行って、起こりそうなイベントを箇条書きにし、それに肉付けして完成した物だ。三巻までのエゴサをしていると、「羽島先生の作品はリアリティが凄い」と言われてニヤついているが、こうやって現場に行くことにしている。
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